なぐもとおる/飲食店経営・ライター

札幌円山の飲食店『円山炭馳走鉄八』店主。 前職は外資系証券マン。毎年20軒以上、生産者…

なぐもとおる/飲食店経営・ライター

札幌円山の飲食店『円山炭馳走鉄八』店主。 前職は外資系証券マン。毎年20軒以上、生産者を訪ねている。集客はファン顧客へのメルマガに特化して、1通のメルマガで、10周年コースは連日満席に。 飲食店集客経験を活かして、「食のライター」として活動。お酒好きだけどスイーツも大好き。

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札幌丘珠の大作さん、100年以上続く玉ねぎ農家さん。「札幌黄」が待ち遠しい!

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    「十勝」の財産はヒトでした!

    今回は、5年前の十勝での話。 北海道のブランド牛、『神居牛』を育てている佐藤さんの牧場を訪ねました。 牧場の事務所でお話いただきました。 どれだけ私がこの肉を気に入ったか、お出ししたお客さまが絶賛していたか、いきなり初対面の佐藤さんに、力説してしまいました。 「なんでこんな美味しい肉ができるのですか?」 (直球すぎる質問!) 「なんかみんなそういうんだけど、わしにはわかんないだよな。」 (え~、なんか秘密あるんじゃないの?) 「牛って『経済動物』だ

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    最初の話は、今から5年前、2泊3日の道東を巡る旅での話。 釧路、白糠、厚岸、そして根室を回る旅でした。 走った距離は950キロです。 東京から高速走って山口県の門司、本州の端まで行けちゃう距離でした。 とっても濃い3日間でしたが、一番の感想は、 「厚岸の夜は熱い!」でした。 厚岸のブランド牡蠣「カキえもん」の生みの親、カリスマ漁師と呼ばれるのが中嶋均さんです。 お会いするのは2回目でした。 茶路めん羊牧場武藤さんの紹介で、初めてお訪ねしたのが2年前

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    元証券マンが、52歳から始めた飲食店経営を、コロナ禍も乗り越え10年以上続けられているのは?自己紹介vol.3

    お客が来ない日に、部屋で見た動画が始まりでした。 「もう閉めてしまったと思っていた店を、娘の旦那が東京での仕事を辞めて、続けてくれることになった」 地元のファンからしたら、美しくも嬉しい話です。 多少焦げてしまったりしても、なかなか料理が出てこなくても、温かい目でみていただきながら、お店はスタートしました。 証券会社とは全く違う、なかなかしんどい毎日でしたが、少しずつ慣れていきました。 スタートラインが低かったので、右肩上がりで売上も上がっていきます。 ところが、飲食

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    元証券マンがなぜ飲食の世界に飛び込んだのか?自己紹介vol.2

    バブルだった証券マン生活が飲食店経営に役立つなんて! 入社前に勤務地希望をきかれて、「仕事に集中したいから札幌以外で」とお願いしたはずが、最初の赴任地は札幌でした。 美味しい食事とデート代に釣られて始まった、札幌での野村證券生活が甘いわけがありません。 それでも入社1年目で結婚をしたお蔭か、3年目で新人の教育係をやったりして、4年目の年に転勤が告げられました。 転勤先はなんと、営業の精鋭が集まると言われていた、本店営業部でした。 何かの間違いではと、耳を疑いました。

    元証券マンがなぜ飲食の世界に飛び込んだのか?自己紹介vol.2

    元証券マンがなぜ飲食の世界に飛び込んだのか?自己紹介 vol.1

    新潟生まれの私のふるさとは「北海道」です。 私の父は転勤が多い仕事でした。そのため、小学校から何度も転校してきました。 高校3年間でさえ、転校しています。 入学した高校は、県立福島高校という当時は男子校でした。学ランに下駄を履いてという、とっても硬派な校風で知られる高校です。 2年生になる春、父の転勤先が東京になりました。家族皆、初めての東京暮らしです。 私が転入した高校は、都立青山高校でした。 男女共学の上、自由な私服です。福島では黒ばかりの教室だったのが、ここで

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