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排泄小説 16

 息ができなかった。おれは横ざまに倒れて激しくあえいだ。肺の中に少しずつ酸素が入ってきた。なぜか、生まれたてみたいなまっさらな気分がした。生まれたときのことなど何も覚えてないのに、そんな気分がした。
 部屋は完全に静まり返っていた。紫の煙、黒い光、そしておれのケツの穴の中の誰か。おれは今起きたことを順序立てて考えてみようとした。無理だった。何も考えられなかった。七人の小人たちの仕業ではなかった。例のワークソングは聞こえなかったから。もっと何か別のことが起きたのだ。おれの中で。おれからはちょうど見えにくいところで。おれのケツの穴の中で。
 ふと見ると、南真南が玄関のところにぼんやり立っていた。南真南のようなものが。鍵を開けたときからずっとそこにいたようでもあったし、たった今どこからともなく現れたようでもあった。そいつはゆっくりこちらに顔を向けた。あるような、ないような顔だった。影になって表情がよく見えなかった。生きているやつの顔ではなかった。
 南真南のようなものは、音もなくおれの方に近づいてきた。やばいと思うより早く、全身の毛が逆立った。そいつはおれのことを取って食おうとしていた。そうするつもりだとはっきり分かった。
 南真南のようなものが掴みかかってくるのを見て、おれの体は本能のままに動いた。おれはそいつにケツを向けていた。肛門丸出しのケツを。それでどうなるか分かっていたわけではなかった。おれはさらに両手を使って、自分で自分のケツの穴を広げた。さっき模糊山にやられたように思い切り。それ以上に強く。
 不思議なことに、今自分のケツの穴がどうなっているか、自分の目で見えるようだった。ぬぱっと開いたおれのケツの穴から紫の煙が噴き出して、南真南のようなものの腕に絡みついた。紫の煙は、そのまま南真南のようなものの腕をおれのケツの穴の中に引きずり込んだ。
 ずきゅうううん!
 おれの肛門が南真南のようなものの拳を飲み込んだ。南真南のようなものは暴れ馬のように激しく抵抗した。ちぎれそうになるほど狂った勢いで腕を振った。生きていたときのやつの力ではなかった。それを何十倍にもしたような力だった。それでもおれの括約筋の方が勝っていた。毎日毎日様々な色、形、大きさ、臭いのくそをし続けて鍛え抜かれた、おれの括約筋の方が。
 南真南のようなものは断末魔の叫びをあげた。おれのケツの穴は一度くわえ込んだら決して放さないスッポンだった。おれは四つん這いになり、脇をぐっと締めて踏ん張りをきかせた。南真南のようなものの頭を飲み込むと、ケツから全身に向かって猛烈な衝撃波が広がった。まるで自分が暴走特急にでもなったかのような気分だった。
 首をひねると、天井を向いた南真南のようなものの足が、まるで針でつつかれて破裂した風船みたいにでたらめに宙を舞い消えていくのが見えた。おれのケツの穴の中へ。
 ぶぽっ。
 おれのケツの穴が満足げにげっぷした。
 まるでバキュームカーだった。さっきと同じように生まれたてみたいな気分がした。さっきよりさらにいい気分だった。
 おれは途端にひらめいた。何もかも理解した。そうだったのだ。おれのケツの穴に神がいたのだ。全知全能、スーパーパワーの持ち主。至高の存在がいるとすれば、おれのケツの穴の中しか考えられなかった。他のどこにいるというのだ。
 灯台もと暗しとはこのことだった。ケツの穴に身を潜められていたのでは、なかなか見つけられないわけだった。おれのケツの穴である必要があったのだ。おれのケツの穴でなければならなかったのだ。
 なぜなら、なぜなら――。
 おれの目に自然と涙が溢れた。すべて分かった。今までの苦しみはすべて試練だったのだ。すべてこのときのためにあったのだ。何もかも計画の一部であり、すべて必要なことだったのだ。腹痛に苛まれることも、またうんこに行くのかといって笑いものになることも、紙がなくて途方に暮れることも、びちぐそでパンツを汚すことも、流せないほどのどでかいくその処理に難儀することも。何もかもこのときのためだったのだ。
 おれはケツの穴の中に神を持っていたのだ。
 おれはケツの穴の中に神を持っていたのだ。
 おれはケツの穴の中に神を持っていたのだ。
 今こそおれは自分のケツの穴の隠された力に気がついた。こんなものちぎり捨ててやりたいと何度思ったことか知れないが、おれにはこのケツの穴がなければならなかったのだ。このケツの穴でなければダメだったのだ。
 このケツの穴は、出すためだけについているのではなかった。入れることもできるのだ。吸い取って、神のもとへ送ってやるのだ。おれはただの媒介者にすぎなかった。おれはすべての穢れし者たちを神のもとへ送ってやるためにここにいたのだ。
 何か薄ら寒いような奇妙な感じがした。見ると、玄関のところに今度はやつが立っていた。滑石のジジイだ。しつこいやつ。だが、やつはちょうどいいときに、ちょうどいいところへやってきた。こっちへ来るんだ、ベイビー。
 ジジイはおれの部屋にあがりこんだ。おれを取って食う気なのはよく分かっていた。取って食われたら、とんでもなく苦しい目に遭うだろう。永遠に続く苦痛の中に放り込まれるだろう。だが、あいにくそうはならなかった。おれはもう今までのおれではないのだ。
 おれはふらふらと立ち上がった。模糊山に嗅がせられた薬のせいでまだ自由には動けなかったが、おれには神の恩恵を受けた聖なるケツの穴があった。
 滑石のジジイがどう動くか、手に取るように分かった。まるでおれが好きなようにコマ送りにできる映像だった。おれはひょいと手を伸ばしてやつの頭を掴むと、やつが前進してくる力を利用して体を引き倒した。それから両手でやつの頭を掴み直し、くるりと回転してその上にまたがった。
 おれはおれの聖なるケツの穴をジジイの頭頂部に押しつけた。まるで吸盤みたいにぴたりとくっついた。おれの肛門がぬぱっと口を開け、ジジイの頭にパーマの機械みたいに覆い被さった。隙間から紫の煙が噴き出した。これぞ神の吐息。ジジイはおれを振り払おうともがいたが無駄だった。おれの肛門はあっという間にジジイの頭を包み込んだ。
 ずきゅうううううん!
 ケツから全身の隅々へと猛烈な衝撃波が広がった。射精なんかの比ではない快感。さあ、お前を吸い取ってやる。ケツの穴の神に捧げる生け贄になるがいい。
 この体勢だとジジイのもがく様をじっくり見ることができた。ジジイは右に左に体をねじっては足をばたつかせた。だが、抜け出そうとすればするほど深みにはまるだけだった。
 おれのケツの穴はひくひく蠢きながら確実にやつを飲み込んでいった。まるで卵を丸飲みにする蛇だった。肩を飲み込むとき、おれは思い切りいきんだ。ジジイはもんどりうったが、もう勝負はついたようなものだった。あとは一気に行った。ジジイの下半身はシュレッダーに突っ込まれた廃棄文書の束みたいに、かたかた震えながら聖なるケツの穴に飲み込まれていった。
 ぶぷっ。
 神よ、お味はいかがでしたか。
 おれは床に倒れ込んだ。全身の血管が膨張して、激しく脈打っていた。じっと横になってそれが収まるのを待った。
 おれ一人だった。大の字になって天井を仰ぐと、静けさが体に染み入るようだった。危機はすべて過ぎ去った。南真南も模糊山も滑石のジジイも、みんなおれのケツの穴に飲み込まれた。おれの邪魔をするやつは一人残らずみんなだ。
 おれはもう今までのおれではなかった。おれのケツの穴は、もう今までのケツの穴ではなかった。おれは起きあがってベッドの上の金を取った。この金があればやり直すことができる。おれに必要なのはゼロからやり直すことだ。場所を変え、名前を変え、顔を変え、仕事を変えるのだ。そのためにおれのケツの穴に神が遣わされたのだ。神は我がケツの穴を祝福しておられる。
 今こそ行動を起こすときだ。すべてを変えよう。ケツの穴以外のすべてを。そう、ちょっと休憩してから。少しくらいは時間があるだろう。働きづめのおれには休息が必要だった。おれはそっと目を閉じた。部屋を通り抜ける風が、疲れた体に心地よかった。


いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。