A・ミラー「魂の殺人」読書感想文 Ⅰ
ここに描いた特別製の孤独、まったく孤独の顔をしていない、善意の人に取り囲まれた孤独、これが孤独であるのはただその孤独の主人公が、自分を取り巻く人々と一種類のつながりしか持てないからなのです。上から下へ、身を屈めること、ちょうど聖マルティンが馬の背にまたがったまま貧者の方に身を屈めたように。それを呼ぶ名前はいくつもあります。善行、助け、与えること、教えること、慰め、導き、それどころか仕えるということさえできるけれど、でもそんな言い方をしても何もならない。上は上、下は下のままなのだし、上にいることになっている者は決して自分が善行を受け、教えられ、慰められ、導かれることはないのです。本当はそれがなくてはならないものなのに。上は上、下は下と決まっているこの構図の中ではどんな形でもお互い様ということは考えられず、どんなに好意を持っていても、連帯感などと呼べそうなものは毛筋ほども見られないのですから。これ以上にみじめなことがあるでしょうか、こんな孤独に包まれた人がへり下った優越感という馬にまたがって体を屈めているなんて。
(ルート・レートマン、『説教台の上の男』、1979年、213頁以下)
以上、A・ミラー「魂の殺人」、山下公子訳、1983年、新曜社 、40pより
図書館で借りた本のボリュームが大きすぎて、読み終わる気がしないのでメモ。
一回返却して、またにしよう。
私の母は東北地方の田舎町の出身である。
母と祖母は看護師、祖祖母は産婆(助産師)だった。
祖祖父は超イケメンだったが、いわゆる遊び人で、町の祭りや選挙でしゃべる&役場や学校の行事の際に趣味の盆栽を貸し出す、という以外の収入を得る機会を持たず(遊び人の小遣いにもならない気がする)、生計を立てるのも家事も子育ても祖祖母に任せきりだったと聞いている。
母は中学卒業後に家を出て、国立の専門学校へ入学し、准看護婦免許を取得している。
専門学校卒業後に地元の病院で二年勤務することを条件に、専門学校時代の寮費と学費は無償、その上多少のお小遣いまで出たという。
中学卒業後、いきなりの自立コースだ。
二年後にはさっさと上京し、東京で看護婦をやっていた。
それができたのは、当時はいろんな会社に独身寮なるものが普通にあり、看護婦であれば尚の事、独身寮がないわけない、という社会状況だったからだそうだ。
「昔、女ができる仕事は学校の教師と看護婦と産婆くらいしかなかった」と口にする母から、娘の私は、歴史の教科書に載っているような「職業婦人」のプライドを知った。
最近、看護師の自己肯定感は低めという話を目にしたが、母はかな~り仕事に誇りを持っていたので意外だった。
主婦としての母は、心まで磨かれるような掃除の仕方をする人ではなかったが、そもそも持ち物が多くはなかったせいもあり、家は清潔に保たれていた。
洗濯とアイロンはマメ、家族のおふとんもいつもふかふかだった。
出来合いの総菜にも冷凍食品にも頼らない食事が毎日用意された。
夜勤(その日の夕食は作り置きになる)もありのフルタイムの勤務であったのに、わが母ながら尊敬する。
私はたま~にしか働いていないが、主婦としても母のレベルは無理である。
しかも母は趣味にも精を出していた。
しかし、母には専業主婦をバカにするようなそぶりがあると、私や兄の子ども時代、PTA活動等への関わり方で気付いた。
あからさまに、「そんなの働いていない人がやればいいのに」って、言ってましたもの。
でも、PTA役員をやらないわけではなく、やってはいたから、やっぱりエライと思いますけれどね。
私は、高校入試の面接で、担当の先生から「将来はどんな仕事をしたいですか?」と質問された時、「専業主婦になりたいです」と答えている。
職業婦人である母への反発は、あったと思う。
反発もあったが、母とは違う主婦になってみたいという好奇心もあり、私はまるっと専業主婦になってみた。
私自身は二歳から保育園に通っていたそうだが、幼児の息子と私は家でいちゃいちゃと蜜月を過ごしたあげく、息子は三歳から親による送り迎えとお弁当のある幼稚園に入園させた。
(園バスも給食もない幼稚園は、絶滅危惧種らしいです)。
息子を通した母親あるいは主婦の繋がりで、役員、サークル、ボランティア、NPO等は、声をかけられれば出来るだけ断らないように検討し、二つまでは同時に何かをやることもあった。
「子どもは一人、親の介護もなく、働いてないし」というのが当時私の脳内で繰り返された一人言だった。
そして、職業婦人だった母が知れなかったことを、私は知ることになったかもしれない。
私は「子どものため」の活動を目的としたあるNPOに、三年ほど入会していた。
そこの会員である主婦の皆さんは、私が二つを上限としているところをいくつも掛け持ちし、さらにパートに出たりしていた。
私は、母をなんてパワフルなんだと思っていたが、そこの会員の皆さんも、母と負けず劣らずのパワフルさだった。
市民活動時代から続いている老舗であるそのNPOは、びっくりするくらいたくさんの「仕事」を、あちらこちらから引き受けていた。
即ち、会員が人とお金のやりくりを引き受けるということである。
行政からは助成金があったが、割りに合うとは思えず、いいように使われている感があった。
一生懸命な会員ほど報われないと悔しがって当然の状況だったと思う。
あるよく知られた子ども向け相談ダイヤルがある。
#8月31日 に向けてももちろん、公的な何かや専門職のツィッター等あちらこちらで紹介、宣伝?されている。
この相談ダイヤルを、実は、多数の各市町村のNPOが引き受けていると知っている人は、どのくらいいるのだろうか。
そのNPOが、もしかしたら手弁当でぴーぴーで言いながら活動しているかもしれないと想像する人は?
世の中にはいろんな〇〇団体があるが、A団体もB団体も相談電話もこども食堂もPTAも、その地域において、中にいる人たちがかなりかぶっているものとは、私は自分が主婦になるまで知らなかった。
と、そこまで承知していながら、私がこれから言おうとしていることは、悪口なのです、すみません。
例えば、うちの息子が自宅からその相談ダイヤルにかけた場合、その団体の扱いとして繋がり、その電話を受けるのはAさんとBさんとCさんで、お三人が電話を切るときにしばしば「他の子からもかかってくるから、また今度でいいかな?」とおっしゃることを、私は知っている。
お三人は、「他の子の迷惑にもなりえることを、子どもに教えてあげなくては」と思ってはいても、子どもがその一言で絶句し、「オレは迷惑な存在なんだ」と深く落ち込むとは想像しない。
それについて、私から、そのお三人に対して一言いうこともありえない。
お三人は教える人であり、私や子どもは教えられる人である。
この上下関係がひっくり返ることは断じてない。
Aさんはある日、NPOの活動で集まったみんなに、こんなお話をした。
「私、相談ダイヤルを受けるための、研修に出ているじゃない?そこで、いいことを教えてもらったのよ。夜、コンビニでたむろしてタバコ吸ってる若い子たちっているじゃない?ほんとうは、大人として一言いわなきゃいけないとは思っていたのね。でも、そういう子たちって怖いし、なんて言っていいか分からなくて。でもね、そういうとき、『あなたは〜』じゃなくて、『私は、こう思う』って言えばいいんだって、教わったのよ。『私は、タバコは健康に悪いし、お店にもお客さんにも迷惑なるし、お家の方も心配してるから帰った方がいいと思う』って、これなら言えそうだなって。ね、すごくない?」
その後、Aさんがそう行動したのか、「Iメッセージ」について「Iメッセージ」を使ってみんなに教えてあげたかったのかは、知らない。
「その子たちは、もしかしたら家にも学校にも居場所がないのかもしれないけれど、コンビニでたむろして一緒にタバコを吸う仲間がいるってことは、きっと、大丈夫ですね!」と、私がAさんに教えてあげるなんて日が来ることは当然なく、私はそのNPOを退会した。
上で貼り付けたのは新装版です。
私が図書館から借りたものとは引用のページが違っているかもしれません。