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元証券マンがなぜ飲食の世界に飛び込んだのか?自己紹介 vol.1

新潟生まれの私のふるさとは「北海道」です。
私の父は転勤が多い仕事でした。そのため、小学校から何度も転校してきました。
高校3年間でさえ、転校しています。
 
入学した高校は、県立福島高校という当時は男子校でした。学ランに下駄を履いてという、とっても硬派な校風で知られる高校です。
2年生になる春、父の転勤先が東京になりました。家族皆、初めての東京暮らしです。

 
私が転入した高校は、都立青山高校でした。
男女共学の上、自由な私服です。福島では黒ばかりの教室だったのが、ここではクラスのみんながキラキラしていて、眩しいです。
以前は歩いて5分という通学をしていたのが、1時間かけての電車通学です。
しかも、池袋、新宿、原宿、渋谷といった誘惑だらけの駅を、どこでもタダで降りることができる、という夢のような定期券を手にしたのです。
2年目から始められる部活もなく、帰宅部として、定期券をフル活用する高校生活を送りました。
 

 
 
いつか住んでみたいと思っていた東京というものを、この2年間でハンパに経験してしまったのです。
「このまま東京にいるとダメになってしまう」と、高校3年生のとき進路として選んだ大学が、北海道大学でした。
 
私が生まれた新潟にいたのは、僅か6ヵ月です。その後、引越しを繰り返したので、「ふるさと」と呼べるところが私にはなかったのです。それで、なんとなく憧れていた北海道を、心の中で勝手に「ふるさと」にしていました。
 
そして、大学生として、初めて北海道の地を踏んだのでした。
「ここが私のふるさとだ」と!

俗世間から離れた大学生活から証券マンへ
4月の大学キャンパスは、体育会運動部や文化系サークルなどによる新入生に対する勧誘活動が盛んです。
その頃の私は、帰宅部はやめて、テニスのサークルかなんかに入って、楽しい大学生活を描いていました。
 
そんな中、たまたま一緒にいた可愛い女の子が話しかけてきました。
 
「部活何にするの?」
「うーーん」
「私は剣道部に入るんだ!」
 
こんな可愛い子が剣道部?
テニスサークルなんて、甘ちゃんなこと言えないぞ。
もっとたくましいスポーツを言わなくちゃ!
 
ちょうどそのとき手にしたチラシが、「男なら北海道でアイスホッケー始めよう!」でした。
 
「剣道?いいね。僕はアイスホッケーやってみようかな?」
心にもないことを口にしてしまいました。
 
「アイスホッケー!いいじゃん、やって、やって!」
 
これが、私が北海道大学で、アイスホッケーに明け暮れて、あげくには1年留年することになる始まりでした。
 
どうせこの路線でいくなら、と、途中から寮生活も始めました。
北海道大学の寮といえば有名な、恵迪(けいてき)寮です。
 
俗世間から超越したような、スケート(アイスホッケー)部と寮での生活は、私の人生感を大きく変えました。
そして、北海道に対する愛が深まっていく5年間でした。

なにしろ俗世間から超越した日々でしたので、大学4年生になっても、就職活動というのはなんとも別世界のようなものでした。
そんな中、寮の先輩でもあった応援団長から、「飯を食いに連れて行ってやる」という電話がありました。
その日はデートの約束があると断ると、「その彼女も連れて来い」というのです。
デート代が浮くぞ、という甘い考えで、先輩の誘いに乗ってしまったのが運命の分かれ道でした。
 
その食事会にいたのが、野村證券人事部採用担当責任者だったのです。
寮の先輩の応援団長は、その年野村證券に就職して、北海道大学の人事採用を命じられていたのでした。
 
「もし私が野村證券に行きたいと思ったら、改めて採用面接があるのですよね?」
「いや、行きたいと言ったら、この場で採用だ」
 
なんだか、今では有り得ない話ですが、こうやって私の証券マン人生がスタートしたのです。
ちなみに、その時デート代を浮かせて一緒に食事に行ったのが、今の妻、久美子です。

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