多発性骨髄腫という病①

血液系の癌です。

訪問看護士さんに聞いたところ、症状は様々だそうです。

ネットで検索しても、末期症状については、あまり書かれていないので、私の母について書いておきます。

一番最初の異変は「圧迫骨折」でした。

母、77歳の時に圧迫骨折になりました。とはいえ、年齢的なものだろうと思っていたんですよね。普通に整形外科で治療していました。コルセットをして寝たきりです。

その後、たまたま、内科の主治医が「血液系」の先生に変わってから多発性骨髄腫だとわかりました。これまでの血液の数値や圧迫骨折になったことから判明したのです。

もし、主治医が変わらなかったら、多発性骨髄腫の発見は遅れたかもしれません。

その後、PETで全身を検査しましたが大丈夫でした。

とはいえ、抗がん剤治療が始まったのと同時に、母と私の闘病生活が始まるのです。

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抗がん剤が合わずに、苦しむ母。

そのうち、癌から逃げるように、認知症になりました。

多発性骨髄腫の病院、精神病院、高齢者施設、自宅。この4か所を何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、行ったり来たり。たらいまわし。

そのたびに、手続き、施設探し、役所、ケアマネさんとの顔合わせなど、もう、時間がどれだけあっても足りないくらい。

母の機嫌も体調も悪く、今 思い出しても 地獄のような日々でした。

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色々ありましたが、昨年6月に施設から母を引き取りました。

それからは、うそのように穏やかな日々でした。この日々なら、長くつついても良いなと思っていたのに。

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体調が日々、衰えていったのは今年春ごろ。世の中がコロナウィルスでざわざわしているころです。

毎日「こわい、こわい(疲れた、疲れた)」と言っていました。


1日に起きていられる時間も、3~4時間くらい。ほとんど眠っています。

そして、呼吸も荒くなり、呼吸困難になることも。

この時は1日に2~3時間しか起きていません。

ステロイドの副作用で、顔、首、おなかは膨らんでいますが、手足は細いまま。

苦しそうでした。

認知症も進んできました。

看護師さんから「終末医療を考えたほうが良い」と言われたのは8月末でした。何人も看取ているプロにはわかるんですね。

それから、1ヵ月で天国に逝ってしまった。

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