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音楽家と歴史・社会 -35: ショスタコーヴィチと全体主義

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。
今回のテーマは、とても重いです。正直自信がないですが、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)の交響曲についてです。8月12日の早稲田フィルハーモニー管弦楽団OB関係者によるEnsemble MUSIKQUELLECHEN-EMQ- の定期演奏会の演目に触発されました。

1945年8月は、日本の歴史において最も悲劇的な出来事が起きた月である。第二次世界大戦の最終局面における米軍による2度の原子爆弾の投下、各都市への空襲、そして、中立条約を一方的に破棄して、ソビエト連邦の軍隊が、大日本帝国が実効支配していた地域に襲いかかった時期である。
同年8月15日正午の天皇によるポツダム宣言受諾に関する「終戦の詔書」の放送の後も、大陸においては、日本人の生命と財産に対する深刻な脅威が続いた。

その頃、モスクワで、某交響曲の作曲の仕上げに没頭する男がいた。ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(以下「ショスタコーヴィチ」)である。
後に、交響曲の「戦争3部作」と言われる第7番、第8番及び第9番のうち、最後の交響曲への取り組みは、連合国の勝利が確定的になった1944年末に着手された。
私の本曲との出会いは、大学生として京都に下宿している時に友人の部屋で聴いたLPレコードだったと記憶している。30分に満たない交響曲で、レコードのジャケットも子供が描いたような絵柄だったような気がする。

しかし、ショスタコーヴィチにとって、交響曲第9番の作曲は自らの生命を賭けた仕事だった。
ロシアでは、第二次世界大戦での対ドイツ戦争は、「大祖国戦争」と呼ばれている(対ナポレオン戦争は「祖国戦争」)。その勝利を祝うための交響曲の成功に、ヨシフ・スターリン(人民委員会議議長・閣僚会議議長)をトップとする共産党幹部は、ソビエト連邦の威信を賭けていた。
ショスタコーヴィチ自身も、周囲に「祖国の勝利と国民の偉大さをたたえる交響曲を制作している」と語ったらしい。そして、偶然にも9番目の交響曲は、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーなどドイツ系の作曲家が最後に取り組んだ傑作であり、ソビエト連邦の人々の期待は弥が上にも高まっていた。

「戦争3部作」の最初の交響曲第7番「レニングラード」は、100万人近くの餓死者を出したレニングラード包囲戦(1941年9月8日 - 1944年1月27日)での絶望的なロシア人の抵抗を表すものとして、1942年3月の臨時首都クイビシェフでの初演の後、イギリスやアメリカ等で演奏された。特にアメリカでは62回も演奏され、トスカニーニ、ストコフスキー及びクーセヴィツキーの三大巨匠?の間で争奪戦が起きたらしい。

「レニングラード」を超える傑作を期待されたショスタコーヴィチは、ソ連軍が旧満州国や北方領土を蹂躙している最中の1945年8月30日に、交響曲第9番変ホ長調作品70を完成させた。そして、同年9月4日のリハーサルを経て、同年11月3日にエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の演奏により初演された。

前述の通り30分もかからない本曲は、打ち負かしたドイツが生んだ楽聖ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を超える大作を期待していた共産党幹部達の不興を買った。
5つの楽章から構成されているが、第3楽章~第5楽章は連続して演奏されるため、何となく終わってしまう。ただ、第5楽章の軽快な旋律は耳に残り、聴けば聞くほど良さが出てくる名曲である。この旋律は、ユダヤ人の民謡から採られていると言われており、ナチス・ドイツが犯した人類史上最大の犯罪である「ホロコースト」での犠牲者を弔うものなのかもしれない。

全くの個人的な意見ではあるが、スターリン達は、チャイコフスキーやラフマニノフのようなスラブ風の旋律を主題とした終楽章を期待していたのではないだろうか?(ロシア国歌が含まれた1812年 (序曲)みたいな、わかりやすい曲!)
それに対して、ショスタコーヴィチは、ある種の意趣返しをしたのだろうか?それらに関する当事者の陳述は残されていない。

史実は、本曲を契機に「皮肉っぽい懐疑主義と様式主義から抜け出していない。」などの悪評が出されて、ショスタコーヴィチは疎まれ、ジダーノフ批判(1948年2月10日、ソビエト連邦共産党中央委員会による文化、芸術に対するイデオロギーの統制)につながっていったことである。

翻って、第二次世界大戦の敗戦国となった日本では、文化、芸術を巡る政争や迫害は、ほぼ見られなくなった。他方、もう一つの隣国では、1960~1970年代にいわゆる「文化大革命」が起き、文化人のみならず多くの知識人等に対する殺害、辱め等がなされた。

現代においては、ショスタコーヴィチは、20世紀最大の作曲家の一人として、揺るがない評価がなされている。機会があれば、ロシア、ウクライナその他スラブ圏の方々の意見を率直に聴いてみたい。
そして、日本の政治家や知識人にも、正確な歴史観を持ってほしいと思う。

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