見出し画像

まあともかく『さんま御殿』の括り方で気になったのは、「23区外」って鼻を括った言い種だな。本来ここにあたる名称として(かつて住んでたことのある人として)正確な名称と問われればそれは「都下」である。

ひとまずバージョンアップしたはずのRadikoが厭に聴きにくい。
なので午前六時までもう一本あげる準備をしつつ、携帯ラジオを聴きながらタブレット端末でポチポチ打ち込みをかけてはみようかと。

まあともかく『さんま御殿』の括り方で気になったのは、
「23区外」って鼻を括った言い種である。

なんかね。思い上がりと知らずのコンプレックスが入り交じって
「東京府以外は人にあらず」的な卑しさを感じる鼻の括り方なんだよなあ。

 本来ここにあたる名称として(かつて住んでたことのある
人として)正確な名称は「都下」である。

コトバンクでは②の表現にあたる。

② (「東京都下」の略) 東京都の管轄下。特に、東京都のうちで、二三区を
除いた市町村。

地域性は奥多摩と諸島地域を除けば旧国名と台地の名前を
取って基本的には「武蔵野うどん」などと言われたりする
「武蔵野」といふ風土を取るか、相模から移管された時の
地域名(北多摩・西多摩・南多摩)を総称してヒロミが
言っていた「三多摩」って地域が大凡の地域になる。

 なもので旧東京府の地域には多少適わないが文化や図書館
などのレベルは高く、それでいて米軍基地の影響を受けた
要素も強くて、関東の周縁地域としては新幹線がないのを
除けば充実していると。

(ただ私鉄沿線は結構キチンと「横に」広がっている。
モノレールが縦に出来たことで「社畜が通える限界地」としての
八王子が拡張性の高い立川に適わずスプロールしてるの、
もある意味正常進化してるなー、とは思うけど(だから
『うまるちゃん』は寂れていくデパート文化しか描けずに、
買い物行くのはニャオンになってしまうと。立川は駅前が充実している
上に爆音上映で有名な映画館文化も健在な上、『フレームアームズ・
ガール』でも描かれたとおりコトブキヤもいなげやもあると))

 だからさんまや紫吹淳的な関西の「金や知名度はあるが物知らず」
に説明するとなると、ナンギでしかなくある程度
太宰治などの素養なり文化を理解しているとわかることが、
ふっかけの疑問形「それで?」で一層わけのわからないものに
「うーん」となってしまうから、それは避けたいところなのに、
ではあるのだけど。


まあでもしかし、ホントに薬丸裕英直系だったんだ、と思い知らされたのは河合郁人(ふみと)が武蔵村山市出身だと
知ったこと、ではある。

それでも定番の「鉄路が走っていない東京の市」ネタから
スタートはしていたが、その要因までは伝え切れていなかった。

 一番なのは多摩湖・狭山湖(どちらも人造湖で、別名は
村山・山口貯水池)を作ってた時に使われてた軽便鉄道が
撤去された後に、モノレールがやっと着工されるか、まで
ずっと放置された、ってのが一番の問題点だったのですけれども。

ま、それに付随して飛行機や自動車が強くて財政的にも
潤っていた街の側面もあったのかと。
(今でも米軍横田基地の一部は武蔵村山市)
 そして長い間日産城下町だったのにアド街に取り上げられなかった
ことでも有名。基本的にはカルロス・ゴーンに見離されて日産城下町
(元はプリンス系でスカイライン誕生の地)ではなくなる一方で、
噴火から逃れてきた(伊豆大島)住民の受け皿に村山団地はなる
わけですが。

なので、循環バスからコミュニティバスがやけに
発達もしてる、って話は以前したかな。

ゲームをクリアしたけどまだ熱は醒めやらぬまま、ジリジリと時間は
削れていくけど、さあて『おかこち』までに文章は纏まりますか、
運次第という名の物語。たまにはそんな記憶の蓋も開いた夏の夜。
|torov|note


、ってことで最終的にはこちらへ向かうと。
ああ。これだわ。終点感たっぷりの、玉川上水駅の駅舎の
イメージといえば駅舎に屋根と駅名標があって、まだ武蔵
砂川駅も出来てなかった頃のこれだわ。

北口にロータリーはまだ出来ておらず、大和飛行場(立川飛行場の一部
として接収されていた米軍大和空軍基地)跡地が広がっていて、
まだ当初はフェンスと金網があった記憶が強くある。

なので、西武拝島線も拝島まで行っていたとはいえ、玉川上水駅の終着駅然とした感じは一層強かった。
 だから平成に突入する頃の屋根がなくなり駅名標も小さく
なった光景となるといまいち浮かばなかったり。

ホントに偉く単線だったんだな、がわかる映像だなあ。
 玉川上水駅もちゃんと構内踏切があったのがわかる。
(南口にしか改札口がなかったので)

この頃もう用地は沢山確保されてたので、今の玉川上水駅に
デカ目の車両基地があるのも頷ける。

まあ東大和市、武蔵村山市、立川市の際で住所は東大和市、
少し西に行けばお墓が沢山あって、その先に武蔵村山市には
国立音大のキャンパスがあると(なのでその近くにあった
ヤマハのエレクトーン教室に通ってたから音大生に習って
いたのだけど。一応正確には立川市が本拠ではあるが、講堂
は武蔵村山市にある)。

https://www.ri.kunitachi.ac.jp/access/index.html