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弟の話

私には3歳離れた弟がいる。
弟が母のお腹から出てきて家にやってきた時、たったの3歳だった私は、
(なんだこの愛おしい生き物は!)
(こんな可愛い子、世界中どこを探してもいないぞ!!)
と、小さな籠で眠る小さいながらもしっかりと呼吸を繰り返す弟を見つめながら、本気で思い震えていた。

数年前、初めての就職をして1年と半年が過ぎた頃、徐々に世界が灰色にしか見えなくなってしまった。
見えるもの聞こえるもの匂うものまでもが灰色で、テレビの砂嵐の中で砂を食べるような感覚で生きていた。
今思えば、鬱病になっていて仕事と人間関係の悪化で、精神状態はぐちゃぐちゃだった。

今再び、身体精神共に不調を感じていたので、知人に勧められた心療内科を受診した。
詳しい結果はまだだが“うつ病”という診断だった。2、3検査を受け、今後の改善法を聞いたら一気に数年間悩んでいた事の理由がわかった。
自費なので診療代の高額さには驚いたが、「そうですね、鬱病です」と快活に告げられた時は、逆にすっきりとし少し安心した。
そうか、わたしは鬱病なのか。じゃあしょうがないなあ…とまではなれないけれど、腹の中にすとんと落ちるものがあった。

ここ最近、朝は起き辛く夜は眠り辛かった。家に帰れば泣いてばかりで、自分の存在を消し去りたかった。
それは、あの社会人1年目を迎えた時と同じ心境だった。
二度とあんな思いはすまい、自死を選ぶなど愚かな選択である、と肝に銘じたはずなのに繰り返している。だから今回は気付いた瞬間に心療内科を受診した。今後は完治できるよう専念したいと思っている。

そんな私のこの自決の思いを食い止めたのは、ある夜泣きながら、ふと頭を過ぎった弟の事だった。

(もし今死んでしまったら、あの子と会えなくなってしまうのか)

そう考えると、猛烈に悔しくて、悲しくなった。

彼の未来を見る事が出来ない、もっと成長した彼と過ごす事や話す事が出来ない、それがものすごく苦痛だった。そういった思考になると、なにくそこのやろう、何が何でも生き延びてやるよ、と自然と生命力が溢れたのだった。

弟との思い出や赤ん坊の頃の姿を反芻し、彼の未来を勝手に想像し、気持ち悪く微笑んでいこう。そうしてしぶとく生き続けて、彼の働く姿や活動を見続けよう、そう誓った。

まだまだ体調は良くないけれど、改善と対策を身に付けこれから来たる困難や苦難に備えようと思う。

今度実家には、弟の大好きなマックスコーヒーと塩パンを、両手いっぱいに抱えて帰ろう。

#コラム #エッセイ #日記 #つらつら #うつ病