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63 フクロウ

ある朝、男は目を覚ますと朝食に湿気たせんべいを食べた。熱い緑茶をすすり、口の中を火傷した。口蓋から垂れさがった薄皮を舌先で弄りながら身支度を整えていると、もう出かける必要はないのだということに思い至った。昨日、仕事をクビになったのだ。

男は都内のあるフクロウカフェにフクロウの珍種として勤めていたが、着ぐるみをかぶって隅でじっとしている男に客たちは近寄ろうともしなかった。表向きには他のフクロウたちと打ち解けないことが解雇の理由とされた。

男はフクロウの着ぐるみを着たまましばらく何をするでもなく立っていた。やがて、台所の流しの下の収納棚に入ってみることを思い立った。この手狭なアパートにあっては押し入れの上の段がもっとも居心地のいい場所だったが、仕事をなくしたからにはそうしたことも変えていかなくてはならなかった。

流しの下は暗くじめじめしていて、思った以上に快適だった。男は、試しに一日ここでじっとして過ごしてみようと思った。その矢先、誰か訪ねてくるものがあった。のそのそ這い出て玄関を開けてみると、新興宗教の勧誘だった。

「ちぇっ、フクロウが相手じゃしょうがねぇや」

相手は言った。男としては興味を引かれないでもなかったが、訪問者はくるりと背を向けて行ってしまった。

昼下がり、男が餌を探してベランダを行ったり来たりしていると、下の通りで何やら人々がざわつきはじめた。気にも留めなかった。男は手すりのところにカマキリを見つけると、口でくわえあげ、上を向くようにして一気に飲み込んだ。好みの味だった。その拍子に口蓋の薄皮がちぎれ、男はそれも食べた。

地元の猟友会がやってきて、ベランダの手すりの上でくつろぐ男に猟銃の狙いを定めた。男は首をかしげて銃を見返した。銃声が鳴り響いた。男は地面に落ち、周りに人々が群がった。

それがフクロウではなく人間だということに気がついたものもいたが、誰もはっきりとは口に出さなかった。誰かが「こいつ、フクロウカフェで見たことある」と言うと、一堂はやはりフクロウでよかったのだと胸を撫でおろした。

男は動物専門の火葬場で焼かれた。骨は細かく砕かれて灰になった。フクロウカフェで一緒に働いていたアルバイト店員が山へ行き、その灰を崖から撒いた。そのとき谷底から風が吹き上げ、男は初めて空を飛んだ。



いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。