見出し画像

ドラマ『姉ちゃんの恋人』【最終回の感想】 人が人を信じる美しさ!

(ネタバレありの感想文です、2020年12月31日現在の最終更新です)

優しいドラマだった。
とにかく有村架純演じる安達桃子が、最初から最後までとってもいい子だった。
桃子だけじゃなくて、友人の浜野みゆき(奈緒)もすごーくいい子だったし、安達家の三人の弟たちも、職場のホームセンターの同僚たちも、林遣都演じる吉岡真人とその母親の和久井映見も、真人の先輩役の藤木直人も、みーんないい人だった。誰もが相手の気持ちを思いやることができて、他人のことをねたんだり出し抜いたりせず、毎日もくもくと丁寧に働き、おのおのがおのおのを支え合っている。物語としておもしろいかどうか以前に、“こころがあたたまる”がこのドラマのとりえだと思う。

画像1

ネットの口コミには「善人すぎて見ていて恥ずかしい」とか「ピュアすぎて非現実的だ」とかいった指摘もちらほら見受けられるのだが、いやいや、もう今年はいいじゃん、とぼくは思うのである。2020年は特殊な一年だった。先行きが見えず、閉塞感ただよう毎日が続き、通っていたお店が閉店したり、楽しみにしていたイベントが中止になったり、悲しい別れも少なからずあったりした。こんな時に「せめてドラマの中だけでも、道の先に光がさす光景を見てもらいたい」と制作者たちが想うのはごく自然なことと思う。人と人とがいがみあったり、傷つけあったりするだけが、社会のリアリティではないはずだから。それに、ドキドキワクワクすることだけが、テレビドラマではないはずだから。

最終回には、象徴的なシーンがある。
クリスマスの夜に、ささやかな家族パーティーが催され、食事をしてプレゼント交換を終えたあと、安達家では毎年恒例の行事があるという。それは、ひとりずつが“自分がいま持っている一番の心配事を発表し合う”こと。

画像2

ただし参加者はそれを“聞くだけ”で、決してアドバイスをしてもいけないし、賛否をコメントしてもいけない。「聞くだけ」がルール。聞いたあと、胸に手を当てて、「受けとめた」と発表者に伝えるだけ。しっかりとその言葉をだまって受けとめ、忘れずに胸に刻んでおくのである。となると、あくまでその心配事を解決するのは本人だ。ひとりのちからで、試行錯誤しながらも問題に向き合うことになる。ただし“ひとりぼっち”ではない。受けとめてくれた家族や仲間がいる。見守ってくれている人たちがいる。

ぼくは思う。
このドラマは、“このシーンを視聴者に届けるため”に描かれた作品だったのかもしれない、と。

スマホを開けばあーだこーだと好き勝手な批評ばかりが大量に行き交い、喜怒哀楽が無闇に増幅され、陰口や悪口が横行している。そんな2020年の社会のなかで、「ただ受けとめるだけ」という、それだけしかやらないという“強さ”がそこにはあると思う。
考えてみれば、このドラマは第1話からずっとそうだったようにも思える。自分の事をそっと見てくれている人、信じていてくれる人、待っていてくれる人がいた。
そういう人がいてくれることだけでがんばれる、どうにか一日一日を生きていける。そういうさりげない支えが、過去の傷をいつか癒し、明日へと一歩踏み出すチカラになる。
お節介をして相手のふところにずかずかと踏み込んだりはせず、ただなにをするでもなく、見守っていてくれる人。

有村架純は、そのやわらかい笑顔で、人と人とがつながり合うことの重要性を思い出させてくれる。
このドラマには、有村架純の笑顔がとてもよく似合っていたと思う。

画像3

画像4

画像5

この物語はファンタジーかもしれない。
時に嘘っぽく目に映るかもしれない。
でも、だまされてみるなら今だと思う。
今こそ、人が人を想い合う美しさを、信じてみる時ではないか。そう思わせてくれるドラマだ。

(おわり)

コツコツ書き続けるので、サポートいただけたらがんばれます。