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他者と働く—「わかりあえなさ」から始める組織論

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はじめに
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こんにちは。伊藤 航です。
いつも本の紹介をご覧いただき、誠にありがとうございます。

本日は大学で組織論、経営戦略論を研究されている経営学者・宇田川元一さんの『他者と働くー「わかりあえなさ」から始める組織論』をご紹介いたします。

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誰しもが持つ「ナラティヴ」とは何か

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 社会で働く中で、私たちは気がつかないうちに「私とそれ」の関係性を相手との間に構築していることがよくあります。うまくいっているならば、無理にそれを変える必要はありません。しかし、そこから何か想定外の問題が生じたときなど、適応課題が見出されたとき、私たちはその関係性を改める必要が生じていると考えることができるでしょう。

その一歩目として、相手を変えるのではなく、こちら側が少し変わる必要があります。そうでないと、そもそも背後にある問題に気がつけず、新しい関係性を構築できないからです。

しかし、「こちら側」の何が変わる必要があるのでしょうか。

それはナラティブです。「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。ナラティヴは、私たちがビジネスをする上では、「専門性」や「職業倫理」、「組織文化」などに基づいた解釈が典型的かもしれません。

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いくつか例を挙げてみましょう。上司と部下の関係では、上司は部下を指導し、評価することが求められる中で、部下にも従順さを求めるナラティヴの中で生きていることが多いでしょう。また部下は部下で、上司にリーダーシップや責任を求め、その解釈に沿わない言動をすると腹を立てたりします。つまり互いに「上司たるもの/部下であるならば、こういう存在であるはず」という暗黙的な解釈の枠組みをもっているはずです。

さらに医者と患者の関係性であれば、医者は人命を預かった上で、患者を診断する対象としてのナラティヴで解釈します。患者は患者で、自身の身体の問題を正しく治療してくれる「先生」として解釈するでしょう。ナラティヴは個人の性格を問わず、仕事上の役割に対して、世の中で一般的に求められている職業規範や、その組織特有の文化の中で作られた解釈の枠組みから生じるものです。

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「溝に橋を架ける」ための4つのプロセス

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 対話のプロセスは「溝に橋を架ける」という行為になぞらえることができます。仮に組織の中の異なる部門の代表同士が対話すると考えると、それぞれの部門ごとのナラティヴが互いの足場のようなもので、両者の間には溝があります。このナラティヴの溝(適応課題)に橋(新しい関係性)を築く行為が、対話を実践していくことなのです。

ハイフェッツたちは、適応課題に挑んでいくために、「観察ー解釈ー介入」のプロセスを回すことが大切だ、と述べました。しかし、私は日本の組織文化の現状を踏まえ、もうひとつ、観察の前に「準備」の段階をつけ加え、ハイフェッツたちの考え方よりも、もう少し取り組みやすいものにする必要があると考え、その点を修正してあります。

この「溝に橋を架ける」ためのプロセスを、大きく4つに分けることができます。ここからは、それぞれのプロセスを詳細にみていきましょう。

1.準備「溝に気づく」
 相手と自分のナラティヴに溝(適応課題)があることに気づく
2.観察「溝の向こうを眺める」
相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティヴを探る
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所や架け方を探る
4.介入「溝に橋を架ける」
実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く


対話のプロセス1.準備「溝に気づく」
 まず、色々な手段を実行しようとしても、相手が言うことを聞いてくれない、なかなか動いてくれない、話が通じない場面に直面した場合、一旦、自分のナラティヴを脇においてみる対話の「準備」が大事です。

どうしても自分のナラティヴ、つまり専門性や職業倫理などの枠組みで、問題や相手を見ている間は、冷静に状況を把握することができないものです。一度、引いた目で周りを見渡してみて初めて、わかりあえない人々との間に、大きな溝があることに気づくのです。

自分のナラティヴを脇に置き、相手との間の溝に気づき始めたときが、「私とそれ」の関係から、「私とあなた」という固有の関係に少し変化をした瞬間です。自身のナラティヴに囚われていたときには気づかなかった、相手ならではの事情や状況、つまりナラティヴが少しだけ姿を現すはずです。

価値観と行動の「ギャップ型」にせよ、無意識に問題をやりすごす「回避型」にせよ、適応課題である溝は、気づきづらく、認めづらいもの。しっかりと、溝に向き合わなければ、次の段階に進めないことがよくあるのです。

対話のプロセス2.観察「溝の向こうを眺める」
 準備段階で、自分と相手のナラティヴには隔たりがあることがわかりました。向こう岸にいる相手が、一体どんな環境、職業倫理などの枠組みの中で生きているのか、そのナラティヴをよく知ろうとするのが次の段階です。

じっくりと相手や相手の周囲を「観察」してみましょう。相手にはどんなプレッシャーがかかっているか、相手にはどんな責任があるか、相手にはどんな仕事上の関心があるか、それはなぜか、など、いくつもの気づきが得られると思います。

適応課題が生じるのは、生じるなりの理由があります。その理由がわかってくると、こちら側でもどのように相手にアプローチしていくことができるか、その手がかりになるものがきっと見えてくるはずです。

つまり観察とは、こちら側がどのように働きかけることができるか、そのリソースを掘り起こす作業なのです。この段階をじっくり取り組んでおくと、次の解釈・介入のフェーズでの取り組みがかなり広がります。

対話のプロセス3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
 観察することで、相手のナラティヴを把握できれば、自分の言っていること、やろうとしていることが、相手にとって意味のあるものとして受け入れられるために必要なポイントが見えてくるはずです。「解釈」の段階は、橋を架けるために、どこにどんな橋を架けるべきか、設計をします。

そのために、相手のナラティヴの形やその中の様子が見えてきたら、一度、相手のナラティヴを解釈してみましょう。つまり相手のナラティヴの中に飛び移って、相手がどんな状況で仕事をしているのかをシミュレートするのです。そこから、自分が言っていることや、やっていることがどんな風に見えるかをよく眺めてみるのです。

相手のナラティヴから自分を見てみると、どこなら橋を架けられる場所があるか、相手に対してどんな橋を架けたらいいかがハッキリとしてきます。意外な発見や道筋が見えてくるかもしれません。

対話のプロセス4.介入「溝に橋を架ける」
 実際に行動をすることで、橋(新しい関係性)を築くのが、「介入」の段階です。今まで相手のことをよく調べて、考えてきましたので、ここでは具体的に行動に移してみましょう。

ここぞというタイミングを狙って、行動してみましょう。せっかく今まで向こう岸を一生懸命探って考えてきたのに、行動しなければ何も変わりません。それに、もうこの段階ならば、うまくいきそうだというポイントも見えてきつつあるはずです。

実際に行動してみて、うまく橋が架かることもあれば、架からないこともあります。自分の架けた橋の具合を冷静に見てみて、本当に架かっているか、ぐらついているところはないかなどをチェックするのがとても大事です。

もしうまくいっていない箇所が見つかったら、もう一度、観察のステップに戻って、じっくり相手のナラティヴを観察してみましょう。これを繰り返すうちに、徐々に頑丈な橋が架かるようになるはずです。

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仕事のナラティヴの中で主人公になるためには

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部下や社員はなぜ育たないのでしょうか。この問題は、部下を持つあらゆる階層で発生します。直属の上司部下の関係でも起きますし、大きなところでは、経営者の交代(とりわけ創業者から二代目への事業継承)でも生じます。

ここでぜひ考えてみたいのは、そもそも人が育つとはどういうことかということです。仕事に対して必要な能力がその人の中に形成されることを人が育つと理解している人は多いと思います。だから、その仕事と能力の差を埋めることが育成であるという考え方で、一般的には研修が行われたりしています。確かにそれも大切なことでしょう。しかし、私は、人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公になることだと考えます。

先に述べた仕事で必要な能力がその人の中に形成される、ということについてもう一歩踏み込んで考えてみると、それは、当該の人ではなく、誰かが決めた仕事全体の中で、部品としてその人が機能するようになることを意味します。しかし仕事の主人公になるとは、その人の仕事において、そうした「能力」を生かしていく存在になっていくことであると思います。つまり、その人のナラティヴの中に、様々に学んだことが意味のあるものとして位置づけられるようになる必要があります。

この相手なりの仕事のナラティヴの形成という側面を抜きに、「能力がない」と一方的に決めつけても、意味の感じられないことに頑張れないのは当然です。結果的には能力も伸びませんし、場合によっては辞めてしまうかもしれません。

この主人公、ないし当事者としての側面がうまく構築されていかないと、いつも頑張っているのに認めてもらえない(他者視点での自分の評価に依拠している)、仕事の意味を感じられない(生活のためにつまらない仕事を我慢している)、自分が生かされていない(自分のために組織があるという過度な自己意識)という状態から抜け出せないまま、悶々として過ごすことになります。

このような状態の人に、いくらタスク遂行能力を身につけさせようと、研修をしたり、本を読ませたり、色々と過去の話を聞かせたり、どんな努力をしても、結局それは、当人の人生にとって意味が感じられないので、忘れていってしまいます。結果、「能力」すら大して向上しないでしょう。

誤解のないように申し上げますが、能力開発が無駄だと言っているわけではありません。それ以前に、仕事におけるナラティヴを形成していくことが疎かになっているという問題があると言っているのです。だから、上司の視点と尺度で「部下の能力を向上させよう」というナラティヴを一度脇に置くことが大切なのではないでしょうか。一度脇に置いた上で、対話のプロセスを大切にしながら、部下が仕事のナラティヴにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役割なのではないでしょうか。

部下のナラティヴに迎合する必要はありませんが、あなたのナラティヴとの溝に橋を架けていくことが大切です。そうすることで部下もまた、仕事のナラティヴの中で、居場所を見いだし、活躍できるようになるからです。

そうして部下を助けることは、あなたを助けることにもなるでしょう。
あなた自身もまた、過去に苦労をしながら、仕事のナラティヴの中で居場所を見出してきたし、そこに苦労があったからこそ、部下に育ってほしいと願っているはずだからです。

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おわりに
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今回ご紹介した本書の要点をまとめると以下のようになります。

❶ ナラティヴとは個々人における「解釈の枠組み」のこと。
 ⇒解釈の枠組みは、立場・役割・専門性などによって形成される。
❷ 「準備観察-解釈-介入」のプロセスを回すことが大切。
 ⇒ナラティヴの溝(適応課題)に橋(新しい関係性)を築ける。
❸ 人が育つというのは、仕事において主人公になること。
 ⇒仕事の主人公になるとは「能力」を生かしていく存在になること。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

※上記文章はNews Picksパブリッシング刊・著:宇田川元一『他者と働く―「わかりあえなさ」から始める組織論』より一部抜粋しています。




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