見出し画像

湯けむりの町でロックする人

1月2日、先の投稿の通り暇を究めて大分市をタイムズカーで一人ドライブ、真空ジェシカのラジオ父ちゃんに爆笑しながら気づけば臼杵市野津まで来ていた。農協でおやつに買ったジャイアントカプリコで絶賛上顎えぐれ中の折、高校のバンドのラインに智哉から「帰ってる?」と連絡があった。智哉君は今まで何度か登場している、俺の小中の同級生で中高とバンドメンバーのギタリストである。俺らが遊ぶときは事前に計画など立てられたこともなく、今住んでいる福岡に遊びに行く時でも「ごめん今日泊めてほしい」である。最悪ですね。まあそんな仲なので暇であればとりあえず声をかける。その日は温泉に行きたい気分だったのでとりあえず別府駅で集まり、まずは濱勝で飯を食う、その並んでいる間に向かいのブックオフで智哉は「今度ベースとデュオで弾き語りのステージに立つから」という理由で110円の『イエモン全曲集』という大きく出たタイトルの楽譜をレジに持っていき、20%引きで88円でイエモンの全曲を手にした。俺たちの遊び方はこんな感じで、部活の無い日は自転車でブックマーケットかブックオフで中古のCDと本を漁り、TSUTAYAでレンタル落ちのCDを漁り、家で聴いていた。そいつらが中2で楽器を手にしたことにより"バンド"が加わった形である。

新年だし身体を絞ろうと思っていた矢先のご飯味噌汁おかわりを成し遂げたところで目的の温泉へ。今回久しぶりに行った鬼石の湯はそこそこの値段をとるが、内装はめっちゃきれいで高級旅館の佇まい、内湯に浮いている大量のざぼんやゆずが九州で温泉に入っているという風情を醸し出し、そもそも620円という入湯料も智哉のお母さんがくれた回数券でクリアしたから全然大丈夫だった。お礼に外の自販機でサントリーのトマトジュースを奢った。2つある露天風呂がとにかくよく、外気浴を挟みながらお互いのバンドの話、今後やりたいこととかをだらだら語った。智哉は別府の人脈と文脈を引き継いで福岡で本業として音楽をやっているので、当時のメンバーの近況を聞くのが楽しい。温泉はだらだら語るのにちょうどよい。

時間はまだ21:30、解散するには暇すぎる人生なので、酒でも飲みに行くかと車を智哉の家に止め、財布だけ持って別府駅前の歓楽街に歩き始めた。家から40分ぐらいかかるので湯冷めには絶好の機会であり、保湿もしてないせいで途中から顔面が完全にパリパリになっていくのがわかったが、かつてのバンド練習でスタジオに行くときに使っていた道を二人で懐かしみながら歩くのはパリパリの嫌さを緩和するにはじゅうぶんだった。1月4日現在も上唇をなめている。その道を歩いていたせいもあって話題は12年前に死ぬほど会っていた周りの同い年バンドメンバーの近況である。名前や高校、パートはもちろんのこと、Herdownside cafeは当時高校生がおしゃれ音楽をやるというのが新鮮すぎた、でもやめたドラムのまきさんが作った曲が一番よかったね、プログレをやりたがってたダイ君がプロデュースだといって始めたバンドace spadeとかあったわ、などなど案外覚えていてびっくりした自分でも。あっさり別府駅前に着き、灯りに導かれるがままに碁盤の目を踏み始めた。

街はいわゆる"元気"を取り戻しており、1月2日からマッサージの勧誘やら、見た目が2パターンぐらいしかない5人組の男の集団とか、バーのかわいい看板柴犬さくらちゃんとか、そういう連中がネオンサインの下でくだをまいていた。これが別府である。ビール1杯とりゅうきゅうをつまみにできればいいやと思いながら歩いていたが意外とたくさんの店がやってることにテンションが上がり、ずんずん歓楽街の奥の奥まで進んでいくと、真っ赤っかの「カッパーレイヴンズ」が現れた。歓楽街の終着地である。

ネオンがついてるから多分やってるんだろうと思って扉を開けた。そしたらバー営業をしてくれていたのでpaypayで600円を払いサッポロの中瓶で乾杯した。カッパーレイヴンズは俺が2008年8月10日にライブハウスデビューを果たして以来、自主企画も含めておそらく10回はステージに立った場所である。2010年の頭ぐらいに一回閉店したが、星野さんという気のいいおっちゃんが入って再興してくれた。そのこともあって11th anniversaryというグッズを売っていた。別府は実はロックンロールの盛んな町で、1個上の先輩バンドはみんなロックンロールだけのオリジナルをやっていて、そんなバンドが市内に5組ほどいたぐらいである。このカッパーをみんなホームにしており、雰囲気もあいまって全国からもツアーの組むバンドが多い。浅井健一、遠藤ミチロウ、シーナ&ロケッツ、あと壁のサインで中尾憲太郎も確認できた、名だたるロケンローラーが同じステージに立っている。ライブを観るには邪魔な柱が多すぎるが、雰囲気は抜群である。智哉はこの町とこの場のロックンロールに影響を受けている。俺も少しだけでも吸収しとけばよかったと後悔する。当時はバチバチだったので、先輩バンドを対バンで喰ってやろうとしか思っていなかった。タバコ・酒とかやるなよと思っていた。

星野さんはそんな俺たちのことをうっすらと覚えてくれていて、同い年バンドのメンバーが今どうしてるとか教えてくれた。これぞライブハウスの店長だ。カウンターでどっしり構えるだけじゃなく、新しさや変化を常にインプットし続けていく。こうありたいですね。ライブハウスで一番ライブを観やすい場所ってPA卓またはカウンターだと思っていて、そこで穏やかに観ているとバンドをかなり俯瞰できるんだろうな。客席フロアなんかで観るより絶対いい。だからオーディエンスとバンドに対する印象が変わったりすると思う。これはよくないね。

そのへんの話をしていると、突然ドアがガラッとあいて年の頃50中盤の白髪のおいちゃんが急にしゃべり始め、それと同時に酒を注文した。星野さんも「二階堂でいいでしょ?」と慣れていた。常連だ。完全に酔っ払いで自己紹介もせず、ババアをナンパした話と、今から一緒にババアをナンパしにいこうという話を進めている。好物だ。ババアを抱いた時の話、君らがずっと音楽だバンドだときゃっきゃやってるうちに周りは結婚しちょんぞ!という脅しなどを受け、奢るわーといいながら数千円をカウンターに置く(俺は飲酒のペースが噛み合わず一杯も奢ってもらえなかった)こっちもおもしれーと思っていると突然「カミさんが死んでからさ云々」と話を切り替えた。星野さんもうんうんと聞いている。そっか、奥さんが亡くなったんだ、とこっちもシームレスにうんうんと頷いた。その後また元気を取り戻してババアナンパの誘いを続けてきたが、あしらっているうちに突然挨拶もせずドアを開けて帰っていった。嵐のようにきて嵐のように去っていった。きくと近所に住んでいる有名なおいちゃんで、数年前に奥さんを病気でなくし心を病んでしまい、飲んでいるときは陽気でいられるらしい。バンドマンだけでなく、さみしい人のホームでもあるカッパーレイヴンスの懐、とじんわりした。我慢できず席を立ち、かつての自分たち(全バンド含めて)をおさめるように、中の写真を数枚撮った。

「東京で一応バンドやってます」というと「がんばれよ!」「うちでもやってな!」「かつての同級生が今別々でバンドやってこうやって集まる、エモいねえ」なんて言われる。なんもしてないですよ、ほんとに、とは言えず、とにかくやらねば、という気分になる。いつも帰省するときは土産話を持って帰るように努めているが、バンド関連の土産話は絶対に持っておきたいな。

0時をすぎた街に出た。来るときにうるせえなあと思ってみていたクラブっぽいバーは「あの女、店員だったんだ」とわかるフォーメーションにトランスフォームして引き続き轟音を鳴らしていた。ホテルの仕事終わりのすっちゃんを呼び出し、締めの一杯とラーメンを探してなぜか大分の都町まできた飯にありつけたのは1:45。辛麺おいしかった。

店を出るとジャングル公園で、別府とは比べ物にならない人数の連中がこれもまたくだをまいていた。くだまきcity大分をあとにして軽を走らせる、リトルくだまきcity別府へ。海沿いで帰れるのになぜか山道を遠回りして。3:00に家に着いてそのまま寝た。こんな遊び方で女と接点など生まれるわけもなく、そのまま結婚をした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?