綺麗な振袖と私(自己紹介)
6月半ば、成人式の前撮りに行ってきた。とっても綺麗な振袖を着て、ああ、もう自分は約20年も生きてきたのかと思った。
それと同時に、両親に愛され、友達にも恵まれているのにこんな状態な自分をとても恥じた。私は一体これ以上何を望むのだろう。
まず簡単な自己紹介をしよう。
私は現在絶賛二浪中の19歳女である。
高3の4月(2019/4〜)より双極性障害を発症し、不登校になった。先生や両親の助けもあってなんとか卒業したものの、大学受験をする余力はなく今に至る。
高校は進学校だったので、同級生は大体現役で志望校へと合格していて、そんな周りと自分を比べて劣等感に苛まれる日々である。
(余談だが、この前高校の時の担任に「同学年で二浪してるのは○○(私)だけだよ」と言われかなりグサッときた。)
時が解決してくれる問題も中にはきっとあるだろうが、2年経ってもこのコンプレックスばかりは解消されないらしい。
次にセンシティブな話だが、私の発症の原因について軽く触れておく。それは高校の部活動だ。もう自分の中では消化しきっているので、高校のことも、部活動の話題も別に地雷でもなんでもないが、備忘録としてここに記しておきたい。
私は中学、高校と合唱部だった。
中学は弱小だったので大した思い出はないが、高校は違った。強豪校かつ、大会の書類の記入や選曲まで自分たちでやる「超生徒主義」なところで、端的にいうとめちゃくちゃブラックな部活だった。そこでは友達にも恵まれたし、人間関係においては不自由は何一つなかったが、とにかく仕事が多くて1週間に10時間も寝られない生活が続いたり、少しでも仕事が〆切までに終わらないと周りが困ってしまうので、常に自分を責め続けるような日々だった。
私の部活は3年生の引退の時期の関係上、高2の時が最も忙しい。そしてその忙しい時期が終わって進級した高3の4月、なぜか涙が止まらなくなって、体が動かなくなって、玄関から出るどころか布団からも出られない状態に突然なってしまったのである。
つまり不登校になった訳だが、長くなるのでその話は今度また詳しく書きたい。
そこから今までの2年半はもう生きるのに必死で、ほとんど大した記憶が無い。泣いているか悩んでいるか、ちょっと楽しい思い出があってもすぐ希死念慮が襲ってきて自傷行為に走るかの3択であった。
もう以前に比べて回復してきてそんな自分を傷つける行為はしていないが、時々発作のようにしてしまいたくなる瞬間がある。
長くなってしまった。ここまで目を通してくれた方はありがとう。
最後になるが、6月某日、私の着る紺の美しい振袖を眺め、「きれいになったね」と涙ぐむ母を見て私は苦しかった。
こんなにも両親に苦労と心配をかけてしまっている自分を恥じたし、そんな自分なんかいなくなってしまえと思った。
正直何もかもが苦しい。苦しいが、生きていきたい。
このnoteはそんな私がもっと大人になった時、「こんなこと考えてたなんて懐かしいなあ」と笑うための備忘録である。
誰か他者の人生を覗き見したくなったとき、良ければ見に来てほしい。
ここまで見てくれてありがとう。
かぼす
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