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#165|8月1日は恥ずかしげもなく夢を語る日

じつは最近「ネガティブ」周期が訪れていてちょっと精神が弱っている。しかし「そんなのに負ける私はもういないんだぜ」という意識を強く持って過ごしていたところ、元気の出る出来事があった夜。note365日連続投稿チャレンジ165日目。


8月1日は恥ずかしげもなく夢を語る日

#8月1日は恥ずかしげもなく夢を語る日というTwitterハッシュタグがある。

これは12年前の今日、jMatsuzaki氏がご自身のブログを開設して活動を開始したことと紐付き、毎年8月1日には「恥ずかしげもなく夢を語る」というイベントのため作られたタグのようだ。

そして何年も前から、この日に「夢を語る」人たちのツイートが残っており、ハッシュタグを見てみるといろんな夢があり面白い。

2023年は初のTwitterスペースでの生放送が行われた。楽しいアーカイブが残っているので聴いてみてほしい。

そして、今日から彼の夢の一歩である「タスクシュートの認定トレーナー養成講座 第1期」の募集も始まったので、気になる方はぜひぜひ。私はこちらの0期を受講し、協会内で活動している。


私が「恥ずかしげもなく語」った夢

この機会に乗っかって、みんなのパワーで一緒に進むのが楽しそうなこともあるし、「8月1日」というのはなんだか強い後押しのパワーが感じられることもあって、「私は何を投稿しようか?」と20分くらい考えた。

あれこれ書き出したがしっくり来ない。この1年で達成したいタスクやプロジェクト目標を書くより、もっと心踊る「夢」っぽいことはないかなあと思った。

夢といえば、ドキドキやワクワクだ。ずっと「やりたい」と心に秘めていたこととか、「実行が怖い」と思うようなこと、公言するのが「恥ずかしい」と感じるようなことがいい。

最初に書こうとしたことたちは、これらに当たらなかった。「やりたいこと」ではあっても、「現在の延長線」上の未来でも叶えられると思うものたち(勘違いの可能性はあっても)。それらは「夢」というには冒険がない気がした。


6月以降このnoteで何度も書いてきたが、いま私は「生き方を変えよう」としている。簡単に言えば「受動的な」生き方をやめて、「能動的に」生きようというものだ。ウェルスダイナミクスという診断ツールで例えるなら「サポーター」をやめて「スター」「クリエイター」をやる、というイメージだ。

この試みは「自分の才能に沿った生き方(≒人から求められる生き方)を模索する」という方向から始まったことだが、そもそもじつは、ひそかに「やりたい」ことでもあった。

「クリエイティブ」の仕事への憧れ。明日死ぬかもしれないとして、私は後悔することはあまりない方だと思っている。それでもひっかかりそうなことは、「もっと挑戦しておけばよかった」こと。クリエイターとして生きることに挑戦してみる、それが自分にできるのかできないのか、ぶつかってみること。ここは、やらなくて後悔することかもしれない。

こうして書いていて思い出したが、これはnoteの最初の頃に「28|不快過敏症」という記事に書いた

もろもろを通して、常に「自分はダメな人間だ」と心から思っていたので、その思い込みによって諦めた夢が何個もある。引きこもりを克服できたら、20年遅れだけど挑戦してみたい。

https://note.com/tosh365/n/nda12220ddbe6

諦めた夢の1つなのだ。余談だが、私がjMatsuzaki氏に魅力を感じるのは、過去の私が諦めてしまった生き方を体現しているからかもしれない。


ということで、これをもう思いっきって始めてしまおう!と今回投稿したのは「クリエイターとして生きる」という宣言1つ。これが、とても気に入った。私の中で真実味が感じられる。

この感覚は、このnoteを始めることを赤羽雄二さんに唐突に宣言した2023年2月18日の出来事と似ている。まったくやれる気がしないけど、それでもやる、という覚悟感。これなら、本当にやると思う。

そんな感じで、jMatsuzaki生誕12周年祭に乗っかって私もとてもいい感じの宣言ができたので満足だ。

今日からセルフイメージ「クリエイター」で。何をするにしてもこの上で活動する。子供みたいな物言いで恥ずかしいけれど。後日、具体的に「私にとってのクリエイターとは何か」といったことも書きたい。



p.s.このことは音声でも残した。愛媛に来てから録っていなかったひさしぶりのスタエフ。音声はまだ更新が安定しない。

✑60分|1800文字

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