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<鳥善スタッフインタビューVol.5>前川智裕さん

こんにちは。いつも鳥善noteをご覧いただきありがとうございます。静岡県浜松市でレストランやウェディング事業を運営しています、株式会社鳥善と申します。

現在、鳥善noteでは会社としてのトピックスはもちろん、ここで働くスタッフの魅力も発信しております。どんな想いの人がいるのかを知ることで、安心感とご興味を感じていただければ嬉しく思います。

前回のスタッフインタビュー記事はコチラ↓

さて、今回はスタッフインタビューの第5弾として、当社のキッチン最高峰である、Cuisine Captain前川智裕さんに鳥善の料理に対しての拘りを徹底的にお聞きしました。前川さんの人生においての料理とは?それでは早速そのルーツを辿りながら進めて行きます。

〈プロフィール〉
前川智裕(まえかわともひろ)
兵庫県出身。2006年に鳥善入社の勤続15年の最古参、鳥善の父親的存在。大阪の辻調理師専門学校を卒業後、三重県の志摩観光ホテル入社。料理の真髄を約8年間の在籍期間で学び、故高橋忠幸ムッシュを師と仰ぐ。自身の結婚後、オファーのあった浜松のレストラン一味真へと活躍の場を変える。オープニングから2年半勤めた後に鳥善へ入社。趣味はドライブやキャンプ、それにやっぱりご家庭でもお料理を作るのが大好き。ご家族からはポトフとトマトパスタが人気メニュー。

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■これまでの経歴をお聞かせください

料理人になろうと思ったのは中学校の頃に叔父の働く大阪のリーガロイヤルホテルのレストランへ行ったのがきっかけ。
あの高いコック帽で料理を作る姿に「カッコいい!」と完全に魅せられました。
元々、学校でも家庭科の授業は好きで料理実習は楽しんでいたこともあり、それを機に料理の道へと向かって行きました。
ちなみに子供の頃から目立つことが好きで、小学校の頃の夢はデコトラの運転手になることでしたね(笑)。
地元の農業高校、辻調理師専門学校へ進学し料理の基礎知識を習得して、三重県の志摩観光ホテルに入社。兵庫県の郊外出身の私としては海の近くにあるフレンチレストランを一度見学した時の感動が忘れられず、自身の進路をそこに決めました。

志摩観光ホテルでは厳しい料理人の世界が待っていました。
広々としたキッチンでは笑うことは許されず、ひたすら黙々と料理の腕を磨く日々。
(1年目は名前で呼ばれることなどなく《お前》か《貴様》としか呼ばれるのが普通でした)
正直、あまりの厳しさに何度も辞めたいと思いましたが、ここで辞めてはダメだと自らに奮起し、がむしゃらに技術の向上に努めました。
料理の師匠である高橋ムッシュに認めてもらいたい一心で頑張り続けてたら、気付けば14人いた同期は一人もいなくなっていました。
やがて高橋ムッシュの勇退もあり、自身も結婚をしたことをきっかけに今後のことを考えていた頃に、大和リゾート上席執行役員の長門さんから浜松でレストラン一味真の立上げのオファーがあり静岡県に進出します。

数年後、子供を授かったこともあり今後の家庭のこと考えて、一度は料理人を辞めようと本気で考えました。今だから言える話ですが、全く業種の違う会社の面接を受けて内定を貰っていました。
しかし、その会社の面接担当の方から「本当は料理人続けたいんでしょ?」と言葉を掛けていただいたことで悩んだ結果、その内定を辞退し料理人の道を続けることを決意しました。あの時の担当の方には本当に申し訳ないことをしてしまったなと思っています。

その後ルグランミラージュのオープンのタイミングで鳥善に入社し、現在では鳥善統括シェフとしてルグランミラージュとジ・オリエンタルテラスの2会場のキッチンチームを牽引するポジションで日々奮闘中です。

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■思い出のエピソードはありますか?

志摩観光ホテルでは本当に厳しい環境ではありました。それでも頑張って来れたのは毎日料理が作れる事、様々な食材に触れることが出来ることが楽しかったから。

次第に現総料理長の樋口氏に同行して出張に行く機会が増え、任される仕事が増えるとやり甲斐も増して行きました。そして、入社して6年が過ぎた頃、ついにムッシュの昼食を作る担当ポジションに。

決して「美味しい」とは言わない方ではあったけれど、自分の料理が目標としている人に食べてもらえることは本当に幸せな気持ちになりました。「昼食をご用意しました!」と声を掛けるたびに緊張したことを今でも覚えています。”この人に認めてもらいたい”この気持ちだけが心の支えだったような気がします。

■鳥善との出会い、入社に至るストーリー

私は鳥善がまだ先代の社長だった時代に私は入社しました。
当時は創業100年を超える歴史ある会社が大きく舵を切り、日本料理主体の料亭からフレンチ主体のレストランへと変化させることを計画し始めた時でした。

先代の社長とも未来を見据えて何度もお話をして、会社をどう変化させて行きたいのかを日頃から共有したものです。
私の鳥善人生のスタートはルグランミラージュの立ち上げをきっかけに入社し、翌年には鳥善のお節料理の見直しを図るために、鳥善へと転籍して現在に至ります。

しかし、当時は日本料理主体のお店。やはり和食の親方や厨房スタッフとは大きな隔たりが生じ、残念ながら鳥善を離れて行く人は少なくありませんでした。
その後、現社長である伊達善隆さんへと経営者が変わったことも私には大きな転機になりました。

「今は苦しい時だけど、やまない雨はない。私が鳥善の歴史を変えます。毎日ワクワクする会社にします。なので一緒に走って欲しい」

そんなふうに言われたことを昨日のことのように覚えています。本当に感動しましたね。会社の未来だけではなく、この街を変えて行きたいというビジョン。本当に素敵ですよね。私はそんな伊達の人間性に猛烈に惹き込まれて、一緒に走って行こうと決めました。

■シェフ前川流の究極の料理論とは?

料理とはBGM。私の料理論はこの言葉に集約されています。

レストランに来てくださるお客様が楽しむのは料理はもちろん、スタッフの対応、会場内の雰囲気、外に見える景色など様々な要素があります。
どれも満点の状態でお届けしたい。しかし、私はそこで料理が主役ではなくてもいいと考えていて。
その時間を楽しむために必要なBGMみたいにさりげないアクセントのような存在。
そう考えるとBGM(音楽)はなくてならないアイテムだと思っています。
その料理が「美味しくなかった」とは言われたくない。これは私はずっと思っていることなんです。
料理人としてはちょっと珍しいタイプかも知れませんね。(控え目な真髄が素敵です)

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ちなみにBGMと言えば、好きな音楽はジャズ。
自宅で料理を作るときは専らジャズなどのインストゥルメンタルの音楽を聴くのが好きですね。

私は腕前1つでここまで来た訳ではないと自認していて、ご縁や巡り合わせで今私は鳥善のシェフとして役割を頂いていると考えています。
キッチンメンバーも年々素晴らしい仲間が増えて、強いハートの持ち主が集い、より強いチームへとなってくれている手応えも感じています。
若いメンバーも多いので、これからが楽しみです。

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■鳥善で叶えたい夢とは?

私は別にポジションを固辞したり、そんなに拘ってはいないんです。ちょっと唐突な話になりますが、シェフを辞めても鳥善には関わっていたいなって思っていて。どんなことが出来るのかわかりませんが、鳥善のCOMPASSにもあるように常にチャレンジする姿勢は持っていたいんですよね。

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なので、例えば自身の経験を学生に伝える講師だったり、地域のコミュニティで料理を教えてみたり、そうやって”鳥善の前川”として新しいチャレンジしたいです。私は鳥善で結婚式を挙げてくださる全てのお客様と打合せをしています。それはやはり繋がりが生み出す安心感が信頼を生むと考えているからです。人と関わることが大好きなので、これからもお客様に寄り添える人でありたいですね。

10月17日(日)には浜松農業ユニットおとなりさんちとのコラボイベント【おとなりさんち✖️ジ・オリエンタルテラス】新鮮有機野菜の直売会を実施します。当日は野菜の販売だけではなく、シェフ前川の簡単料理実演も開催予定。たくさんの方のご来場をお待ちしております。

詳細は下記HPイベントページにてご確認ください。


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