1日15分睡眠だった話

今回は私が病気になった原因について詳しく話そうと思う。自己紹介の記事で少し話したこともあり、完全に誰にも需要がない、私が語りたいだけの苦労話になるので気が向いたら読んで欲しい。

私が病気になった理由、それはズバリ、多忙である。タイトルからもわかるように、私は一時期(大体3ヶ月くらい)1日15分睡眠で活動していた。なぜそんなに寝れなかったかというと、ひとえに高校の時に所属していた部活動がブラックだったからである。当時は合唱部に所属していて、病気になる直前、高校2年生の時は定期演奏会の実行委員長をしていた。その「定期演奏会実行委員長」、略して「定演長」という全ての発表の舞台を取り仕切る役職がかなりブラックだったのだ。ちなみに私が所属していたのは全国大会にも出場経験のある強豪校である。

ここで、一番忙しかったときの一日のスケジュールを貼りたい。

このグラフを見ると、赤色の「部活動の作業」が明らかに多くを占めていることが分かる。なんと1日約8時間だ。これは何かというと、進行表の作成や、選曲のプレゼン資料作りである。進行表とは、定期演奏会などの部活の発表のときに、誰がどんな動きをして何の曲をどの順番で歌い、どんな演出をするか……などを頭の中で組み立てて順番にエクセルに入力していくことで出来る、部員に配る資料である。打つこと自体は別に多少時間がかかるくらいなのだが、頭の中でリハーサルをして細かく動きを組み立てていくことがなかなかに難しい。どんな演出にするかのアイデアも自分で出さなければならないし、そのアイデアを自分で具体的に形作らなければならない(例えば簡単なダンスをつけるなら振り付け、ミュージカルをするなら脚本を1人で考える等)。あとは音響の音源探しや、照明の色、タイミングを考えるのも少し手間がかかった。さらに裏で照明等を動かす先輩への連絡、配置決めもあり、そんなマルチタスクの中我ながら頑張ったと思う。1つでも抜けや漏れがあればリハのときにOBに怒られるので、毎回ダブルチェックも欠かさなかった。そして何よりも大変だったのが選曲である。合唱部なので何の曲を歌うかはかなり大事なのだが、その決定権はなんと1年もの間私に一任されていた。グラフからもわかるように朝昼夜と一日に3回会議があるのだが、きちんと資料を作って余程おかしい選曲をしない限りは大体案が通るので、常に強豪の部活の指針を決めるようなプレッシャーを背負っていたのである。大人から見ればたかが部活動なのだが、当時の私にとってはその世界が全てであったので、それが恐ろしいプレッシャーだった。決まってもなお普通に平の部員から文句が出たりするので(こちらの苦労も知らずに)できる限りみんなを納得させられる選曲にしようと私は躍起になっていた。

そんなこんなでこのような生活が定期演奏会前の少なくとも3ヶ月、あとは文化祭にも大きなステージがあったので合わせたら4ヶ月ほどあり、高2の3月にある定期演奏会が終わった後、私の体は動かなくなった。

そして実は、多忙さの他にももう1つ病気になった理由がある。それはこんなに頑張った定期演奏会の日取りが悪かったせいで全く人が集まらず、何人かの部員や顧問の先生から「残念だったね、じゃあ悪かったことを反省しようか」と定期演奏会の直後に言われたことである。
ぶっちゃけ、私には悪いところなんてひとつも見つからなかった。人が集まらなかったのは去年ホールが取れなかった先輩のせいだし、もっと言えば人を呼ばなかった部員たちのせいである。演出だって文句ナシだったし、選曲も好評だった。
なにか悪いことあったか????と、もはや頑固になるしか心を保つすべがない私は当時本気で思ったのである。それに誰だって1日15分睡眠で作り上げたものを、「残念だったね」の一言で片付けられたら心が折れると思う。

後輩、先輩、同級生、そして先生からの視線や強豪校としてそれなりのものを作らなければならないプレッシャーの中で作り上げた最高のものを、自分で否定するなんて私にはできなかったし、今でも私は良いものを作り上げたと思っている(というかむしろそう思わないとしんでしまう)。
努力は必ず報われるとは限らないのは分かっているが、それでは私はやっていけなかった。
別に私が病気になったのは誰のせいでもない、強いて言うなら頑固で意固地で完璧主義だった自分のせいなのは分かっている。しかし、このことはもう吹っ切っていると自分で思っていたのだが、こうして記事にしてみるとなかなかどうして自分の非を認めることが出来ない。もう3年も前のことなのに、私の中では最高で最悪な色褪せない記憶として残っている。そして、私はこのせいかもう努力するのが怖くなってしまった。何かを頑張って、頑張って頑張ってそれを全否定されるのはもう御免なのである。
この記憶が将来自分にとってどんなものになるかは分からないが、こんな過去に囚われて前に進めないなんて、自分、ダサいなと思う。
でも忘れられないし忘れられるわけもない。
ちょっとずつ消化していくしかないのだろうか。
いつかいい思い出だと言える日が来るといいな。

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