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歳をとる醍醐味は苦味だ。

年齢を重ねるにつれて、苦い味・お酒が美味しいと感じるようになった。
苦いと避けていたビールも今では大好きだし、食べ物でもお肉中心の生活から野菜や魚なども美味しさを感じるようになった。

お酒は酔う為から、味わう為に、食事は空腹を満たすものから、幸福を満たすものに役割が変わってきている。

それもこれも甘味・旨味だけでなく、苦味も楽しめるようになったことが食事の幅を広げているからだと思っている。

そしてその楽しさの幅は歳を重ねるごとに広がっている。

そう思うと歳を重ねることにおける最大の醍醐味は苦味を楽しめることではないかと、最近思うようになった。

私は後悔という名の苦味をたくさん持っている。
一番昔の後悔で言えば、4歳の頃。

当時の幼い自分は格好いいと思って靴の踵を踏んで履いており、母親からちゃんと履きなさいと言われていたにも関わらず言うことを聞かず、踵を踏んだまま履いていた時期があった。

その時期に家族で遠出し、帰り際に晩ご飯でも食べようかとSAに寄った際に早くご飯を食べ終わった自分は暇を持て余しており、席に座らずにフードコート内をぶらぶらしていた。
ぶらぶらすることも飽きた自分は戦隊ものゴッコを一人でやっており、空想の敵と戦いを始め、パンチやキックを繰り広げていた。
そしてトドメを刺そうとして渾身のキックをした際に、踵を踏んでいたことが災いし、右の靴が宙を舞い、そのままカウンターで食べていたスキンヘッドのおじさんのラーメンにサプライズトッピングしてしまったのだ。

もちろんおじさんは怒り心頭、私はやってしまったーという思いに溢れ大泣きをかまし、その事態に気づいた両親はおじさんに平謝り、そのあたりから記憶がない。

こんな昔の思い出すら、ふとした瞬間に思い出し「ああ~なんで、あの時に踵を踏んでいたんだろう、どうしてご飯食べ終わってから椅子に座っていなかったんだろう、どうしてあの時トドメはパンチじゃなくてキックだったんだろう」と後悔してしまうぐらい後悔の記憶はたくさん残っている。

こんな思い出をたくさん保有している私にとって、ほとんどの思い出は、今までずっと自分の足枷になっていることが多かった。
思い出だしては恥ずかしくなり、自分のことが嫌になってしまっていた。

しかし、最近は恥ずかしさで悶絶していた思い出を思い出しては懐かしいな。と笑えるようになった。
何度も思い出して慣れたからなのか、自分の感覚が鈍くなって気にならなくなったのか分からないが、昔ほど恥ずかしい思い出ではなく笑い話にすることができている。

これは大人になって苦味を楽しめるようになったからではないだろうか。

だとすれば、やはり大人になる醍醐味は苦味を楽しむことだと思えてくる。

これからも私はもっといろんな苦味を知り、食事の幅を広げることができるだろう。仕事においてもキラキラした目立つ仕事より、ほとんどの人が知らないが絶対に必要な渋い仕事に魅力を感じるだろう。
そして今まで経験した苦い思い出もいつか全て笑い話にすることができる日がくる。

はやく今までの思い出を人に笑い話として、酒の肴として話せるぐらい歳を重ねたいな。

今日もお酒がうまい。

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