人は自分を投影して他者を見ている ~Episode II : ATTACK OF THE BOSS~
こんにちは、とりコレクターです。
今回は前回に引き続き、最近わたしが改めて感じた
「人は自分を投影して他者を見ているんだなぁ」
というお話の2つめを、ゆるりとさせていただきたいと思います。
特に、「否定や批判をされた(と感じた)」ときの、気持ちの整理にお役立ていただけたら幸いです。
Episode II
ATTACK OF THE BOSS
(脳内で、上部が奥にすいこまれる感じで字体をややナナメに倒し、
例のテーマソングを流してください)
これは、別の知人の上司(=以下、ポメさん)の話。
先日ポメさんが知人に、「〇〇さん(知人)が会議とかで人の話をさえぎってくるの、ちょっとイヤ」的なことを言ってきたらしい。
それに対し、「自覚はあるけど、どうすればさえぎらずに済むか?どうすれば穏便にさえぎることができるか?」と真摯に受け止め悩む知人。
それを聞いたわたくしが、横になってテレビ見てるくらいのゆるさで思ったこと。
「あーその人きっと、『気持ちよく話し続けること自体がスキなタイプ』で、さえぎられるとイラっとして傷つくんじゃないですかね、ボリボリ(お菓子を食べる音)」
人間の時間は有限。そしてそれが会社であれば、「皆の時間=会社のお金が使われる経費」。
そんな中で、どこまでも限りなくしゃべり倒されたら、人も会社も倒れるでしょう。
だから、「さえぎる」ということは時に必要で、それをやっている知人。
対して、それを「いやがらせしてくる。しゃべらせてくれないならすねちゃうから!ぷん!」と思って(いるかはわからないけど)、いじけるポメさん。
そんなポメさんに「自覚があるだけに痛いところをつかれた、批判された。ぐすん。」と感じる知人。
そしてそれを外側から高みの見物をして、例によって脳内の人物属性・行動データベースから情報を引っ張り出し、
「ははーん、なるほどね、たぶんポメさんはこういう人でこう感じたんじゃないかしら」
と考えたわたし。
(うすうすお気づきかもしれませんが、かまってちゃんぽさをひしひしと感じたので、ポメラニアンにあやかって独断と偏見で「ポメさん」とあだ名をつけさせていただきました)
知人に対しては、減点主義で自分から点数を差し引くことを趣味にしていたころの、わたし自身のデータが大いに役立ちました。
というかそのころの自分をそのまま知人に投影してた。今思うと。
上記の「事象、行動」はそのままに、それぞれの「登場人物(立場)」を入れ替えたら、その「感じ方」はきっと変わってくるでしょう。
「批判や否定」だと「感じた」ことは、実はそうでないかもしれないし、
そういう言動をした人には、その理由や事情がきっとある。
やっぱり要するに、お互い自分の知っている人や経験を投影して、お互いを見ているのだな。
そして、そのことを覚えてさえいれば、アオサギのようにゆったりと、心のざわつきを抑えられるのではないでしょうか。
というお話たちでした!
~The End~
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