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11週目: 技術と呼びうるもの

こんにちは、虎塚です。

画像は、「大学のキャンパスで春の欠片を探す猫」です。ChatGPTに頼んで作ってもらいました。猫は春がどこからやってくるのか興味津々、という設定にしたところ、小首を傾げるような姿に描いてくれました。灰色がかったやさしい色味が、長く暗い冬を越えてやってきた春の薄曇りに合いますね。

I've created a new illustration for you, this time focusing on a whimsical scene with a cat exploring early signs of spring on a university campus. The image features lighter, softer colors to reflect the gentle mood of spring's arrival. Enjoy this playful and hopeful scene!

OpenAI. (2024). ChatGPT (Mar 24 version) [Large language model]. https://chat.openai.com/chat

さて、今週の日記(?)の忸怩たる話題は、大学の研究科目です。今年に入ってからあんまり進捗を出せていないと感じています。

1月末から他大学のPhD学生の方と共同で研究することになりました。その人が行う分析に必要なデータを提供するために、昨夏から書いてきたコードを汎用化しています。この作業に時間を使っていて、進捗がロールバックしてしまった感覚があります。次はあれをしようこれをしようと年末まで計画していたことを、まだ何も進めていません。砂場をせっせと踏み固めて、いざもう一段踏み込もうとしたら、足場が消えて砂場広くなった感じ。そして、知らない砂の粒が増えている。

もちろん、素人の私が一人で何かをこねくり回すよりも、自分より詳しい人と一緒にやることでようやく全体として意味のあるものになりうるので、徹底的に丁寧に進めたいと思っています。

それでも、予定していた分析に進めないのはストレスに感じます。ラボを去る頃にはこれをできるようになろう、と自分で定めた目標に近づくことも、砂場をきれいにするまでは許されません。特に問題なのは期限です。一緒にやっている方はPhD1年目なのでまだ数年猶予がありますが、私は学部生なのであっという間に研究体験はおしまいです。ちょっと便利なコードを残しただけで、ドメイン知識を得たり使ったりする機会が足りないまま、今のラボにいられる時間が終わってしまうのを危惧しています。

しかし、私はこの感覚に覚えがあります。そして、そう感じるに至った自分の考えが間違っていたことにも。

私は日本で学校を出た後、東京のIT企業に勤めました。2年目の頃、業務を通して身につけたいと考えていた技術と、少し異なる方向性の仕事をしていました。当時は、せっかく良い経験を積める場所に来たのに、機会を活かせないまま下積み期間が終わってしまうように感じて、かなり焦る気持ちがあったのを覚えています。

その頃、周りの親切な人々から助言をもらい、やがて時間がたつにつれて実感する形で理解したのは、「技術」は複雑で幅広く、知識や経験に乏しい状態で自分が思い浮かべていたのは、そのほんの一部だったということでした。例を挙げると、プログラミングは、「技術」といった時に想像しやすい、素人からもそれとわかりやすい技術です。重要な手段なので、情報技術にかかわるならば欠かすわけにいかない「技術」であるという側面もあると思いますが、プログラミングだけが技術ではありません。知識がないと存在に気づかない抽象・具象レベルの技術が世の中にはあり、それらは初心者にはわかりづらいのです。そして、そのこと自体を認識していないと、自分がやっていることの意味や価値を見誤り、軽視して、習得できるものを見過ごすかもしれません。

いま、砂場で右のものを左に動かしたり、自分のバグに足を取られたりしている経験もまた、単なる停滞と捉えるのではなく、ある種のドメイン知識を獲得する取り組みにできると考えた方が、精神衛生上良さそうです。もっとも、知識が足りないので何が「それ」かなかなかわかりませんが、それを考えるのも勉強なのでしょう。そう思ってやっていきます。

それでは、また。

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