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元不登校の母親への気持ち 焦らないで欲しかった

中学3年生で不登校になりました。もちろん私は苦しかった。でも苦しいのは私だけでなく母も苦しかったと思う。

私の母は朝から忙しい、私のお弁当作り、そして妹の学校、そして母自身の出勤の準備。小学生から朝が弱く学校を遅刻したり休みがちだった私は朝から母からよく暴力を受けていた。母が悪いことをしていることはよく分かっている。

中1まで私は母が嫌いだった。叩いてきて、よく自分の機嫌に左右される。そんな母も私のことなんて嫌いだろうとずっと思っていた。

中一で初めて挫折を経験した。苦しくて、ずっと消えたくて、毎日恐怖に怯える日が続いた。その時初めて家族のいることの大切さを痛感した。その時から私は家族のことが大好きになった。

そして中三になって死にたい気分になることが増えてきた。なんだかお金に関して不安を抱いてた私は妹の無駄使いを注意するようになり、しつこい私を家族みんなが嫌いになっり、夕飯の時、家族みんなが集まるとき私への悪口が聞こえてくる。

大好きで唯一の支えだった家族が私を嫌ってるんだ。

私に居場所なんてないんだ。
こんな劣ってる自分、朝起きれない自分、妹に注意する自分。

母に言われた

「自分には甘くて、他人には厳しいんだね」


みんな私のことが嫌いなんだって確信した。
私は生まれてこない方がいい人間なんだ。これから犯罪やらを犯してみんなに迷惑をかけるかもしれない。家族にも迷惑をかけるかもしれない。私は本気でそう考えた。

死ぬしかないと思った。

不登校になってから母の暴力はエスカレートしていった。ある日死にたいっと泣き叫んだ時、母は包丁をキッチンから取り出して、腹に向けて、
「私も死にたい」
って言って泣いた。
私は母を追い込んでしまっていた。私は結局自分のことしか考えてなかったんだ。

母は私が休むたびに将来のことについて尋ねてきた。

「学校やめるの?」 「高校は通信制に行く?」 
多分母はすごく焦っていたと思う。


母のスマホを借りた時に見た検索履歴には
不登校のむすめ、 不安症、心療内科、、の履歴が並んでいた。

母はすごく私のことを心配していた。
私が飛び降りようとした時急いで私を止めてしがみついて泣いて

「死なないで、私はあなたが生きているだけでいいから。」


私は涙が止まらなかった。きっと勘違いしていたのだろう。母は私のことが大好きなんだって。私のことを一番に考えてくれていたのは母なんだって。
母はただ不器用なだけだった。

どうしても学校に行かせたくて頑張ってくれていただけで、私のことを嫌いで暴力をしていたわけではないと気づいた。


高一になって、寮に入って私が努力してたことに気づいたのか母の暴力は止まった。そして母と私の関係は良好だ。

私が寮生活が苦しくて帰ってきて母の暴力が今でも忘れられないと告白すると母は私に謝ってきた。自分も焦っていたと。私の中学は私立だったため辞めさせられるると思っていたらしい。

「私が全部悪かったから」


母はそう言った。でも私はそう思わない、私のことを考えて必死に悩んでくれた母のことを悪いと思わない。お互い関わり方を間違えただけだ。

私は母のことが大好きです!!


親が焦ると子供も焦ってしまう。
不登校になったからって焦らずに少しだけでいいから猶予期間を与えてほしい。私たちは親から課題を提示されなくても自分で考えてるから、
復帰が遅かったら少しだけ背中を押してあげる程度でいいと思います。

不登校との関わり方は、スクールカウンセラー、心療内科での相談がいいと思います。不登校の親のメンタルケアも大事なことです。

最後まで読んでいただきありがとうございます!!








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