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自己犠牲のピエロになってしまう自分

頭の中で、ふとこれ言ったら絶対面白い!ってのが浮かぶ。


どんなに自分が犠牲になるような馬鹿にされるようなことでも口に出して、
相手を笑わせる。でも私はこんな自分を好きだと思うし、苦しいとも思う。

最近のことだ

「自己犠牲な生き方は損するよ。」


友達にそんなことを言われてしまった。
でも自己犠牲ってそんな悪いことなのか??
確かに損はする、でも人に注意される程のことではないだろ。

私は中一という多感な時期に配信者になりたいと思った。
それは結構本気で、馬鹿な話だが、好きなvtuberの配信を見て
それをノートに書いて、面白いトークの仕方を研究していた。
それを意識して、ボイスメモに自分のトークを録音する。
実際録音してみるとわかったが、自分のトークが面白くないことに
気づく。私はそこから、自分のトークがすごく気になるようになった。


友達と話すときに、面白いトークを意識するようになった
そっから自分中心のくだらない話はできなくなっていく。
あっという間にそれが癖になってしまっていた。
私はピエロを演じて、わざと面白いを取りに行くことしか、
できなくなっていた。
相手に利はない自分の話が申し訳なく思ってしまうようになった。
本当に癖は怖いものだ。

私は実はイケボとカワボができる。
そんなに得意ではないが、面白いぐらいの完成度のだ。
それを人前で披露して友達をイケボで口説くこれが私のお家芸だ。
馬鹿馬鹿しいが、これが結構ウケてしまうんだ。
他にも色々あるが、ピエロを演じていくと
だんだん自己犠牲が悪化していく、
一番ひどい時、
友達のお願いは断れないし、私の成績やプリントはプライバシーなんてない。
私の手帳は友達の落書きだらけだ。


一人私へのいじりが激しくなるとみんな私へのいじりが激しくなる。


カバンはどっかに走って持っていかれるし、財布や筆箱の中身は隠される。
いじめの域に達していたと思う。私はそれでも怒らなかった。
私が少し嫌がるのが面白くて助長させていた。
これは中二の話だ。今ではあまりにも幼いなと感じる。

このことに私は参ってしまった。親に落書きの手帳が見つかった。
親から解決するべきだと言われ、先生に相談したが、
先生は私がいじられているのを見たら少し注意するだけだった。

そのころは他にも悩みがあり、学校までこんなじゃもう病んで辛くて
学校にこの頃から少しづつ休むようになった。
みんな私が休みだしてから自分の行いに気づいたのか、だんだん
いじりが落ち着いていく。
私も私だが、いじっていた人とはまだ親しい友人関係だ。
いじりが嫌だったというのは一切言ったことはない。

高一になっても私はいまだにピエロを演じている。

私のクラスは少人数のためみんな優しいし、中学よりおとなしい。それが幸なのか苦しいと感じることは少なくなった。

自己犠牲か…

誰にも嫌われたくない、承認欲求、自身のなさが私をピエロにさせているんだろう。

でも,私の本性は寮の友達が知っている。メンタルが弱いところや、
心配性なところを。だから私はあまり苦しくないんだろう。


中学の時は、誰も私の気持ちを知らなかった。だから苦しかった。
自己犠牲な自分はゆっくり治していこう。

ピエロが苦しかったら、勇気を出して信用できる人間と本心で話そう。
そうすればきっと苦しくなくなる。


自己犠牲はなかなか治らない。だから、ゆっくりね。

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