見出し画像

『一斉授業をハックする』から⑤

 次の記事の中で、現状の定期考査の問題点に触れた。

 定期試験がある教科とない教科があり、国社数理英はたいていの場合定期試験がある、という現状の中で、とくに国社数理英のテストの採点に追われる先生の姿は学期末の風物詩となっている。他教科の先生がその時期にラクをしているといいたいのではない。定期試験でないと学習評価をできないという呪縛がこれらの教科にはあるのではないか。そうした現状はなかなか変えられない、という日本の教育事情がある一方で、中間試験をやめるという動きが一部の中学校・高等学校(の一部の教科)で生まれていることを知った。それは学習評価の形式を多様化するいい手段だと思われる。

 『一斉授業をハックする』の本の中でも、「定期試験で評価すればいいじゃないですか?」という伝統派の声にどう対処するかが課題の一つとして挙げれている。

 定期テストや学期末レポートで評価しています。それで十分なのでは?
 →データには多くの形式があります。テストやレポートはその二つにすぎません。総括的な評価だけで十分と思いこみがちですが、教師は生徒を複数のレンズと形式で見る必要があります。つまり、学力の形成段階を通してさまざまなデータの収集をしなければならないということです。
 多くの種類のデータを収集すれば、生徒が知っていることやできることをより深く理解できますし、苦手な分野に対してもより効果的な指導が可能となります。

pp.202-203

 「テストやレポートはその二つにすぎません」とあるが、日本の中等教育国語科の総括的評価(成績につなげる評価)の現状からいえば、まずは、「テスト」に加えて「レポート」を行うという評価形式の増加を行っていくことからであろう。テストとレポートの比率を同じぐらいにして、レポートやスピーチなどの言語的パフォーマンスなどの評価も加えていくことが、生徒を多面的に捉えることにつながるはずである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?