扇町公園(大阪市北区)
扇町公園のダークな歴史について書きます。
大阪市内に扇町公園という四角い公園がある。
現在は隣に関西テレビや北区役所そして屋内プール施設。屋外に広場。
子ども連れのお母さんが散歩している。
昼の時間はビジネスマンも。
梅田に近く、周囲が開発されていく中、
今も大きな広場のままだ。
たまたま公園前に新築した病院へ家族が入院したのでここを歩いた。
この公園にかつて競技用屋外プールがあった。
プールの周囲に観客席も。
深さは2mはあったと思う。
私は昔、実際に泳いだことがある。
また昭和30年代には両親に連れられて、
正月の寒中水泳を見物した。
(旧)大阪プール
(wikipediaより)
「扇町公園にあった旧:大阪プールは1950年(昭和25年)に、日米国際水泳選手権の開催のため、5か月の突貫工事によって建設された。開場記念として、水泳の日米豪国際選手権が開催されている。
屋外でナイター照明も設置されており、U字型の巨大な観客席(約2万5千人)を備えていた。かつてギネスブックに「最も観客収容数の多いプール」として13,614人の観客を収容できると認定されていたことがある。スタート台に背泳用の握り手を設置したのは日本で当プールが最初であった。
旧大阪プールでは国際的な水泳大会をはじめとして、プロレスなどの各種のスポーツイベントが開催され、浪速のスポーツのメッカと謳われた。後述の力道山vsルー・テーズ戦の報道や紹介で記述される『大阪扇町プール』とは、扇町公園に存在したこの旧大阪プールのことを指す。」
リンク先
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB
(1996年に大阪市港区に新しく大阪プールを建設、移転した)
さて戦前の扇町公園には何があったのか?
1950年(昭和25年)以前を見てみよう。
古い地図を見ると、広場に建物が並んでいる。
空き地の部分もある。これはいったい何?
調べたらすぐに答えが出てきた。
「江戸期には刑場があり、1882年(明治15年)に堀川監獄(のち大阪監獄に改称)が設置された。
1895年(明治28年)に大阪鉄道の玉造駅 - 大阪駅間が延伸された際に天満駅が開業し、1897年(明治30年)に大阪市へ編入されると急速に市街化した。このため、大阪監獄は1920年(大正9年)に堺市へ移転され(現:大阪刑務所所在地)、跡地には移管された大阪市によって公園が整備されることとなり、3年後の1923年(大正12年)12月に扇町公園が開園した。」
リンク先
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E7%94%BA%E5%85%AC%E5%9C%92
大阪大空襲
第1回大阪大空襲 - 3月13日・14日
1945年3月13日23時57分 - 14日3時25分の約3時間半にわたり行われ、274機のB-29が襲来した。グアムからの第314航空団の43機が23時57分 - 14日1時にかけて大阪市上空に達した。アメリカ軍の照準点は、北区扇町、西区阿波座、港区市岡元町、浪速区塩草で、都心部を取り囲む住宅密集地を標的にしており、夜間低空爆撃として約2,000メートルの低空からの一般家屋をねらった夜間爆撃だった。
リンク先
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
つまり江戸時代は処刑場、明治になって監獄。
太平洋戦争末期に大空襲に遭っている。
空襲の後は多くの遺体がここに集められたことだろう。
たくさんの人が亡くなり、罪に処せられた場所。
戦前の監獄はどんなだったか。
過去を思い出させるものは今は見当たらない。
知らないことはいっぱいあり、調べたいことも膨大にある。辿っていくと興味深い発見がある。
扇町公園
1882年以前 江戸期 処刑場
1882年-1920年 堀川監獄 (28年間)
1923年- 扇町公園
1945年 大阪大空襲
1950年-1996年 大阪プール(46年間)
1997年-現在
江戸期以前は??
今日もすてきな一日をお過ごしください。
地球と宇宙にありがとうございます。
Have a nice time.
Take it easy❤️
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