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"脳筋"力

ラクロスは、怪我が付き物のスポーツですが、自分自身あまり怪我に悩まされたことがありません。その要因は様々ですが、実は「手を抜く」ことで怪我を回避してきた部分も少なからずあると思います。怪我をしそうになったら「手を抜く」技を今まで器用に駆使してきました。ウェイトトレーニングはある意味「+アルファ」としてやっていたし、体を限界の限界まで追い込むことを避けて来ました。

特に大学ラクロスは四年間と時間が限られており、そこで結果を出すには、怪我をしないで試合・練習に出続けることが何より肝心だと思っていました。とにかく疲労を溜め過ぎないこと、怪我をしないことに注意し、費用対効果の高い練習を効率良くすることに注力して来ました。

「手を抜く」と言っても、他人には分からない程度のほんの僅かな手の抜き方で、手を抜いている実感もさほどありませんでした。こんな言い方はしつつも、それなりの量はこなして来ましたし、大学四年間それなりに頑張ったという自負もあります。


ただそれはあくまでも日本ラクロスコミュニティ内レベルの話。結局、大学ではそれなりの結果を残すことができましたが、逆に言えば「それなり」止まり。

最近は「このままではいけない」「大学の時以上の練習をしなくてはならない」と思うようになっています。9、10月に他競技のトップを目指す選手たちとトレーニングをする機会があり、特に自分の非力さを実感しました。彼らの中には、「良いトレーニングだった、というレベルでは駄目。自分を殺すつもりでやっている。」と言う選手もいて、自分に甘かったんだなあ、とつくづく情けなくなりました。それなりのトレーニングではそれなりのプレーしかできない、それなりの結果しか出ないのは当たり前でしょう。

日本ラクロス界においてよく話題に上がる「ウェイトトレーニングは必要なのか」という議論。確かに全くウェイトトレーニングをせず、線が細くても活躍する選手もいます。ただそういう選手は基本的に特殊な何かを持っている選手です。基本的には出力の高い選手の方が活躍するし、特殊な何かを持たない限り出力の低い選手は話にならない。僕ら凡人がもっともっと高いレベルでやっていくには、やれることを、筋トレを、やるしかないと思うのです。



「とにかく筋トレするしかない」「限界まで追い込むべき」と、なんとも精神論に寄った"脳筋(脳みそ筋肉)”的物言いをしました。このような古い体育会的考えは淘汰されつつあり、「効率」「近道」と言った言葉に取って代わられています。ただ、最近このような"脳筋"らしさが重要、むしろ一番大事なのではないか、と思い始めています。

筋トレを例に使いましたが、筋トレに限らず何においても同じことで、何事も"脳筋"になり切って、ある意味思考を停止して、"やる"ことが大事なのでしょう。「これをやったほうが良い」というのは誰しもがなんとなく分かるものの、それをとことんできる人はほとんどいません。未来への不安、過去の後悔、費用対効果や他のオプションを一旦無視してとにかくやり抜く力。ゴタゴタ言わずにとりあえず"やる"。どの世界でも一流と二流を分ける部分なのではないでしょうか。そして、体格でも経験値でも劣る自分が世界で戦うには今後武器にしなくてはならない部分なのでしょう。

最近は無駄に「悩む」ことが多く、どこか一発逆転的な何か、「棚から牡丹餅」的な何かを期待していた節があります。「悩む」と言っても「考える」ことの対極にあるもので、漠然と思いを巡らせていただけに過ぎません。具体的に何か「考えて」いた訳ではありませんでした。今やるべき、やれる「筋トレ」を追い込んでやれていた訳ではないのです。

確かにきちんと計画を立てたり、努力の方向性が合っているかを確認する作業は必要です。ただそれがメインになってはいけない。あくまでも"やる"ことがメインで、出し惜しみせずにとことん"やり続ける"ことが肝要だと思います。

壁当ても、ウェイトトレーニングも、練習も、noteを書くことも、クリニックも、通訳も、いくらでも追い込む・レベルアップする余地がある。というより余地しかないです。ごたごた「悩む」暇あったら上記のような「筋トレ」をすべきだし、正解は「筋トレ」の中にあるのでしょう。

これら「筋トレ」の追い込みにおいて「これくらいでいい」と納得できるポイントなんてないし、ある意味ずっと自分との闘いに負け続けることになります。それでも少しでも抵抗する。基準を上げていく。そこに価値があると思うのです。

誰にでもできるようなことを、自分なりに工夫して、丁寧にかつ全力でやり続ける。そうすることで特有の強みや「自分らしさ」が出てくるのだと思います。

今こそ"脳筋"力が問われている、そう思います。

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