見出し画像

ダメージ

夢の中で私は、まだ大学に籍を置いていた。
今、大学にいるのは、その籍を抜くためだ。
この世界での私には夫がいるが、同居はしておらず、私の産んだ息子と私は実家で暮らしている。
私と息子の生活費は父の世話になっていて、学費を出しているのも父だ。
息子が二歳になってようやく、「孫はおばあちゃんに任せて、ちょっと大学へ勉強しに行ってくる」なんてことは出来ないと、よく分かった。

退学しなかったのは、父の希望でもある。
自分の娘はアタマが良いと思って、期待しているのだ、まるで息子にそうするように。
父からは違う生き物のように見えるであろう「アタマの良さ」を私は持っているかもしれないが、ホントにマトモにアタマが良いのなら、とっくに卒業できている。
何年経つと思っているのか。
あるときは「今、おまえ(娘)はたまたま、精神的にちょっとおかしくなっているから。」と。
あるときは「妊娠したなら勉強は後回しだな。まあ、仕方がない。気にするな。今は子供のことだけ考えておけ。」と。
誤魔化し続けてきたお父さんも、もう気づいたでしょう?
私はあたり前の女であることを受け入れた。
お父さんにも、私がただの女であると認めて欲しい。
アタマが良いと言っても、いろいろある。
私が心の病気になったのは、私のアタマが良かったせいだと、言えなくもない。
世間はそんなことまで「アタマが良い」と表現するものだ。
アタマがいいかどうかなんて、女である私には特に、無駄な自意識をもたらすだけのお荷物だった。
「女の子は、あんまり勉強なんかしなくてもよい」というのを常識として掲げておくことに、賛成したい。
勉強に取り組めるような才能は、女の子としては特別なもので、私はそうではなかった。
ほとんど純粋に、学問に憧れていたのもたしかだが、安っぽい自意識が判断を誤らせていた、といった方が正しいだろう。
ハイハイ、今度こそ退学しますからね~。
おそらく父も学問に憧れていた、やはり純粋に。
そうでなければ、こんな゛つぶしがきかないこと゛を、いつまでもやらせたわけがない。

来客用玄関でスリッパを借り、地下へ向かう。
階段の前に立つと、もう既に日の光は届かない。
ぐるりぐるりと二階ほど降りていく、ここは壁も天井も四角四角していて、箱の中にいるようだ。
しかも全面趣味の悪いミドリ色に塗られ、その上に黒ずんだ汚れがかかっているのが目に余る、女が長くいられるような場所ではないが、理学部ならこんなものだと思う。
言葉使い一つとっても、ここにあるものは基本的に、女の私と齟齬がある。

四角の詰まったところに、研究室のドアが見えた。
脇に、下駄箱がある。
確かめると、私の上履きがまだそこにあった。
青いくらいに真っ白だ。
ここに通っていた頃が、心のビョーキのピークだった。
潔癖症ぎみのところがあり、キレイでなければ気が済まなかったが、手入れをする余力がなければ新しいものを買っていた、こうゆうお金の使い方が、ビョーキであり、人間失格・・・まあ、あまり自分自身にツッコむのも、ウソ臭いから止めましょう。
来客用スリッパを履いて平気なんて、あの頃ならありえない。

・・・・・・

どうして、スリッパなのか、上履きなのか。
大学は土足だったはずだ。
ヒールの音が響くのが、目立ちすぎるのが気になって、どうにかならないかしらと思いながら、階段を踏んでいたはずだ。
では、ここはどこなのか。私は?

夢の世界がぐにゃりと揺れる。

研究室のドアにある小さな窓から中を覗くと、柔突起のようなものの大小が、床のあちらこちらからニョキニョキと伸びているが、あれは机だ。
視力が悪かった私の席は、ここから一番奥の壁にかかった白板のすぐ手前だったが、ちょうどそこに片手をついて、教授が立ったまま下を向き本を読んでいた。
処分されていなければ、あのニョロニョロの引き出しの中には、まだ私の荷物があるはずだ。
別のニョロニョロでは、講師の先生が、一人の生徒にマンツーマンで指導をしている。
もちろん、その生徒の顔を私は知らない。
入室が躊躇われ、胸もドキドキしてきたので、少々の散歩の後に出直すことにする。
ここには負債が多すぎる。
借りを返せると思うつもりはないが、せめて心残りを持ち帰るべきだろう、今日こそは。
ここが好きだった。

階段をぐるりと上がった小さなホールのところで、別の研究室の教授とすれ違う。
「△△先生!」と声を掛け、「××です。お久しぶりです。」と名乗る。
思わず新姓を言ってしまったが、困った生徒だった私は、顔を覚えられている自信があった。
一瞬、あっ、とした表情を晒したが、すぐに取り繕って「ところで研究室には挨拶に行ったの?」などとすまして言う、そうゆう人だ。
つい、おもしろくなる。
私は他人をギョッとさせるのが好きだったと、計算して好きでそうなるようしむけていたと、改めて気づく。
つくづくイヤな女ね・・・

目が覚めた。
息子がいる。夫がいる。
川の字に並んだ三人が、今の家族だ、と、確認する。

目の奥が痛い。
泣いていたのだろうかと思って目を触れるが、その跡はない、気分良くはなかったが、泣くような夢でもなかった。
眠る前に泣いていたっけ?と記憶を探るが、違う、授乳をしながら息子を寝かしつけ、私もそのまま眠りに落ちていた。
お風呂に入りそこねた。気持ちが悪い。
目が痛いのは、本かパソコンの見すぎだろう。

出産後、たまたま手にした本から、自分が「アダルトチルドレン」なる者であったことに気づいたときには、久しぶりにはっきりとしたうつ状態になった。
最近見た本によると、「人格障害」だった、ということになるだろう。
今回は、ショックを受けたつもりはなかったが、どうやらそれなりに傷ついていたらしい。
この夢は、そうゆうこと、だろう。

心理学や精神医学の知識に手を出して、自己診断をすることには、意味がないと思う。
迷走するだけだ。
ビョーキの只中にいるときに、何も知らなかったのはラッキーだった。
「私の事だ」と思っても、ホントのところは分かりはしない。
何かを知るたびにそう思うのかもしれない。
私だけでなく、その手の本を読んだほとんどの人は、「自分にもそうゆうところがある」と感じるものだと思う。
あんなもの、血液型性格診断と変わりがない。
とりあえず、ちょっと傷ついているみたい、ということだけ認めておこう。

これから追い炊きをして、ゆっくりとお風呂に入ることにします。
すっかり寒くなりましたね。こんな丑三つ時はなおのこと。
みなさまも、暖かくしておやすみくださいませ。

2007/11/19