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「熊害注意」が爆誕するまで。~の、そんな頃のおはなし。

といふことで準備段階としての「サンフレ本」は
見つかった。

9784905349143
中野和也
サンフレッツェ情熱史
2013.12
NDCは783.47
ソル・メディア

あとは例によって例の如く、伝えたかったこのテイルズ。

京都サポ目線の「アストラムラインに乗り合わせた
試合帰りの広島サポ父娘の会話を聞かされてしまった
ちょっとしたサイコホラー」、でしたっけ。

入れ替え戦の帰り、アストラムラインで隣に座った
親子(8歳ぐらい)の会話

女の子「寿人はいるよね?」
   父「いなくなるかもね」
女の子「コマはいるよね?」
   父「いなくなるかもね。」
女の子「柏木はいるよね?」
   父「いなくなるかもね。」
女の子「みんないなくなったら、もう見に行かない。」
   父「・・・・」

いたたまれなかった麿サポでした。
ホント、入れ替え戦って残酷だわ・・・

それ以来アストラムラインは恐怖の乗り物で、娘に
逐一答えていた父親側の真摯さに同情するとも言いますか。
(一応ログを辿れるかは定かではないですが、
原典を探れる方なら「ら」スレの468スレあたりに
元ネタはあるかと)

因みにこの時私は広島に観光で行っておりまして。

阿伏兎観音行った後の道の駅「アリストぬまくま」で
玉葱ネットいっぱいに入ったみかんが1ネット
100円で売られているのに驚愕し、呉で噂だった
「メロンパン」へ行くだけの為に「メロンパン」へ
寄り、もともと北海道出身だったルーツのおばちゃん方
に感動されて、少しおまけして貰い(まだこの頃は
道の駅もなかったので竹原はスルー)、広島市の
中心部にあるお好み村近くの「村長の店」で
「うどん入り」を頼んで食べて帰りのパーキング
エリアで車が出てくるのを待っていたときラジオで
流れていたのが、槇野がシュート外してドローに
終わり、サンフレッツェが再降格した入れ替え戦の
第2戦・京都サンガ戦だったわけで。

「あのシュートが入らなかったということは、
もっと強くなるために、もう一度はい上がってこい
ってことなんだな、と思いました」
槙野がポツリと想いを吐きだした。

中野和也「サンフレッツェ情熱史」p256

まあそれでも少し後の分析で

残留したけどアマルの首切った千葉
降格したけどペトロの首繋げた広島

といふ対比があったことが一番この2チームの栄枯盛衰を
分けた最大の分水嶺だった、とは思います。

「来季、監督を替えるつもりはありません。先ほど、
選手の前でも話をしました。ここから、3年で
優勝するチームを絶対につくってみせます」
Jリーグの歴史に刻み込まれるべき、広島・久保允誉
社長(当時,デオデオ(現・エディオン)の経営者)の
「降格監督続投宣言」。

中野和也「サンフレッツェ情熱史」p237-238

で、例の如く「つかもう二度と落ちてくんなと」と
恐れられる「熊害注意」となるわけですが。
J1の過剰戦力で、散々引っ掻き回し、
「出会い頭に斧で首を跳ねて回ったの」が広島
J2常連クラブのサポ達の間では「熊害」として
今でも語り継がれていると。
(ほぼほぼ同じ戦力で翌年ACL出場権獲得)

31勝7分4敗勝点100.得点99失点35得失点差+64。
9月23日には、残り7試合を残してJ1復帰を決めた。

中野和也「サンフレッツェ情熱史」p283

まあそれでもサンフレッツェ広島が1リーグ制で
連覇するまでには、まだまだいろんな困難と障壁が
あったりするのですが、まあ今回はこのあたりまで。

「熊害注意」が爆誕するまで。~の、そんな頃のおはなし。
でした。