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「またお会いしましょう」は恩送りの意味

今朝、ふと思い出したことがある。

一年以上前だと思うけれど、当時働いていた小売店にブラジルから来た日本人のおじさまとそのご家族や親戚であろう方々が来店した。
わたしがお会計を担当したんだけど、「あら、日本人?」と声をかけられ、わたしの地元と彼の親戚の実家が同じ県だったことが判明したことですごく親近感が湧いた。

一人でこっちにいるの?がんばってね等の言葉を頂き、お会計が終わったのですが、またすぐに戻ってこられて「一緒に写真を撮りませんか?」と。

わたし、写真を撮るのは正直好きではないのだけど、この時は喜んで申し出を受けた。
ブラジルの◯◯という街に住んでいるので、もし来たときは一緒に食事でもしましょうね。また会いましょう、と言ってくれて、わたしも、またお会いしましょうと言った。

連絡先を交換することもなく、写真もあちら側の携帯でしか撮っていない。またお会いしましょうと口にしたけど、また会えるとは思わなかったし、会わなくてもいいんだと感じた。*

彼らが去った後、わたしは嬉しくて泣いてしまった。


あのおじさまとは、ちょっと言葉が適切かはわからないけど、“魂が通じた“感じがしたんですね。
恐らく彼も海外生活で苦労されてきたのでしょう。そして、日本人というだけの理由での気遣いというか、同志を大切にする心がある。

*また会いましょうとお互いに口にしたのは、「もしどこか異国の地で日本人と出会ったら、その時は助け合い、一緒に食事をしたりしましょうね」という意味だとわたしは受け取ったし、その時そう強く感じた。


恩送りという言葉に似ていると思いました。
今回の事で言うと、旅行先で日本人に会えて嬉しかった、お話できて良かったという気持ちを、もっと広げていきましょう。お互いに気持ちを受け取ったので、そのお返しをし合うより、他の人へ送りましょう。


わたしは長いこと大嫌いな接客業に従事していたのですが、その中で唯一嬉しかったことは、日本人のお客様に「がんばってね」のお声を頂くことでした。
初めて会ったのに娘のように心配してくれたり、応援してくれたり。でも同志だからこその「がんばってね」であり、その一言でどれだけのパワーをもらえるか。特に海外在住者には沁みます。


嫌な出来事って忘れたいし、忘れてもいいけど、こういう事っていつまでも忘れないんだよね。

日本が嫌で海外に逃亡した人間からこんな言葉が出てくるとは誰が想像したでしょう。でも、日本の良さを気づかせるためにわたしはここに送られたと思っている。海外にいることでの日本人としての誇りを持ち、日本人の美しさに気づいた。

もし、何かが起こってわたしが子供を産むなら絶対日本人の遺伝子を残したいとまで思う。




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