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34 陳列棚

歩いていると、道の反対側にドラッグストアがあった。男はその店の軒先に出ている商品の陳列がが一箇所、棚ごと大きくずれていることに気がついた。

その陳列棚は高いところに洗剤や何かがこんもり山積みになっていて、子供の上に倒れでもしたら大変なことになりそうだった。

男は車が途切れたのを見計らって通りを渡り、小走りで店に向かった。

網かごが三段重ねになったキャスター付きのラックだった。

一番上のかごに入っていたのは袋タイプの詰め替え用液体洗剤で、容量が1キロ近くあった。中段はスナック菓子、下段には徳用の使い捨てカイロが入っていた。

どう見てもバランスが悪く、中身を入れ換えた方がよさそうだった。

幸い、ラックはかごごと引き出せるタイプだった。男は辺りに誰もいないことを見てとると、さっとやってしまうことにした。

まず一番上の液体洗剤のかごを取り出し、いったん地面によけた。次に、一番軽いスナック菓子のかごを中段から取り出して上段に移動した。

あとは下段の使い捨てカイロを中段に移動し、洗剤を下段に入れるだけだった。そうすれば下に行くにしたがって順に重くなり、ずっと安定する。

「ちょっと」顔を覗かせた店員が男の行為を見咎めて声をかけてきた。「あんた、何してんの」

「あの、これ、ちょっと入れ換えようと思って……」男はちょうど引き出したスナック菓子のかごを抱え持ったままどぎまぎして言った。

「は? なんで?」店員は不審そうに言いながら外に出てきた。

「ずれてたので」

「ずれてた」店員はおうむ返しに言った。

「それで道路渡って」男は自分が来た方向を手振りで示した。

店員はそちらをちらりと振り返り、改めて男に問い詰めるような眼差しを向けた。

「ずれてたから、危ないと思って」男は詳しく説明する必要を感じて言った。

「ずれてたって何が」

「こいつです」

男はちょうど手がふさがっていたので、つま先で陳列棚をちょんとつついた。それからすぐにその言い方は失礼だと気がつき、抱え持っていたかごごと棚を示して言い直した。

「これです」

幸いと言うべきか、その陳列棚はまだはみ出したままの状態になっていた。

店員は、それが元からずれていたのか、男が故意にずらしたのか、見極めるようにして棚と男を交互に見た。

「ぼくじゃないですよ」

男は疑われていると感じ、あわてて否定した。

店員はぼんやりうなずいたものの、あまり信じている様子はなかった。

「倒れたりしたら、子供とか」

「子供なんかいませんよ」店員は冷ややかに言った。

「いや、もしいたら……」言いかけて、男は自分が抱え持っているものにふと目を落とした。

それは店の商品だった。よく見れば、男の好きなポテトチップスのコンソメ味だ。液体洗剤の入ったかごもまだ地面に置きっぱなしになっていた。これでは物盗りのように思われても仕方なかった。

「違いますよ。違います」男は釈明した。

「何が」

「これは、上が重いと思って。倒れたら子供とか危ないし……」

「いないんで、子供」店員は強い口調になってさえぎった。

「そうなんですけど……」男はごにょごにょと言った。

「勝手に入れ替えられたら困るんですけどね」店員は男にまともな理由がないのを見て取ると、わざとらしく口調を変えて詰め寄ってきた。「警察呼びますか」

「あの、いえ、すいません」

男はおとなしく非を認めた。棚がずれていたことはともかく、中身を勝手に入れ換えようとしたのは間違いだった。自分は店のスタッフでも何でもないのだ。

「元に戻しますか?」男は下手に出て言った。

店員は、言われなきゃ分からないのかよとでも言うように、これ見よがしなため息をついた。

それでもなお、男は己の気がかりを振り払えなかった。

「でも、子供とか……」

「いねえんだよ」

「やります」

男はすごすごと引き下がり、かごを元通りに戻した。

上段が液体洗剤、中段がポテトチップス、下段が徳用の使い捨てカイロ。どう考えてもバランスが悪かったが、もうどうしようもなかった。

店員に見張られながら、男はまるで使えないバイトになったような気分で棚を壁沿いに納めた。

少なくとも棚がずれているのを直したことだけは自分の手柄だった。男はほんの少しだけ自尊心を回復して店員を見た。心のどこかで一言礼を言ってもらえるものと期待していた。

「ストッパー」店員は不機嫌そうに言った。

「え?」男は何のことか分からなかった。

店員はむすっとしたまま棚の足元を指さした。

それでようやくキャスターの部分にストッパーがついていることに気がついた。それを効かせれば棚は動かなくなるのだ。

男は言われるままにストッパーを踏み込んだ。キャスターがしっかりとロックされる手応えがあった。

もともと棚がずれたのは店の人がこれをやり忘れたからだと気がつき、男は同意を得ようとして今一度店員を見た。

だが、店員は男が規律を乱す不届き者と決めてかかるような目で男を見ていた。

男は自分の発見を共有したかったが、何を言っても無駄だろうと出かかった言葉を飲み込んだ。そろそろ立ち去る頃合いだった。

男はぎこちなく頭を下げると、もと来た道を戻っていった。

通りを横断するときにちらりと振り返ると、店員はまだじっとこちらを見ていた。ドラッグストアが完全に視界の外に消えるまで、男は店員の視線を感じ続けた。



いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。