勉強する意味ってなんなんだろう

なぜ、勉強をしたほうが良い、と言われているのでしょうか??

そもそも、本当に勉強ってしたほうが良いのでしょうか??

たかが中学校から大学までの10年間の勉強の結果が、大半の人たちの、その後の人生全てを決めてしまう、って思われてるのって、なんでなのだろうという疑問はありませんか?
(何歳になっても出身大学を聞かれる、ってどういうこと??)

私自身は、小学校の時にJリーグを見てる時に、井原さん、中山さんを観て、筑波大学に行けば、プロになれる!という勘違いをしたのがきっかけで、筑波大学に入るために勉強を頑張りました。
正直に、勉強したのは本当にそれだけの理由で、実際に筑波大学に入った後の4年間はあまり勉強をしませんでした。(両親には申し訳ない。。。)

では、それなりに勉強をして、社会に出て、その後、レールを大きく逸脱してはしまいましたが、それなりに生活している一人の大人として、勉強ってしたほうが良かったのかどうか、なぜ勉強をしたほうが良いと言われているのか、を私の経験を通じて、少し通常とは違う視点から考えてみたいと思います。
(※知識を得る、などの一般的な理由はここでは割愛します)

自分の子供時代の勉強を振り返ってみると、基本的には、日常にあるもので、且つそれで評価されるというあまり居心地の良い存在ではなかったのではないかと感じています。

でも、きっとしたほうが良い。というのはなんとなく分かる。

では、それはなんでだったのでしょうか??

今の私が思うに、それはきっと『勉強をすることに慣れる』ことが社会に出て大切なことだからだと思っています。

社会に出たら、他者から勉強を強制される場面はそれほど多くありません。ましてや、会社が何かしらの講義をしてくれるなんてことは、2、3日(長くても1週間程度)の研修以外に与えられることはありません。
その中で、自己表現をし、自分の目標を達成するため、または自分の立ち位置を作るため、極端にいうと給料を上げるためには、何かを学ばなければ他の人と同じになってしまいます。

そこで重要になってくることが勉強(学び)なのです。

繰り返しになりますが、何かを目標にして、それを達成したい!という時に、『学ぶことに対して心の障壁が高くないこと』、これがすごく重要だということです。

私も含めて多くの人は、自ら学ばなければいけないことがあることを知っておきながら、学ぶことを少し億劫だと思ってしまい、その後にある成功を棒に振ってしまうことが多々あります。また、ある人は、勉強すること自体に嫌悪感や苦手意識を持っているがために、学ぶこと自体を避けてしまうことがあります。

それとは逆に、勉強すれば自分の思ったところに辿り着ける可能性が高くなることを知っている人は、少しの時間でも自分のために勉強をするでしょう。もしかしたら、大人になるとそれは、勉強という名前ではなくて、学び、趣味、興味、という名前に置き換わってしまう人もいるかもしれません。

その結果、きっと自分のなりたい職業や資格を取ったり、自分のやりたいこと、なりたい役職に就くことができているのではないかと思います。

今、学生として勉強している人は、大人になった時に、自分の目標を達成するために効率的な勉強の仕方を知ることや、自分がなりたいと思ったものへの道を知ること、何を勉強すれば目標を達成できるのかを知ること、勉強に心の壁を作らないことが目的だということを少しだけ頭の片隅に置いておいてみてください。

また、運動や文化活動を頑張っている人も、負けたこと、悔しかったこと、上手くいかなかったことから、さらに上達するために前以上の努力をすると思います。そして実際にそうやって上手くなってきたと思います。
それもまた、学びなのです。
失敗しても、負けても、そこから立ち直って努力すれば、さらに良い結果が待っている。そのことを知っている人は、どこかで挫折してしまっても必ず、その後に成功や上達が待っていることを知っているので、そこから這い上がることができるのです。

きっと子供の頃に勉強(学ぶこと)に慣れている人は、大人になってもその大切さにすぐに気が付くことが出来るはずです。

もちろん、大人になってからでも遅くはなく、たかが13歳からの10年の勉強の結果で、その後の人生を決められては、たまったものではありません。
大人になってからでも学びを始めれば、間違いなく5−6年で、勉強してきたけど、学び続けられなかった人を追い抜くことができると信じていますし、必ずそうなります。


学生が勉強する意味ってなに?


と問われれば、


私は、大人になった時に
『学ぶことに対して、心の壁をなくすために必要である』
と回答すると思います。

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