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迷い道はくねくねしてるが、ぐずたらの蛇行期間も一通りは過ぎた。ここは「貧乏は正しい!ぼくらの東京物語」から改めて「過疎」の定義と意義に関して改めて再考してみた。「ばかぼんぼん」が「過剰に疎(うと)い」とそこから自ずと「過疎」が一層進む、ってこともあるにはあるのだ。

ふう。なんとか迷い道はくねくねしてるが、ぐずたらの
蛇行期間も一通りは過ぎた。
 ってな按配で節制収縮期間も終わりが近づきつつある
感じですけど、つべでトプロ版『ウマ娘』は全4回とか、
まだ本来のテレビで見られるかどうかわからん作品が
ある中で、最近のアニメ消化状況。

日曜を過ぎたら、だったので『神拾2』こと『神様に拾われ
た男2』の最終話まで完走。当初はイラッと来て、ラストは
4本CMのつまらん空騒ぎ(インパクトなし。いまさら
ガチャムクCM3本とか貫かれても、ねえ)に終始しました
が、「いつでも観られる」のベネフィットはありがたく。

 まあ一番心穏やかに見られたけれど、それでもまあある
意味働き詰めな主人公労働しっぱなしの「スローライフ」
って歪みが見え隠れする『神拾2』でした。

 まあ前作との連綿でも清川元夢が亡くなったんで、出演
神様総入れ替えになったのも残念なあたり。

まあごちうさのティッピーは原作でも退場、とかで
ひところ騒がれてもいましたが。

 まあ「くりぃむレモン専門学院」に高尚な作品作れと
言われても。だからこれはこれで低空飛行だけど安定は
してた点で評価すべき。
 なかなか作品に舞い戻れなかった「舞い上がれ」の
朝ドラよりはマシだったのかな、と思ってはおきたい。

(結局最終週でも安定して観られる箇所が、五島パートを
引っ張りすぎて又吉が出てるシーンしかなく、まいん
ちゃん(福原遥)の姿が全くないあたりなのが如何にも、と)


ではここからが本題。

でも「ばかぼんぼん」が「いかに空とぼけて疎い」ってことが
罪深いものなのかは「過疎」の本来の意味・意義を過剰に無視
している一面において、たぶん紛れもなく罪深いなの、だろう。

「過疎化」はあちこちで頻発しているけど、人口が密集している
地域に住んでいたとしても「ばかぼんぼん」が「過剰に疎(うと)い」
とそこから自ずと「過疎」が一層進む、ってこともあるにはあるのだ。

 そう考えたのは橋本治の一文でこんなことを書いてた記述を
転がしていくと、案外簡単に見つかるものだったからだ。

日本のイナカとバブルのトカイを作った「過疎の問題」というのは、
実はこういう「人間の問題」でもあるんだ。

 つまり、「既にその土地に住んでいる人間の既得権ばかりが
重宝されて、次の段階でその土地を継承して行く若い人間たちの
ことがまったく考えられなかった」ということだってあるんだ。
だから、今になっても「過疎」という問題に対して、決定的な
手が打てない。

橋本治「貧乏は正しい!ぼくらの東京物語」[小学館]p27-28

「過疎」を「少子高齢化」に変えれば全く同じ「元の
黙阿弥」をやっているわけで、「井の中の蛙もん」が
わざわざ声だけデカくして、やれてることが何もない
のは「過疎」と同じ過ちを繰り返してて、しかもなお
ヘタをこいているから始末に負えないと。

 ま、逆に言えばそれだけのことであり、だからこそ
陥穽にも嵌まりやすいと。

日本、というのは、ややこしいのか、かんたんなのか、よくわからない
国だ。革命、というものは一度も起こらなかったくせに、変革、というの
は何度も起こって、そのたんびに新しい制度やシステムが出来る。

だから日本史は、「暗記しなきゃいけないこと」のオンパレードなんだが、
しかし見方を変えると、「わざわざ古いものを倒さなくても、新しいもの
を作ってしまえば、それでいつかは古くなったものが消えていく」という、
かんたんな国でもある。

橋本治「貧乏は正しい!ぼくらの東京物語」[小学館]p223

だからこそ「ばかぼんぼん」が「過剰に疎(うと)い」
なんて古の天皇ででもあるかのようにぼやぼやと
「乞うように拠れ」(その通りにせよ、という名の
「オー、マイゴー」)ばかりしてると、
一番危ういと思えるわけで。

「貧乏は正しい!ぼくらの東京物語」から改めて「過疎」の定義と意義に関して改めて再考してみた、でした。