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秋の散歩(裏)

ヘッダーはジル スチュワート オード パルファン ナイト ブルーミング リリー。

ファッションブランドであるジル スチュワートの最初の香水として、2006年にジャスミン フルール、ヴァニラ ラストとともに発売し、生産数をもって終了。
のちヴァニラ ラストのみ復活し、発売中。
三つともすべて、ヴァニラが基調。
パステルカラーの、砂糖菓子のような、甘い、少女の、香り
私のコレクションは、ナイト ブルーミング リリーとジャスミン フルールの二つ。

カタカナばっかりになった。(笑)。


夜のお散歩でつけたい香りと記憶していたナイト ブルーミング リリーの紙製の筒箱を、先日、久しぶりに開けてみた。
noteのネタの為であった。
ヘッダー画像に使おうと思ったのだ。
そして驚いた。
薄水色だった液体が、すっかり飴色に変わっていた。
香水によくある経年変化だか。
あの儚げな水色が、確かにそうだったと分かった。

諦めて、noteを一本書いて保存する。
秋の散歩 ←コレな。266文字、ショートショートです。
十六夜にupするつもりだったが、出来すぎの白々しさを感じたせいか、なんとなく数日ずれた。

実際には、私が夜の散歩コースを変更したのは五月頃だった。
いつものルートであったそのマンションの前を通ることに、その日、罪悪感のようなものを覚え、戸惑い、足を止めた。
自分の胸の動悸に驚きながら、くるっと引き返して別の道を行った。

その晩、その人が現われない夢を見た。


私の、初めての夢に現われない人になったのは、中三で同じクラスだった男の子だ。
席替えでは、「目が悪いとか、その他の理由で前に来たい人は、挙手して下さい。」と声をかけられる配慮が毎回あった。
眼鏡をかけたりかけなかったりしていた彼と私はその度に手を挙げ、教室真ん中の通路を挟み、最前列でいつも隣になった。
しかし彼は、教卓が目の前のその席で、授業中しょっちゅう突っ伏して寝ていやがった。
みんなから、いつも寝ているヤツと思われていた。
高校以降は私も、授業中たいてい寝てると思われるヤツになるのだが、まだ授業中に寝るとか考えられなかった中学生の私は、なんで?とか、理由を聞いてみたことがあった。
彼は、毎晩なんかをしていて寝るのが深夜2時過ぎになってしまうから、昼間に眠いと答えた。
なんかではなくラジオだったかもしれないが、もうよく覚えていない。
睡眠時間が長い訳ではなかったんだと、思った。
自分の睡眠時間が長いからと、同じかなと、ちょっと思ってしまっていた。

私の睡眠時間が妙に長いのは、私の母も子どもの頃からずっとそうだったと言っているし、そうなのだろう。
夢を見ている時間も長い。
そして、ある程度は夢の内容をコントロールできてしまう。
なんでも思い通りになるほど夢の世界は甘くないが、手順を踏み、礼儀を尽くせば、けっこう、夢は叶えてくれるものだ。

そしてある日、彼の夢を見た。
夢だと分かっていた。
夢で彼に会えてうれしくなった私は、彼の顔をよく見たかった。
見て、彼に触れたかった。
でも、彼の顔をよく見たいと思えば思うほど、顔も、姿も見えなくて、なんで?どうして?と、もどかしくて、堪らなくなった。
ましてや触れることなどできなかった。

諦めて、夢から目を覚ました私は思った。
どうせ夢なのだから思い通りにしてやれと思えないくらい、私は彼を本気で好きになってしまったのだ。
そして、本気で、触れたり、触れられたりしたくなってしまったのだと。

女の子同士がよくやる、好きな男子を告白し合う時、私はずっと、どうすればよいか分からなかった。
友達だって家族だって飼い犬だって好きは好きなのだから、あえてわざわざ「好きな男子を告白」って、そういう好きじゃないの?という?マークが飛んでいた。
そういう好きかどうかは私自身まだよく分からないし、そういう好きだったらそういう好きで、それを告白し合うとか、もう、全然意味が分かんない。
と、少なくとも小学校の林間学校の時には思っていた。

そして案外なのかだからなのか、そういうお子さんだった女の子が成長し、訊かれてもいないのにわざわざそういう好きを告白し、ネットで晒すようなヘンタイになってしまった。


いまや人妻の私の『夢に現われない人』になったその男性には、どう頑張ってもお返しが叶わないようなかたちで、特別なお世話になった。
恩を仇で返すような真似はまさかできない。
それこそ恩を仇で返そうとしない限りは断ち切られることのない関係、仲間なのだが、お世話になる為にたびたび会っていた時期も過ぎた頃の出来事で、このままフェイドアウトしていけば大丈夫だろうと見込んだ。

そして実際、一夏を越え、秋になった今、思い出して胸が苦しくなるようなことはなかった。

夏の間は夜でも暑すぎるので、夜の散歩もしなかった。


今日の夕飯は、夏の残りの素麺と天ぷらだ。
汗だくになって揚げ物をし、湯を沸かして茹でものもする。
生姜をすり、薬味を刻み、氷を入れないめんつゆで、家族で食卓を囲んだ。

食器を片付けた後にシャワーを浴びてシャンプーもする。
髪にも服にも天ぷら油の匂いがしみ込み、これはこれで香ばしくおいしそうだが、そのままでいるのはいただけない。

髪を乾かし、外着に着替えた。
久しぶりに、夜の散歩に出かけようと思った。

私が夜の散歩に出かけるようになったのは、二十歳過ぎだ。
初めてそうした時は、散歩というか、走っていたが。
最初は心配して口やかましかった親も、そのうち諦め何も言わなくなった。
授業中寝るとかありえなかった私がそうなったように、夜昏くなってからふらふら散歩するとかもありえなかった私がそうなった。
でも、たぶん、そうなった私の方が優しいので気に入っている。
結婚してしばらくは夫を心配させまいと我慢していたが、いつ頃からかまた私は夜に散歩をするようになった。
夫は毎回、気を付けてねとは言うが、それ以上の口は出さずにいてくれる。

外出前、玄関で腰をついて脚を真っ直ぐに投げ出し、素足にナイト ブルーミング リリーをワンプッシュして吹きかけた。

トップノートがない。

香水の香りは時間の経過とともにグラデーションとなって変化していくが、一般的にトップノート、ミドルノート、ラストノートの三層に分けられる。
つけたて、華やかに香り立つトップノートの印象が、ナイト ブルーミング リリーを夜のお散歩に行きたくなる香りにしていたのに、それがない。
「トップノートが飛ぶ」のも、よくある香水の経年変化であるが。

これでは飛べない。

いや、私は、どこへ飛んで行くつもりだったのか。

分からないし、分からないままでいた方がよさそうだ。
体を二つに折って足に鼻を近付け、もう一度、ナイト ブルーミング リリーの香りを確かめた。
記憶に残るトップノートの香りが、幽かにそこにあった。
ぱっと飛び出すトップとしての力は失ったが、noteはまだここに匂っている。

くつ下と、NIKEのスニーカーを履いて、家を出た。

外の空気は適度にひんやりとしていて気持ちいい。
月が出ていて、秋の虫が鳴いている。
そして、とても甘くていい匂いだ。

私はきっとまたそこを通れないけれど、今夜の散歩も愉快だろう。