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双極性障害の妊婦が精神科通院も服薬もやめて、気分屋としてふあんふあんと生きていくまで

双極性障害(躁鬱病)とは、躁状態と鬱状態を反復する精神疾患である。病気というより体質に近い、という実感から、当事者は自らを「躁鬱人」と自称することもあり、私も私は躁鬱人だと思っている。

私の診断名は双極性障害 I 型であるが、躁状態で社会的問題を引き起こしたことはあまりなかった。といっても、過活動・タフになって、それに付き合わされる夫を疲れさせるとか、友人に急に 3 時間ぐらいのハイテンションな長電話をかけるといった迷惑はかけている。これは、典型的な双極性障害 I 型の躁状態のトラブル(莫大な借金を作る、性的に奔放になって浮気、怒りやすくなって人間関係悪化、国家を建設しようと奮起とか)に比べるとちっぽけなほうである。躁状態は基本的に、私にとって、幸福な状態である。身体中、隅々までエネルギーに満たされ、頭は澄み切って冴え渡り、いくらでも当意即妙な言葉が出てきて、何百人の聴衆を前にしても堂々と雄弁に演説できる自信がみなぎっている。実際に色んな能力が向上し、指先の細かな筋肉までコントロールが行き届いて字はきれいになるし、体はいつでも走り出せるぐらいバネのようだし、自転車は漕いでも漕いでも疲れないし、アイデアは溢れて止まらないし、異性にはモテるし、カリスマ性があるとさえ言われるし、何時間も集中力が持続するし、遅く寝ても早く起きて元気爆発だし、ババ抜きをすれば、集中してカードを凝視することでなぜかババを回避するような超能力(?)さえ出る。

社会生活に支障をきたすのはもっぱら鬱のほうである。鬱状態は、疲労・緊張・自責等が引き金になるものの、躁状態がある一定以上続けば、気をつけていてもやってくる。一度やってくれば、理性では、どうにでも挽回できる状況だと理解できても、生きるための根本的なエネルギーというか活力のようなものが枯渇するので、なにもできなくなり、希死念慮に飲み込まれてしまう。心のエネルギーの病的な枯渇がまずあって認知が歪むので、認知行動療法やカウンセリング等、心理的なアプローチは全く効果をなさない。こうなると、最短で 2 週間、長くて 3 ヶ月とか寝込んで活動を停止しないと元には戻れない。逆に、ある一定の時間が経つと、霧が晴れたように躁転する。何かの悩みが解決するとか、成果をあげるとか、環境の変化が一切なくても、ただ、休息した時間によって解決し、認知が一変する。

なので、鬱になったらすぐ隠居できる環境にいさえすれば、死なないですむ。しかし、いずれやってくる鬱が終わるときまで、ひたすら眠り、焦らず休み続けるのは、本当に勇気がいる。「明けない夜はない」かもしれないが、明けるかどうかはどうでもいいから、今すぐ首を切り落として、楽にしてほしい、と介錯のことばかり考える。

双極性障害が鬱病以上の自殺率を誇るのは、幸福な躁とのギャップに加えて、この耐え難い苦しさが繰り返される、ということの絶望のためではないかと思われる。

鬱になることはとても苦しい。神経を突き刺すような、切迫した苦痛で、一秒でも早く死ななければもう、次の一秒に耐えることができない、という拷問が、いつ果てるともしれずに続く。鬱の兆候は、するりするりと忍び寄ってきて、最初は、ちょっと体調が悪くて、などとお茶を濁してすむが、次第に言い訳が尽きていく。じりじりと締め切りを伸ばしたり、嘘をついて欠席したり、自分の不甲斐なさを謝罪したり、ギリギリの小細工でもって正気を演じる。鬱になる、つまりありとあらゆる意欲とか心のエネルギーがなくなるというのは、自分が、自分の知っていた何者かではなくなるということだ。自分を規定していた欲望も、希望も、原動力も、なにもなくなってしまうのだから。自分が、自分の知っている自分でないがゆえに、他者の前に立つこともできない。他者と対話するには、自分が何者で何を望んでいるか(例え錯覚でも)わかっている必要があって、それがないことは、足場ががらがらと崩れ去るに等しい。つまり何も語る言葉が出てこない。助けを求めるどころか、普通の会話さえ、気が狂いそうで、親や恋人のような親密な関係性の人ほどシャットアウトしないと正気を保てない。シャットアウトしながら、この間に、この愛する人たちが事故とかで死んで最後の別れも告げられなかったらどうしよう、という不安ももたげる。

目の前のことに何も手がつかない、胃をキリキリと締め上げるような情けなさ、弱くて無能で迷惑ばかりかけている自分でいる苦しさ。それでいて、周囲の人には、そうした鬱症状が、環境とは切り離された脳の問題として定期的にやってくるとは理解されないので「結局、対人関係とかに悩みがあるのでは?認知行動療法なり、自信をつけるなりして、強い心を持て」などと見当違いな助言をされてしまう悔しさ。

躁鬱を反復するということは、その都度、世界認識がガラガラ変わるということで、これは自分が見ている世界を信じられないという混乱をもたらす。そしてまた、本来の自分はどの自分かにも混乱する。躁状態の万能感あふれる自分を自分と思っていたい一方で、周りは、躁鬱の反復のたびに私像をアップデートしてしまう。

自分は本当に躁鬱なんだろうか?ということの受容に時間がかかった。自分に都合の良い物語を選んで酔っているのではないかと疑った。幸いにも自分は、虐待も受けなければいじめや犯罪の犠牲者にもならず、衣食住があり、薄給だけどそこそこの給料があり、友人は少ないけど、今は配偶者と息子もいるし、実両親とも義両親とも良い関係である。鬱でさえなければ、今までの自分の努力を誇りに思っているし、これからもなんでもできると思っている。なのになぜ鬱になるのか?自分はひどく弱いのだろうか?躁鬱であるとして、それはどういうことだろう?中1で亡くなっった祖母が、遺言で「がんばりすぎないように」と言ったのも、私が躁状態のブーストで異常に集中し、そのあと寝込むのを心配してのことだったと思うので、躁鬱体質は小学生頃からすでにあったと思う。受験期間とともにそれは悪化していったが、当時は、これが「心意気」とかマインドセットの問題なのか、脳の構造とか欠陥とか生来的問題なのか、もし躁鬱なら、この反復をどう押し殺していけばいいのかまるでわからなかった。

けど、躁鬱かどうか自体を考えるのは無意味だと気づいた。脳のどこかの箇所の欠陥がこのビョーキの原因です!とわかったところでなんになるだろう。診断がついて、脳のビョーキです、と言ってもらえて、心がラクになった部分もあるが、脳のビョーキであろうが、怠け者であろうが、定期的にやってくる鬱とともに生きていくという現実には変わらないのだから。精神科的な解決策では薬しかない。でも「薬が効いているのか」は主観的に確信できるほど明瞭ではない。主治医は、一ヶ月おきにやってくる患者の、要領を得ない話を短時間聞いて、この薬は効いてるっぽい、こっちは効いてない、あれを増やそう、これを減らそう、と試行錯誤してくださるが、「条件を整えた比較対照実験」とは真逆の暗中模索に見える。そしてしかも、「完全に大成功な処方」が見つかったとして、その処方を飲んだ先のゴールは、「健常者がマジョリティである社会で生きていけるように、自分の脳を薬で変形させる」ということだ。重い鬱状態で自殺しない代わりに、躁状態のもつ多幸感も、爆発的なエネルギーも、実際に開花するあらゆる能力も全部なめして、ぼんやりした「準健常者」になるということだ。そんなものに満足できるだろうか?

根拠がなくても、ぶっ飛んでいても、自分を救ってくれる「決めつけ」にすがって、妄信して、よるべのない不安感から逃れたいーーだから私は、神田橋語録と坂口恭平の「躁鬱大学」をとりあえず信じることにした。一旦信じてみて、自分の現実と一致しなければ、いつでも捨てるなり改良すればよい。背理法と同じで、一旦、ある仮定にのっからないと、発見できない誤りは存在するから、あとから振り返って間違っていたことを信じていても、それは後退ではないのだ。

どんな精神科医療の専門家が書いた本より、当事者である坂口恭平の言葉が真に迫っている。心臓で状態がわかるという指摘もそのひとつだ。私自身、躁状態では、体を横たえると心臓の鼓動で上体が波打つのがわかるくらい、動悸がひどい。何度か内科の医者に相談したこともあるが、心臓の問題じゃなく脳の問題だからか、異常は見いだされなかった。動悸だけじゃなく、頭の皮膚がパーンと突っ張って、耳がずっと引っ張られるような感じになる。脳みそが外気にさらされているような感じ。主観的な違和感だけではなく、脈拍を測ると少し早くなっていたりもする。

躁鬱大学と神田橋語録に出会ったのは、産休が始まった頃だった。生まれてくる赤ちゃんに初乳を与えたかったので(免疫とか色々メリットが多い)、私は初めて断薬した。母乳は血液から作られるので、服薬を続けていると、母乳を通して赤ちゃんも薬を飲む危険があるためだ。「精神疾患もちの高リスク妊婦」であるため、普通の産院ではなく、大学病院で産むことになり、それに伴って、通いなれたクリニックから大学病院の精神科に移った。この精神科での体験で、精神科医療に辟易したのと、初めての出産と子育てで文字通りてんてこ舞いだったこともあり、産後は精神科への通院もやめた。断乳後は服薬を再開できたのだが、もう飲もうと思わなかった。その代わり、躁鬱大学と神田橋語録に従って、ふあんふあんと興味の湧いた色んなことに手を出し、手広くやってみたところ、一度も鬱で寝込まずに済んだ。1年半もの長きに渡って、鬱で寝込まなかったというのは、12歳~29歳の18 年間で初の大記録だった。私は生きようによっては、鬱を寝込むほど悪化させずに生きていける。社会に合わせて自分を変えるのではなく、自分の気分を尊重して生きてさえいれば。神田橋語録でいう「気分屋的生き方をすると気分が安定する」ということである。


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