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009 | 共感覚

365日note連続投稿チャレンジ9日目。

9という数字を好きになったのがいつの頃か忘れたが、「数秘術で見ると自分の数字は9だから」というのがきっかけだったような気もするし、「ナンバーナイン」という曲の、そのタイトルの響きがかっこいいな、と感じたからだった気もする。

数字のイメージ

数字を選ぶ機会には9を選ぶことが多いが、これにはラッキーナンバーや自分に力をくれる数字という感覚はなく、自分の使命感や自己表現的なイメージがある。これを選ぶことで、背筋が伸びるような感覚になるのが特徴だ。

自分にとって幸運のイメージがある数字は8で、力や推進力を感じるのは1だったりと、数字それぞれにイメージがあるのは皆さんそうなのではないかと思うが、私は共感覚的な面からも数字それぞれに感覚の違いがある。

たとえば5は土くさい"匂い"。6は深い緑色でブラックホールのような吸い込む動きをしている"感触"がする。7は陽気に踊っている"映像"が見え、8は偉そうな態度の"雰囲気"がする。

意味がわからないと思うので説明を。


共感覚というもの

共感覚というのは、絵を見て匂いを感じたり音が聞こえたりする、感覚のバグみたいな症状だ。音を聴いて手触りがしたり、匂いを嗅いで映像が見えたりなど、入力と異なった体感覚が現れる現象で、誰もが多少は実感があると思うけれど、私はこれがけっこう激しく、神経症と言われることもあった。

たとえば、雨の日に濡れた傘と一緒に車に乗るとナメクジやカエルに体を這われている感覚がしておそろしく気持ちが悪い。特定の文房具の匂いから広大な草原を走っている映像イメージが頭の中で流れるためとても気持ちよくてぼーっと見ていられる。とある人の声はめちゃくちゃ甘い味がして美味しくてずっと聞いていたい。好きな漫画が映像化したものを見るのが大嫌いなのは、その漫画にある独特の匂いや手触りや音や世界の広がりがぶっ壊れるから。

など、子供の頃は特に中毒症状のようなレベルで、生活が難しい面があった。年齢を重ねると薄れて生き難さは減ったが、今でも私が特定のものに対して異常なフェチっぷりや嫌悪感を発揮するのは、共感覚によるところが大きい。

以前に仕事を共にした年配の方から「お前は普通の人の何十倍も情報を拾っているから体調が崩れるんだ」と怒られたことがあるが、怒られてもどうしようもない。

私と頻繁に接している人には「この人、妙にこだわりが強いな」と思われている気がするけど、そんなような機能上の特性によるものなので、あたたかい目でみてもらえたら本当に幸いです。


そんなことより今日はさんざんだった。

今日は365日連続note投稿の9日目で、「好きな数字の日だからいい内容にしたい」という気持ちから肩に力が入ったのか、なんと昼から記事を書き出したのに夜になっても完成しない。いろんなテーマで書いては消してを繰り返し、11:45に着手した記事書きは現在22:58にも未だ執筆中で、もういい加減に観念した気分で「今、頭の中にあるもの」を出すことにした。

もちろんこの間ずっと記事を書いていたわけではないけど、それでもずっと頭の中では何を書こうか、どう書こうか、というモヤモヤが浮かんでいるので、実質1日ずっと記事しか書いていないような気分だ。

悩むほど自分の中でハードルが上がってとても乗り越えられない高さになってしまったので、その下をくぐるように投稿して、今日も連続投稿をなんとかクリアする。

明日からはもっと気軽に書く、絶対。


✑286分|1455文字

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