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書く方に依(よ)るか、それとも喋る方に傾けるか。〜そう悩んでいたときに、いちばん悔しかったのは

声優としては大先達の永井一郎さんには、
一度だけ札幌でお逢いしたことがあります。

ってことで、猪熊滋悟郎もやってた永井一郎
さんですから、BGMはYAWARA!からにしますか。
LAZY LOU's BOOGIEで「いつもそこに君がいた」。

 でもそれは専門学校のセミナーで村越
伊知郎氏(本人は二代目と仰っていたノリスケ
の声などでもお馴染みだったこの方も大先達)
から永井一郎さんの朗読の本に関して
聞き出してみて本を購入したり、学校で
カリオストロの城のジョドー役のアフレコを
体験したりと、いろんな準備を重ねてからの
ことでもありました。

 そして一度お逢いしたときに、答えに
悩んだ一つの提起が「台本なんだもの、
そのまま読めばいいじゃないか」と言われた
時に、ちゃんとその台本に書かれたことを
表現するための準備や心構えが出来ていない
ことの不足加減に(一時ですが)絶望した
ことを今でも時々思い出します。

書く方に依(よ)るか。
それとも喋る方に傾けるか。

 結果的に信頼や信用関係を無認可校では
構築することが出来ず、逆に少しの吃(きつ)
をもらう形で、最終的には事務所にも入れず
私の夢は潰えたので、喋る方の技術を磨く
のは犠牲にしつつ、書く方に依(よ)って
ここまで流れて来た人生でもあるので。

 それでも時折ふっとその命題が心に
横切(よぎ)ることはありますが。

 まあその点で行くと、この間アスミスが
出てた「アニゲーイレブン」におけるブス美
らしい個性の発露、とは言いますか。
「わきあず」のミスリードにはクスっとした。

(一応ブス美に関しては先に断っておくのが
礼儀か。とりあえず年の離れた末娘だった
「わきあず」は口さがない兄達に他称で
ブス美、と呼ばれてた、ってエピソードを
踏まえているだけ。なので他意も感情もない。
ただJUJUははっきりと嫌い、そう重ねる
発音のさせ方も大嫌いなので、自称の
あじゅじゅを使いたくない、となれば
「わきあず」言うかスペちゃんと呼ぶか、
その前座としてパンチのあるブス美を
思わず使うこともある、ってルールに
則っているだけ。さぼてん主婦さんの
冠詞にイヤミを時折付けるのはあそこまで
生粋のコント師になれるわけもなく、
ただおフランス帰りで絶頂期を迎えてた
「おそ松くん」時代のイヤミの如く
関西仕込みのキレがすごいサボさん、
(ああはそうそうなれない)って意味で
使っているだけ。他意も感情もない。
サボさんに嫌みなことを言ってるつもりは
さらさらないと)

「月(にくづき)」はあるけど
「りっしんべん」はない。

つまり偏の謂われを考えれば(こころがない)
ってのは、確かに末娘としてはなんでも
出来てしまう「わきあず」のらしい個性だな、と。

 ま、実際オンエアされたのは、ラジオ
仕立てのコーナーで10代の福岡時代から
パーソナリティやってる阿澄佳奈(Yes,
アスミス!)に和氣あず未が手紙を書いて、
それをアスミスが読むコーナーがあったん
だけど、「なやむ」って字が間違っています、
とアスミスが指摘したあとを観たら。

「なやむ」を悩むと書かずに、「脳む」に
なってたと。

まあ「間違いは本音の現れ」と、かつて
フロイト先生持ち出してまで語られていたのは
等々力での出来事だっけか。
 あれもあれで吐露されている部分が
真実だったからなあ。女性アナウンスで、
「しゅはん、東城」って紹介されてたのは。

 まあ口は災いの元だし、ところによって
ルールは曲解され易いものなので。とっくの
昔に薄謝協会推奨の「あ、クセしかない辞書」
は売っ払って処分した、ひたすらみちみち書く
方に依(よ)って流れて来た寅年男のちょっと
した繰り言と自省でした。

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