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手話は描写力にすぐれた少数派の言語。その豊かな世界。

「見る言語」を使って暮らしている人たちがいます。

見たものを生き生きと伝える描写力に長けた「手話」を母語とする人たち。圧倒的多数を占める「話す言語」と地続きでありながら、大きく異なる文化や規範、慣習の中で生きています。

ふたつの言語世界をともに知る、ろう学校・明晴学園の元理事長でジャーナリストの斉藤道雄さんに話を聞きました。

聞き手は、ろう者を親にもつCODA(コーダ)で、ライターの五十嵐大さん。

豊潤で奥深い「見る言語」――手話の世界をのぞいてみました。

「描写する力」に優れた手話という言語

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日本で使われている手話は、大きく「日本語対応手話」と「日本手話」の2つに分類される。日本語対応手話は本質的に日本語で、日本語の語順に合わせて手話の単語を並べる表現方法。一方、日本手話は日本語とは別の言語で、手や指の形、動きとともに、視線、顔の表情、首振りなどの非手指動作が文法の核心部分を担っている。そのため、顔の表情は感情を表現するためだけではなく、文法の一部として言語に組み込まれている。日本手話は「伝統的手話」とも呼ばれている。

――新型ウイルスの影響で、オンラインによるコミュニケーションが広がりました。でも「相手にうまく伝わらない」といったジレンマを抱えている人が多いと聞きます。私たちは、いかに視覚と聴覚によるコミュニケーションに頼ってきたのかを痛感しました。そこで気になるのが、視覚からの情報のみでやりとりをする手話の世界です。

斉藤:私たち聴者からすると、音声言語の方が、細やかな説明や描写ができて伝わりやすいと思いがちです。手話で複雑なことを伝えられるのか疑問に思う人もいるでしょう。でも、まったく問題ありません。微妙なニュアンスを伝えるとき、むしろ手話の方が向いていると感じるくらいです。

手話は、目で見たものや状況を言語化し、再現するのにとても優れています。目で見たものを表現する語彙が多く、その語彙を生き生きと表現する文法があるし、さらにはCL(Classifier)と呼ばれる、ジェスチャーを文法化したような技法があるからです。

たとえば日本語で「ボールが地面をはね返った」というのを、手話ならどんな大きさのボールがどれくらいのスピード、角度でどの方向にはねていったのか、瞬時に動画のように表現します。だからこそろう者は、そのような表現ができない音声語を「もの足りない」と思うようです。

また、ある目的地までの道順を説明するとき。私たちは「駅から真っ直ぐ行って、次の角を曲がって」と言葉で話しますが、込み入った道順だとなかなか伝わらないことがありますよね。

でもろう者は一度手話で伝えれば間違えることはありません。手話だと、道順がまるでストリートビューのように伝わるからでしょう。音声語で「コンビニの先を左へ」といっても、人は右と左を正確には覚えられないこともあります。でも手話の手の動きが「コンビニの先を左」だったら、視覚情報を脳内に刻むことになり、それを見たろう者は道順を間違えることなく覚えられるのです。

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誰かと話がうまく通じていないとき。手話では「コミュニケーション」を意味する単語を両手の指先で表現しますが、この指先をずらすと「ディスコミュニケーション」、つまりうまく通じていないという意味になります。

そのずらし方、方向、速度で、どの程度伝わらなかったのか微妙に表現するのです。その上で眉を寄せていれば「困ったもんだ」になるし、口を引き結べば「しかたないよね」になる。そういうデリケートさを含めた多重表現が「話が通じない」の手話単語ひとつでできます。

 手話言語学の研究者でもある松岡(和美・慶應義塾大学教授)は「日本手話には日本語とはかなりちがう特性があり、ときには日本語より細かいルールがある」という。たとえば「ない」という否定形の表現がそうだ。
  具体的な例でいえば、日本語の「納豆は食べない」という文は、手話だと「ない」の表現が何通りにもなる。「食べることをしない」のか、「嫌いだから食べない」のか、アレルギーなどで「食べることができない」のかで、手話はそれぞれに「ない」の表現が違う。一方、日本語はどれも同じ「ない」である。そこだけみれば日本語は単純で、手話はより複雑で洗練された言語だということもできるだろう。(みすず書房『手話を生きる』より)

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――手話は「描写する力に優れている」ということでしょうか?

斉藤:その通りです。映画の面白さを伝えるとき、私たち聴者がいくら言葉を重ねても、実際の映像にはまったくかなわないですよね。ところが、ろう者がそれを手話で表現すると、目の前で映画を観ているかのような臨場感すらある。手話には映像を伝える力があるのです。少なくとも映像や自分が見たことを言語化する点では、手話のほうが優れていると思います。

さまざまな年代のろう者が集まって生活している寄宿舎でのエピソードを聞いて、驚いたことがあります。仲間同士でお金を出し合い、ジャンケンで決めた一人が映画館に映画を観に行く。映画館から帰ってきた一人が、仲間を集めて、オープニングからエンディングまで映画のシーンを手話で再現して見せるのです。

それがまるで映画を1本観ているかのようなクオリティで、臨場感も含めた作品の魅力が伝わると聞きました。

これはアメリカで聞いた話なのですが、日本のろう者も全く同じことをしているそうです。

あくまで一例にすぎませんが、幼い頃から手話を使ってきたろう者は、視覚から取り入れた映像を記憶する能力に長けています。彼らの手話は「見ること」が重要ですから。

「見ること」がいかに重要なのかは、部屋の作りにも現れてきます。ろう学校にチャイムやベルはなく、授業の開始・終了のシグナルはすべて「明かり」です。そして、見通しの良い空間が大切にされているため、教室と廊下を隔てる壁やドアには必ず窓がついています。部屋の中に誰がいるのかわかるし、窓越しに手話のやり取りもできるようになっています。

このように「見ること」がコミュニケーションの基本になっているろう者からすると、聴者のコミュニケーションは不思議に感じることがあるそうです。よく言われるのが、「どうして顔を合わせずに話せるの?」ということ。

また、聴者がお辞儀ばかりするのも、ろう者にとっては奇妙に映るようです。お辞儀をしたままでは、相手の表情も動きも見えません。それでは手話でのコミュニケーションは成立しませんから。


車を運転しているときでも、ろう者はよく助手席にいる相手の目を見ます。危ないと思うのですが、それで事故になったという話は聞きません。

相手の目をじっと見るろう者と、じっと見られることをストレスに感じてしまいかねない聴者とでは文化が違うように思います。「目の人」であるろう者は、相手を見つめ、自分もまた相手に見つめられるので、隠しごとができないというんでしょうか。否応なく自分を開かなければならない。そういうろう者から見ると、聴者同士の関係はどこか薄く、あいまいな印象があるようです。

とても興味深いことですが、多くのろう者は日本の聴者より外国のろう者に親近感を感じています。ろうであること、手話を使うことがろう者同士を結びつけているのでしょう。

手話の世界で「自分の無力さ」を痛感した

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――自著『手話を生きる』のなかで、初めて手話文化と出合ったときのことを鮮明に書かれています。

斉藤:90年代初めごろ、たまたま手話について言及している記事を読んだのですが、そこに「手話は立派な言語である」と書かれていて驚きました。当時の私は、手話を言語だとは思っていなかったんです。

その後、93年にアメリカにあるギャローデット大学を訪れる機会に恵まれました。ろう者が通う大学で、そこでは手話が飛び交っていた。ただし、当時の私は手話ができませんでした。通訳として付き添ってくれた人がろう者と手話で会話している様子を眺めているしかなかったんです。

キャンパスにいたのはわずか2時間あまりでしたが、その間ずっとどうすればいいかわからず、心細かったことを覚えています。

当時はジャーナリストの仕事をしていましたから、外国に行く機会も多く、日本語が通じない場面にも慣れていました。英語を使えばある程度のコミュニケーションが取れますし、どうしようもなくなったら日本語で「意味がわかりません」と言えばいいんです。それだけで困っていることが相手に伝わりますから。つまり、音声の世界にいる限りは、言葉が通じなくとも最低限のコミュニケーションが取れると思っていたんです。

けれど、手話の世界では、なにも伝えられない。無力さを痛感しました。

同時に思ったのは、「障害者」と「健常者」という概念は簡単にひっくり返ってしまうということ。手話の世界に身を置くと、音声言語を使う私がマイノリティになるんです。

このときの体験は、後にろう者を理解する上で役立ちました。あのとき私が感じた無力感は、ろう者が聴者の世界で感じているものと同じなんです。

周りに話しかけたいけれど、通じない。どうしたらいいのだろうと、徐々に力が抜けていく感覚です。


――その後、ろう者の世界を取材されるようになりますが、印象に残っていることはありますか?

斉藤:本にも書きましたが、ろうの学校・明晴学園教師の長谷部倫子さんを取材したときの児童の話ですね。

「中途失聴の人の話をしたら、『病気で途中から耳が聞こえるようになることってある?』ってすごく不安そうに聞いてきて。ないと思うよっていったら、みんなちっちゃい声で(手話で)『やった!』って(笑)」
(中略)
聞こえないということは、ことさら認識し、受容し、克服しなければならない障害ではない。あなたは聴の子と同じように学び、遊び、よろこび、悲しみ、育つことができる。明晴学園はろう児をそのように育てたいと設立されたろう学校だった。(みすず書房『手話を生きる』より)

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さらに衝撃だったのは、ろうのお母さんに話を聞いたときのこと。その方にはふたりのお子さんがいましたが、どちらもろう児でした。それに触れると、「自分の子どもがろう児で、本当によかった」と言ったんです。

当時の私は、聴こえないことはつらく、哀しく、大変なことだと思い込んでいました。だから、子どもには聴こえることを望むはずだ、と。けれど、そのお母さんは違いました。

深く考えてそう言っているわけではないし、もちろん子どもがどちらでも大切に育てる。だけど、ろうとして生きてきた自分と同じ立場でわかりあった上で話せる仲間が増えたことを喜ぶ。そのお母さんが特別なのではなく、何人ものお母さんがそう思っていました。

自分の子どもに自分と同じ障害があることを望むなんて、ほかの身体障害者のケースでは聞いたことがありませんでした。もちろんそうではない人もいますが、こうした考えはおそらく、ろうの世界特有でしょう。

「口話教育」によって手話を奪われてきたろう者たち

――ろう者が経験してきた苦労というと、やはり大きいのは「口話教育」でしょうか。

斉藤:そうですね。口話教育に苦しんできたろう者は多いです。

口話教育とは「訓練すればろうの人も話せるようになる」という考えに基づき、ろう学校で実施されていた教育です。教師の口の動きを読み取り、聴者と同じような発話に近づく訓練が中心でした。

でも、それは無理な話です。たとえば足のない人に対して、訓練すれば足のある人と同じように走れるようになりますよ、というようなもの。とても乱暴な解釈です。加えて、2009年ごろまでは、多くのろう学校で手話を使うことは禁じられていたのです。

口話教育の推進と手話の禁止により、口語も手話も不十分なまま大人になったろう者たちは少なくありません。言語は本来、思考を深めていくための「道具」ですから、これは非常に罪なことです。言語の発達が不十分なまま大人になってしまった大変さは、一生続きますから。


――口話教育が推し進められてきたのは、どうしてでしょうか?

斉藤:やはり聴者側に「手話では伝わらない」という思い込みがあるからでしょうね。手話を言語として認めず、不十分なものだと思ってきた。だからこそ、ろう者に音声言語を教え、少しでも聴者に近づけようとしたんだと思います。ろう者も音声言語が身につけばものすごい力がつくと思い込んできた。

でも音声言語を話す私たちだって、満足に意思疎通ができているかというと、そうでもないでしょう?

それなのに、ろう者が音声言語を使おうとしてうまく伝わらないと、自信をなくすし「自分はバカなんだ」と思い込んでしまう。

私がインタビューをしたときは、複数のろう者を集めて話してもらった方が盛り上がることが多かった。彼らは生まれたときからずっと聴者に合わせて生きてきたんです。だから仲間と一緒だと安心してリラックスして話してくれる。

こう話す私自身、手話に出合った最初の2、3年は、どうしても疑問を捨てきれませんでした。音声言語のように細かいニュアンス、複雑な説明まで本当に伝わっているのだろうか、と。

そんな私を助けてくれたのが、ろう者を親に持つ「コーダ」の人たちでした。彼らは音声言語の世界、手話の世界の両方に立っている。手話で本当に意思疎通が十分できているのかと聞くと、彼らは迷いなく「大丈夫だ」と言ったんです。

※コーダ(CODA)とはChildren of Deaf Adultsの頭文字をとった単語であり、ろう者である親のもとで生まれ育った“聴こえる子ども”を指す

ろう者の社会に思い切って飛び込んでみる

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――ろう者と手話の世界を知るために、できることはあるのでしょうか?

斉藤:まずは、いわゆる健常者以外の人たちは不幸なんだという思い込みを捨てるべき。たとえばろう者の場合は、人生を本当に楽しんでいる人たちも多いんです。彼らにとっては聴こえないことが当たり前で、それを不幸だとは思わず、とても幸せそうに生きている。それを外から見て、「彼らはつらくて、大変で、不幸なんだ」と判断してしまうのは視野が狭い。

まさに私がギャローデット大学で体験したように、マジョリティとマイノリティという概念はひょんなことで入れ替わるものです。

ろう者のことを知りたいと思うのであれば、まずはろう文化に飛び込んでみてほしい。それは聴者が大勢いる場所にひとりのろう者を招待して触れ合う、という意味ではありません。

ろう者しかいない場所に、たったひとりで飛び込んでみるんです。すると、当たり前に通じていた音声言語が通じず、心細さを感じるでしょう。

それはろう者が社会で感じている気持ちそのもの。そのように立場をひっくり返すことで、初めて見えてくるものがあると思います。


私はろう者を障害者だとは思っていません。もちろん、社会的にはそう分類されてしまいますが、私からすると彼らは「ちょっと変わった人たち」なんです。

その変わった人たちが築いている社会に興味を抱き、面白がることで、いかに彼らが豊かな暮らしを送っているかがわかります。

そもそも、みんなが同じだったらつまらないと思いませんか? みんながちょっとずつ違うから、この社会は面白いんです。

(取材・文:五十嵐 大 撮影:川しまゆうこ 編集:川崎絵美)

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斉藤道雄(さいとう・みちお)
1947年生まれ。ジャーナリストとして先端医療、生命倫理、マイノリティ、精神障害、ろう教育などをテーマに取材してきた。08年からの5年間、明晴学園の校長を、その後の4年間は理事長を務めた。著書に『原爆神話の五〇年』(中公新書)、『もうひとつの手話』(晶文社)、『悩む力―べてるの家の人びと』(みすず書房)、『希望のがん治療』(集英社新書)、『治りませんように―べてるの家のいま』(みすず書房)、『きみはきみだ』(こどもの未来社)など。近著は2020年5月に出版された『治したくない―ひがし町診療所の日々』(みすず書房)。 
執筆者
五十嵐大(いがらし・だい)
1983年生まれ。フリーライター。ろう者の両親のもとで育ったコーダ。聴覚障害者をはじめとする社会的マイノリティの人たちの取材を中心に活動している。

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Torus(トーラス)は、AIのスタートアップ、株式会社ABEJAのメディアです。テクノロジーに深くかかわりながら「人らしさとは何か」という問いを立て、さまざまな「物語」を紡いでいきます。
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