ラ・ヴィダ・エス・ディフィシィル
朝10時にかけた僕の電話越しの彼女は、「久しぶりね」と笑っていた。
「こっちは夜11時よ。地球の裏側で繋がるなんて面白いよね。」
とボリビア人の彼女は言った。
タリハにいたとき、僕は何を感じていたのだろう。
あのときの感触を今思い出していた。
☆
僕はタリハという街に数ヶ月暮らしていた。タリハ(Tarija)は南米ボリビア南部にある小さな地方の街だ。人口は約30万人で、ボリビア第7の都市である。
そんな街に僕は暮らしていた。
僕はそこで多くの人に出会えた。アコースティックギター一本で南米を渡っていたあるペルー人は、初めて僕に会ったときいきなり大声の日本語でL'Arc〜en〜Ciel の曲を唄い出した(しかもめっちゃうまい)。コロンビア人の夫婦は、友達が麻薬取り締まりを行っていた警察に誤射され亡くなってしまった話を涙ながらにしてくれた。
そんな出会った人達の中で一番仲が良かったのが、電話先の彼女だった。
彼女はスペイン語の語学学校の先生だった。
彼女はとても優秀だった。英語とフランス語を話すことができ、カナダで働いていた経験もあるらしい。彼女は空き時間で大学にも通っていたりしていて、いい仕事に就きたい、とキャリアに対しても意欲的であった。僕は南米の人たちは陽気な印象を持っていたので、キャリアに対して意欲があるのは意外だった。
しかし、彼女の働く学校の給料は安く、昔の10分の1の給料で働いているらしい。そもそもボリビアの地方都市、観光客もそれほど多くないこの街では、良い仕事は少ないだろう。
なぜなのか?
彼女は29歳だったが、子連れだった。
彼女はバリバリやっていた仕事に疲れていたときに出会った男性と恋に落ちてしまい、結婚して地元のタリハの街に帰ってきた。そして子供も生まれた。しかし、結婚後遊び出したその男に逃げられてしまった。
ここまではよくありそうな話だが、ここからが違っていた。
彼女曰く近年作られたボリビアの法律で、未成年の子供が自分の住む県から出るときには、両親の許可証が必要らしい。その法律はたとえ片親と一緒でも許されない厳しいものであるのだ(子供の誘拐事件が起き社会問題として取り上げられたことがきっかけらしい)。しかし、彼女は別居中の夫と連絡が取れないため、子供が県から出ることができない。つまり、子供を連れて他県や他国にいけないらしいのだ。
すなわち彼女は自分の住んでいるタリハ県から出て生活することが法律的にできないらしいのだ。
彼女は働きたいと言っていた。今は2歳の子供がもう少し大きくなれば、祖父母に預けて自分は海外で働きたいと。自分のキャリアを生かしたいんだ、と言っていた。
同時に彼女は、「わたしだってもっといい人生を本当は過ごせたかも知れないのに」と言っていた。
・・・・・・・・・
ラルクのペルー人は、とても仲が良かったのだけど、ある日ワインを飲んだくれて夜中に酔い暴れていた。彼はその時、ただ「怖いんだ、俺は怖いんだ、、。」と嘆いていた。彼が今の旅を辞め、ペルーで就職すると言っていた次の日だった。
店の近くには駄菓子屋があった。そこで働く20歳の女の子がいて僕はよくトークしていた。ある日、彼女との会話の中で大学の話をしたら、急に彼女は泣き出した。「わたしだって、、大学に行きたかった、、。本当だったら、、、。」彼女は大学に充分行ける財力のある家庭に育っていたが、高校卒業間際に妊娠が発覚してしまい、退学処分になったそうだ。普段明るい彼女もこんな後悔をしているのかと感じた。
・・・・・・・・・
なんだか僕は「変わらないんだな」って感じた。
正直南米の人なんてみんな楽しいことだけ考えて生きているのかと思っていた(確かに日本人より陽気な人は多いのは間違いはないのだけれども)。だけども、心の中にはキャリアに悩んでいたり、不安や後悔もいっぱい抱えている。
きっと世界のどこへ行っても、みんなそれぞれ自分の人生に悩んでいて、壁が存在していて、恐くて堪らない瞬間があって、過去の選択に「もしも」と傷ついたりするのだろう。
☆
僕は電話をしながら、自分の悩みを彼女に話していた。
自分に自信がなくて怖くて消えてしまいたいと思ってしまうこと。
コミュニティに所属して他人と関係を築いていくのに恐れていること。
1年就職活動していて、どこにも受からないこと。
自分のキャリアがこの先どうなっていくか不安でたまらないこと。
僕にとっては大きな心巣くう悩みだけど、言葉にしてしまえばたいしたことなくて、みんなと同じような悩みとして簡単に扱われてしまうようなもの。
散らばった言葉。論理的でない感情の羅列。
そんなことを語っていた。
彼女は僕の話を聴いてくれた。
僕の拙いスペイン語でどこまで僕の言うことを理解してくれたのかわからない。
ただ彼女は「うん、がんばれ。」とか軽んじて聴いたりはしなかった。いかにも深刻そうに「可哀想だね。大丈夫?」と哀れんだ感じで聴いたりもしなかった。絶妙なバランスで僕の話を聴いてくれた。
最後に彼女は、なにかを心の底から感じるように、でも暗くなりすぎないような少し希望を含ませようとした語感でこう言った。
「 La vida es difícil 」
ー 人生って難しいね
と。
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