【短編小説】潮風香る万華鏡
きらめく水面が映し出すのはどんな心か。
三人組シリーズに出てくる炎野白海が心見とわと一緒に水族館もどきに寄り道しつつ海に行く話。
上記の「夏、いつもと違う始まりを」と関連してますが、読まなくても読めます。
少女の明るい声が廊下まで響いている。聞き覚えのありすぎる声に白海は顔をしかめた。
「ああ、今年もやってきたね。夏の風物詩」
隣の親友、とわがくすりと笑った。
「風物詩なんてそんないいもんじゃないだろあれ。別にアイツら夏じゃなくても海いくし」
「でも夏は必ず行くでしょ? それにさくらたちと言ったらやっぱり夏じゃないか」
「まあそうだけどさ」
細波さくらという少女は、実験室で小爆発もどきを起こしたり、授業中に持論を展開して教師と口論になったりと癖の強いうちの学年の中でも一、二位を争う問題児だ。
そんなさくらは時おり海に行きたい衝動が湧き上がることがある。この突発的海鑑賞欲求は季節問わないが、夏は毎年必ず一回は生まれるのだ。
ちなみにこれが発生することによる被害者は二人。さくらの幼馴染、火上光太と鈴木龍である。
地元民しか行かないような小さな海水浴場に行って、駄菓子屋でアイスを食べて帰るだけのこの酔狂な小旅行に付き合わされる二人には同情する。もっともなんだかんだ毎回律儀に付き合っているのだから、彼らもそれなりに楽しんでいるのだろうが。
「ねえ俺たちも海行かない?」
とわのひと言で意識が引き戻される。思わずまじまじと顔を見つめると、親友はにっこりと笑った。その顔を見ていられず、白海は宙を見上げて頬をかいた。
「あーいやでもバイトがさ……。そういうのなら彼女と行って来いよ」
「でもバイトだって毎日入ってるわけじゃないでしょ? たまには息抜きも必要だよ」
たしかに夏休みに入ったからといってバイト詰めというわけではない。補講もあるし、毎日スーパーと家の往復では味気がなさすぎるだろう。だが親友の彼女と、真っ暗な我が家が頭をよぎるとどうしてもその手を取ることができなかった。
「すずと一緒でもいいけどさ、いつも一緒にいるわけじゃないし、たまには白海と遊びに出かけたっていいじゃないか。ね、行こうよ海。白海だって海好きでしょ?」
「そりゃ海は好きだけど。でも別にさくらみたいな趣味はねえぞ」
珍しくとわが食い下がる。それに驚きつつ、白海はやんわりと断り文句を口にした。
「別に海だけ見ようってわけじゃないよ。ちょっとした“水族館”に行くついでに海見てかない? ってだけで」
「水族館? ここらへんにそんな洒落たものあるわけないだろ」
「もちろん本当の水族館じゃないよ。まあ水族館もどきみたいなものかな」
眉をひそめた白海に親友は笑みを深めた。心の底から自分と行くのを楽しみにしている顔だ。そこに水を差すのは心苦しいが、やはり乗り気にはなれなかった。
「そんないいところがあるんなら、それこそ彼女と行ったほうがいいだろ? わざわざ俺と行ってもさあ」
「俺は白海と行きたいって言ってるんだけど。それとも白海は俺と遊びに行きたくない?」
白海の言葉を遮るようにとわが言った。普段物腰柔らかいとわがここまで強く意見を通そうとするのは数えるほどしかない。
何よりとわと遊びに行きたくないと誤解されるのは嫌だ。白海は慌てて首を振った。
「い、いやそんなことはないけど」
「わかった。じゃあ明日とかはどう? ほらちょうど補講もないし、たしかこの日はバイトないって言ってたよね」
「言、ったな?」
「じゃあ決まりだね。明日八時でどう?」
親友は笑みをたたえていたが、それは有無を言わせぬ笑みだ。その証拠に目はまったく笑っていない。白海には頷く以外道はなかった。
電車に揺られること約一時間。海水浴場の最寄り駅からさらに二駅先に行ったところで白海たちは降りた。風は潮の匂いを運んでくるが、家々に阻まれて海が少し遠い。いつもより紺碧との距離があって、うだる夏の空気が重みを増した気がした。
蝉の大合唱がそこかしこから聞こえてくる。まだ午前中だというのに既に太陽は肌を炙り、ただ歩いているだけで汗が吹き出した。
「なあ本当にここにその水族館もどきとやらがあるのかよ」
周りは時おりカモメの姿が見える以外は自分たちの町と変わらぬ普通の住宅街だ。こんなところに水族館らしきものなどあるものだろうか。
「うん。きっと白海も気に入ると思うよ」
とわは前を向いたまま言い切った。その足取りは迷いない。白海は開きかけた口を閉ざして、大人しく親友の後についていった。
「あ、着いた。ここだよ」
とわが足を止めたのは家と畑の間に突如現れたビニールハウスだった。
「おい、まさか水族館もどきってここのことじゃないよな」
否定してくれることを祈って投げた問いに、しかし親友は無情にも肯定した。
「そうだよ。目的地はここ」
「はあ!? どこが水族館要素あるんだよ! どこからどう見ても農家さんじゃねえか!」
水族館要素はどこにいったのか。魚のさの字もないではないか。とわでなければ、手が出ていたところだ。
青筋をたてる白海をまあまあと宥めながら、とわは一歩敷地内へと踏み出した。
「入ってみたらわかるよ」
ほら、と手招きされたので、白海は渋々とわの後を追った。
ビニールの扉をめくると、むわっとした空気と土の香り……ではなく、青臭い藻と澄んだ水の匂い。植物の代わりに等間隔に並ぶのは青いプラスチックの桶だ。
「なんだこれ、水槽?」
ひょいと覗きこんでみると、薄っすらと緑の絨毯が敷かれた水槽にきらりと何かが光った。魚だ。それも見惚れるほど美しい魚だ。小さな体に光沢のある橙や金の鱗が宝石のように敷き詰められ、身を翻すたびにきらきらと輝いている。さながら生きる宝飾品だ。
熱帯魚の類だろうか。いや、いくら華やかな熱帯魚と言えど、ここまで美しいのは見たことがない。それにこの形はどこかで見かけた気がする。
隣の水槽にはまた違った色の魚がいた。頭から尾まで体の中央に流れ星の軌跡のような輝く白銀が太陽の光を反射している。星屑から生まれた魚なんて説明がついていても、うっかり信じてしまいそうだった。白海はほうと感嘆の息をついた。
それにしてもやはりこのフォルムどこかで見たことがある。それも水族館のような特別な場所ではなく、日常で目にしたような親しみのある形。
そう、この形は――
「……メダカ?」
「おっ、よくわかったな。何のヒントもなしに正解するなんて坊主やるじゃねえか」
水面に影が落ちた、と思ったそのとき、野太い声が降ってきた。
はっと顔を上げると、がたいのいい男がにっと口角を上げていた。
「ノーヒントも何も看板にメダカ屋って書いてあるじゃないですか」
「だから今日はわざとさげておいたんだろうが。魚が好きなダチを連れてくるって言うからよ」
とわは顔見知りのようで親しげに話している。ぽんぽん飛び交う会話に口を開けていると、とわが振り返った。
「あ、ごめん。紹介してなかったね。こちら銀目さん。メダカの育て方とか相談しているんだけど、話の流れで白海のこと話したら興味もってさ、連れてきてくれって頼まれてたんだよね。ほら、白海魚好きだからさ」
「魚好きって言っても俺が好きなのは主に食用魚だけどな」
だって見ても食べても楽しめるし。泳ぐ姿も見ていて飽きないがまな板の上で、さてコイツをどう調理してやろう、と腕まくりするのもまた心躍るのだ。それに自分が作った料理を食べて笑顔になってくれるのは純粋に嬉しい。……まあここ数年はほとんど自分の料理を口にするのは自分だけであるが。
「おうおう、店主の前で言うなあお前」
「あ、すみません。でもこんなきれいなメダカ初めて見ました! 感動したのは本当です」
慌てて言い募ると、店主は鷹揚に笑った。
「はは、んな必死にならなくてもわかってるぜ。そんな目きらきらさせてんだからな。お前もなんかもらってくか?」
白海はちらと水槽に目をやった。この美しい生き物が家で出迎えてくれるとならば、少しはあの空間の寂しさも紛れるだろうか。だが自分がいなくなれば、世話する人間は誰一人いない。引っ越しに魚を連れていくのは難しいだろうし、かといってあの家に置いていくのはあまりにも酷だ。
そこまで考えて白海は自嘲した。進学する気もないのに、引っ越しの可能性を思い浮かべるなんて馬鹿馬鹿しい。
白海はこみ上げてきた苦い思いを追い払い、店主に目を向けた。
「あ、いやこの暑さで持って帰ると魚も可哀想ですし、今回はやめておきます」
「そうか。ま、でも好きに見ていってくれや。気にいったのあったら、声かけてくれりゃあ取っておくこともできるからよ」
「ありがとうございます」
白海は頭を下げた。店主はとわに向き直り、二人でメダカについて話し始めたので、白海は水槽を見て回ることにした。
ずらりと並んだ水槽を一個一個覗き見ればなるほど、とわが水族館もどきと称するのも頷ける。
メダカと一口に言ってもこんなに種類があるのかと目を見張るほど水槽には多種多様な魚が泳いでいた。グッピーのように優雅な尾ひれを持つもの、錦鯉のような模様をもつもの、金魚のように全身が橙のもの。彼らはプラスチックの水槽の中でくるくるりと舞い踊って見る者を魅了する。まるで万華鏡のように色形を変えて人々を彼らの世界に引きこむのだ。
そういえば水族館に最後に行ったのはいつだっただろう。親友とではなかった気がする。薄闇にぼうと浮かぶ青に連れ攫われないように、自分の手を引いてくれたのが果たして誰だったのか。徐々に明瞭になっていく輪郭を無理やり頭から締め出した。それを思い出してしまえば埋めたはずの何かが白日の下に晒されてしまう気がした。
「終わったよ。ごめんね待たせちゃって」
「いやそれほど待ってないし別にいい。メダカたちのおかげで退屈しなかったしな」
「お、気にいったやついたか?」
にやりと笑う店主に白海は苦笑した。
「どの子もきれいで決めるなんて無理ですよ。メダカの世界も奥深いですね」
「そうかい。じゃ、また来な。店開いてるときなら、予約でも相談でもやってやるからよ。あ、でも恋愛相談だけは勘弁してくれよ。コイツだけでお腹いっぱいなんだ」
「ちょっと、銀目さんに恋愛関係の相談したことなんてなかったじゃないですか! だいたい、相談するなら銀目さんより先に白海にしてますよ!」
指を指されたとわが語気を荒げたので、白海は声を上げて笑った。店主はもっと大きな声で笑い転げた。ひとしきり笑い終わったときには親友の機嫌はすっかり曲がっていて、むくれたとわに引きずられながら白海は店を後にした。
「はあ……まったく銀目さんったら。じゃ、予定通り海行こうか白海」
「いやもう結構満足したし、このまま帰ってもいいぞ。暑いし」
コンクリートからは熱気が立ち上り、吐いた息の温度は空気とほとんど変わらない。日差しはより凶悪になり、二人の肌を容赦なく焼く。正直、この灼熱地獄の中を歩きたくはない。だがとわはバッサリと白海の提案を切り捨てた。
「何言ってんの。海まで行くのがこの旅の目的でしょ。最後まできっちりやり遂げなきゃ」
ぐっと手を引くその力は思わずたたらを踏むほど強い。白海はため息をついた。
「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」
「うん。せっかくここまで来たんだ。見なきゃ勿体ないだろ」
にっこりと笑ってとわはずんずん進んでいく。白海は再び嘆息を落として親友の隣に並んだ。
港には白い船体がひしめいていたが人気はなく、いつもは見かける釣り人たちもこの暑さには耐えきれないのか人影一つ見当たらない。埠頭の先まで行ってしゃがみこむとくすんだ緑青の中に茶色い海藻が揺らいでいた。ぬるい潮風が肌を撫でる。久しぶりの海に白海は目を細めた。
「で? ただ海を見に俺を誘ったわけじゃないんだろ?」
白海は後ろからこちらを見守る親友を見上げた。とわは首をかしげた。
「白海と遊びに行きたかったのは本当だよ? ここ最近時間合わなかったし、すずに遠慮してばっかで、ぜんぜん構ってくれなかったからね」
「でもそれだけじゃねえだろ。わざわざ二人っきりで遊びにいこうなんてよ」
何か考えがあって強引に自分を小旅行に引きこんだのはわかっていた。海に誘ったのも二人きりになれる時間が欲しかったからだろう。
「たまには白海と遊びに行きたかっただけだよ……って言っても納得しないんだよね白海は」
とわも白海の隣にしゃがみこむ。その拍子に手をコンクリートにつけてしまい、隣から小さな悲鳴が上がった。
「何やってんだよ。火傷とかしてないだろうな」
ハンカチで包みこみながら指を確認する。幸いにも皮膚の表面が赤くなっているだけだった。
「ごめん、ありがとう」
「怪我してないんなら別にいいけどさ。それで?」
ハンカチをポケットにつっこんで、先を促す。小さく息をついて、とわは口を開いた。
「白海はさ、高校卒業したらどこの大学行くの?」
「大学は行かねえよ。地永のこともあるし、アイツみたいに頭いいわけでもねえし、金と時間を無駄にするだけだろ」
家庭から逃げるように仕事に打ちこむ父親で病気がちな弟の面倒をみるのは不可能だ。病室に押しこめられた弟を見捨てて、自分だけ自由を謳歌することは白海には無理だった。
飛びぬけた技能もなければ、兄のような優れた頭脳を持っているわけでもない。ならば地元に残って適当な職に就きつつ、弟の世話をするのが妥当だろう。
「……白海は本当にそれでいいの?」
ひときわ強い風が吹く。彼方に浮かぶ雲を睨みつけながら白海は頷いた。
「いいに決まってんだろ」
これでいい。これが最善の道なのだ。自分は間違っていない。そう思いこまなければやっていけなかった。
「医療関係の仕事に就きたいって言ってなかったっけ?」
「アイツみたいに医者になれるような優秀な頭はねえし、いいんだよ。もう別の職種のほうが興味あるし」
「別に医者にならなくたっていいじゃないか。英語以外できるんだし、白海が卑下するほど成績悪くないよ。そりゃお兄さんと比べたらあれだけどさ。ねえ、本当にいいの?」
親友の目は真っ直ぐこちらを射抜いている。白海が作り上げたハリボテをはがそうとしている。本音を言えと訴えている。
白海は波に揺られる海藻に視線を落とした。海藻はいいなと思う。ただ波に身を任せていればいいのだ。自分もそうでありたかった。しがらみに縛られずただ己が生を歩んでいたかった。
「いい。アイツもあれも俺が進学すること望んじゃいねえだろ」
「本気で言ってる? お兄さんが白海の夢応援してないって本気で思ってるの?」
「だってそうだろ。アイツ帰ってくるたびネチネチ俺の成績のことあげつらうし、絶対こんな出来損ない大学に行かせられねえと思ってるって」
昔はそれなりに仲が良かったとは思う。ただしそれは過去の話だ。今は顔を合わせてもいがみ合い、互いに傷つけあうことしかできない。関わるとストレスがたまる一方なので、今では奴が帰省するときは友人の家に避難させてもらっているくらいだ。一人暮らしをしているのだから家事がやれぬことはあるまいし、あちらも気分を害さなくて済むだろう。
「……そう。わかった」
とわが立ち上がったので、白海も腰を上げた。そろそろ暑さがきつい。日陰にいかなければ熱中症になりそうだ。一歩を踏み出そうとしたそのとき、いきなり胸ぐらを掴みあげられて息が詰まった。
「っ、おい! なにすんだ!」
「白海も酷いよね。まさかここまで軽くみられていたとは思っちゃいなかったよ」
瞳の中で炎がごうごうと燃えている。そのくせ声は絶対零度の冷たさだ。だがここで引くほど白海も穏やかな気性ではなかった。
「はあ!? 俺がいつとわを軽んじたって言うんだよ!」
白海もとわの胸ぐらを掴んで怒鳴った。しかし眼前の炎の勢いはそがれるどころかさらに勢いを増すばかり。
「さっきの言い分全部。あのさ、そりゃ白海の家庭の事情は複雑だし、いくら親友といえど踏みこんじゃいけない箇所があることだってわかっているさ。でもまさか本音一つ明かしてくれないほど、心開かれてないとは思わなかったね。それとも君にとっちゃ親友なんてそれくらいの軽さだったってわけ」
「だって、それは……」
白海は言いよどんだ。しかし白海が迷いを見せようが、そこで手を緩めてくれるほど親友は甘くない。とわはさらに一歩詰め寄った。
「白海の中じゃ俺は親友一人簡単に見捨てられる薄情な人間だったんだ。悲しいね」
「っ、それは違う!」
自分の声が静かな港に響き渡る。とわはふっと炎を消して手を離した。白海の手も重力に従ってだらりと垂れた。
「あのね、白海が思っているほど世界は残酷じゃないよ。助けを求めてくれれば協力してくれる人ってたくさんいるんだよ。俺はもちろんそうだけど、俺だけじゃない。一人じゃどうにもならなくても、人がいれば案外どうにでもなるものなんだから」
言い聞かせるとわはすっかりいつもの穏やかな空気に戻っていた。
「まああの人も誤解されるような態度とっているから、白海のせいだけじゃないんだけどね。ま、とにかく一度ちゃんと向き合ってみな。お父さんのほうはともかく、お兄さんは白海の予想とは違う返事を返してくれるはずだよ」
熱中症になる前に帰ろっか、と手が差し出される。
「……悪い」
項垂れたまま謝罪を口にすると、とわが微笑む気配がした。
「いいよ。帰ったらまずは大学調べよっか。白海が就きたい職種に合った大学をさ。白海の頭なら結構目指せるところ多いと思うよ」
ためらう自分の手をとってとわが歩き出す。その温度はいつかの日に自分の手を引いてくれた誰かの温度によく似ていた。
二人きりで電車に乗るというのはどこか違和感があった。とわ相手なので据わりが悪いわけではないが、見慣れなさがある。
「なんか、白海とこうして二人で出かけるのって新鮮だね」
「だな。付き合いはそれなりにあるはずなのにな」
流れる景色を眺めながら、とりとめのない話をしているうちに次の駅についたようだ。間延びした車掌の声と共にドアが開く。ただでさえ利用者が少ないというのに、一番気温が高い時間帯だ。どうせ乗ってくるとしても地元のお年寄りくらいなものだろう。しかし予想とは裏腹に熱気と共に騒々しい足音がなだれこんできた。
「ったく結局昼までかかったじゃねえか! 誰だよ早めにいけば少しは暑さ和らぐっていったヤツ!」
「ごめん龍。結局いつもと同じくらいの時間になっちゃって」
「てかお前がへばるからだろ、このもやし」
「ああ”? お前が昼の海がいいっていうから付き合ってやったんだろうが」
とても見覚えのある三人がぎゃあぎゃあ言い争いながらやってくる。その騒がしさに頬を引きつらせてしまったのは悪くないはずだ。
「うわ、移動しようぜとわ。アイツらと同類だと思われたくない」
「でも今移動しようとしたら余計うるさくなると思うよ」
二人でひそひそと話しあっていると、澄んだ夏空と目が合った。
「ってあれ、白海ととわじゃん。どしたのお前ら」
「ちょっとした用事を済ませるついでに海に行ってきたんだよ。そっちは海水浴場のほう?」
「そうだけど、なに? ついにお前らも海の魅力に気づいたってわけ?」
ずいと顔をよせてくるさくらに白海は顔をしかめ、とわは苦笑した。
「うーん……それはちょっとわからないけど……。まあ今回は人生相談が目的だったからねえ」
「はあ? なんで人生相談の場に海を選んでおきながら海の魅力がわからんわけ? そっちのほうが意味わからないんだけど」
眉間に皺をよせるさくらに、白海は嘆息を落とした。
「いや皆が皆お前と同じ思考で生きているわけじゃないからな。俺はともかくとわをお前と一緒にすんな」
「はーつまらん男ねえ」
さくらは興味が失せたようにどっかりと向かいの席に腰を下ろした。その横に光太が座り、光太をさくらと挟むように龍が座ると思ったのだが、なぜか龍が腰を下ろしたのは白海の隣だった。
「おい、なんで隣に座るんだよ」
「お前のほうがごんより涼しいから」
しかもさくらたちから隠れるように身を寄せるものだからますます困惑が深まる。説明を求めて光太に視線を送ったが、光太はきょとんと不思議そうに見つめ返すだけだった。さくらのほうは窓の外に広がる海を見るのに忙しいらしく視線すら合わない。
「いや俺そこまで平熱低くねえんだけど……」
「別に迷惑じゃねえならいいだろ」
「いや普通に迷惑」
どうしても離れたくないのか押しのけようとするとますます腕にしがみつくものだから動きにくくて鬱陶しい。家庭環境がほんの少しばかり似ていたものだから相談にのったことはあったが、この距離を許すほど親しくなったわけではない。
「まあまあ白海、いいじゃん。たまには龍だって違う人と一緒になりたいときだってあるよ」
外野のとわは呑気に笑う。恨めし気な視線を送っても笑みを深めるだけで助ける気はなさそうだ。先ほどはあれほど熱い宣言をしたというのになんて非情な親友だ。
「薄情者め……」
「酷いなあ。本気で嫌がってたら助けてるよ」
電車は騒がしい高校生たちを乗せて線路を走る。海の香りを乗せて彼らの町へと帰っていく。海がそれを穏やかに見守っていた。
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