【小説】皮

Ⅰ 桜狩

春、休日、幼稚園に通う息子と公園に遊びにいくと、クラスメイトの女の子が桜狩りをしていた。
目を輝かせながら、実にうれしそうに桜が花をつけた枝先を引っ張り、バキバキと折っては抱きかかえていく。
息子と私に気が付くと駆け寄ってきて、うちの自転車の籠にバサッと枝を入れた。
「こんなことしちゃかわいそうだよ」息子が言った。
「なんでっ!」女の子は言った。
私は何も言えなかった。
早春、わが家には花屋で買い求めた啓翁桜の枝があった。
この子の行為が罪ならば、私たち大人も同罪であろう。
それに、この子の方がよく桜を愛でているとしか思えなかった。
言い返されて戸惑い、女の子の様子を窺っていた息子も、そのうち一緒になって桜を狩り始めた。
夢中になった二人によって、籠はたちまち桜でいっぱいになった。


Ⅱ 墓

「オバケを捜しに行きたい」と息子が言った。
二人で実家にいたときだった。
私の母校の小学校の隣は市営霊園だった。
「じゃあ、お墓に行ってみよう」と、二人で出掛けた。
霊園内の高台に立ち、傾きかけたオレンジ色の西日を浴びた墓石たちを見下ろした息子は、言った。
「きれー!」
綺麗だ、私も思ったが、そう口にしてはいけないと知っていた。
どう云う言葉と表情で、いつ息子に教えたらよいのだろう。
美術館で、墓石に使われる黒御影石や赤御影石を素材とした彫刻作品を見たことがある。
碑であり棺であったあれを、綺麗と思うことは許されているのに。
逡巡する私を置き去りにして、わーっと駆け出した息子も、金色に輝き綺麗だった。


Ⅲ 皮

息子の幼稚園が併設されている教会で、理事長先生の講演があった。
たまにしかお目にかかれない方なのだが、ご身内と思って遠慮なく質問してみた。
「そんなに教えようと思わなくても、゛自然で゛よいのではないか」との返答に、一瞬、目の前が昏くなり、足元がぐらりと揺れたように感じた。
それを゛自然゛と思うのは、知識が常識と化しているせいである。
この方だけではない、大人というものは、自分たちが子供を゛教化゛していることに無自覚なのだ。
美しいもの汚いもの、命あるものないもの、触れてよいものいけないもの、人と動物、何が見え何が見えないか、いつ泣きいつ怒りいつ笑うか、時の直線と循環、善と悪、光と闇、世界をそれらに分けたときの痛みをとうにお忘れだ。
常識は人間という一枚皮となって彼らを覆いつくし、傷痕を見ることができない。
皮が皮であると忘れたくない私は、時折それを剥がし血を流すことを厭わない。


告白は失敗した。


見上げると、血まみれのキリストと目が合った。


そうして私は癒された。