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1月24日 貪欲にコンテンツ事業を進める韓国と、引っ込み思案日本

 まずは赤松健さんのTwitterをどうぞ。

 赤松健さんは国会議員になってからかなり活発に活動をしている。フランス、韓国を視察し、それぞれの国で漫画文化がどのように発展しているか、日本の漫画がどのように受け入れられているか、が紹介されている。
 他にも見所があまりにも多いので、ぜひ赤松健Twitterを読んでもらいたい。

 最近のTwitter活動報告の中でも凄かったのが韓国漫画。韓国にはすでに『韓国漫画博物館』なるものが作られて、紙の漫画時代から電子Webtoonまでが一気に一望できるように展示されている。
 しかもそれだけではなく、博物館内に漫画家の仕事場が作られていて、そこで300人の漫画家が仕事をしている。給料形態がどうなっているかわからないが、公的な施設で漫画家が仕事をしている……といういことはほぼ「公務員」。
 日本が「漫画の内容に行政が口出しするな!」とか「漫画の蒐集なんて無意味! 子供が読むようなものを文化なんていったら世界の恥だ!」とか言っている間にお隣の国では漫画博物館が作られていて、漫画家が公務員みたいになって働いている。
 どうする、日本?
 世界的に見てすでに映画は「日本より韓国」ってなっている(というか「日本映画はつまらない」というのが世界の映画ファンの共通認識)。ここで何もしなかったら漫画も韓国に立場を持って行かれるぜ。

 と、赤松健さんのTwitterを紹介しただけだと、「転載」になってしまうので、「引用」にするためにこれをネタにした話を書きますね。

(日本では、一定の条件を満たした「引用」は、著作権法第32条によって認められている。引用は権利者に無許可で行うことができ、これは著作権侵害にならない。ただし、引用を要約したり、変形・改変・修正などを加えることは違反となる。 Wikipedia「引用」より)

 まず夏目房之助さんが書いた『マンガ世界戦略』の話。前にも紹介したよね。
 この本はだいたい2000年頃に取材された本なので、今から20年ほど前の話になる。その頃の韓国漫画の主流は、「マナバン」と呼ばれる「貸本漫画」だった。2000年代頃の韓国にはまだ昔懐かしの貸本漫画が一杯あったんだ。どのくらい貸本漫画屋があったのかというと、韓国内に書店8000店に対し、貸本屋は6000店もあった。
 そうすると貸本専門の漫画出版社なんかも出てきて、貸本でしか流通しない漫画なんかも出てくる。そういう貸本オリジナル漫画というのもが毎月30冊ベースで出ていたそうだ。
 どうして韓国漫画がそういう状況になっていたのか、というと韓国そのもの自体の不景気。1997年のアジア金融危機の影響だ。韓国には韓国版ジャンプである『IQジャンプ』という漫画雑誌があったが、これもこのとき部数激減。子供も若者も自分のお小遣いで漫画が買えないような状況だったから、自然と貸本漫画が主流になっていった。
 そんな貸本漫画もその時代最先端のゲーム、パソコン文化に押される状況にあって、若い客はどんどん「PC房(ばん)」に流れて、貸本の時代も幕を閉じようとしていた……。
 というのが2000年代頃の韓国漫画の事情だった。

 その2000年の韓国映画といえば大ヒット作『JSA』だ(日本では2001年公開)。韓国と北朝鮮の微妙な関係性をテーマにしたアクション映画だ。この映画の登場によって韓国映画は「ハリウッド映画なみに面白いぞ!」と映画ファンの間で評判になり、現在に至るまでの最初の流れを作っていった。
 この映画を切っ掛けに、韓国映画は日本のみならず世界に向けて発信していくようになるが、これは「国策」という面も大いにあった。なぜなら韓国には安定した産業がそんなにたくさんあるわけではなく、いつも経済的に不安定だった。「韓国にはサムスン電子があるじゃないか!」と言われそうだけど、サムスンしかない。映画『パラサイト』には上流階級とそれに寄生する貧乏人という構図が描かれたが、その上流階級は明言してないがどうやらサムスン社員。
 自国に勝負できる産業がさほどない。だからこそ「コンテンツで勝負だ!」……この辺りの正確な経緯は知らないけど、とにかくも韓国はコンテンツ産業を国策に定めることにした。
 この挑戦は間違いなく成功していて、映画産業は成長して良作を安定して制作できるようになったし、映画だけではなく、ドラマ、音楽、アイドル、さらにそれに付随してファッション、コスメといったものが世界中に拡散していった。日本にも「韓国風ファッション、韓国風コスメ」の良質なものが一杯入ってきている。輸入コンテンツの大半が韓国から……アジア内にはそういう国も結構あるくらいだ。
 韓国のコンテンツ戦略は大成功だった。その裏で異様に厳しいアイドル教育や脱落していく人の悲劇とかがあるようだけど……。

 「国策」と聞いて驚く人や忌避感を持つ人もいるかも知れないが、ハリウッド映画だって国策だ。アメリカがどうしてああも熱心に映画を作って世界へ輸出しているのか……というとあれも一つの国策だから。今はそこまで熱心に国が関わっているわけではないが、今くらいに世界進出できたのは国の力があったからだ。
 戦後、GHQは日本国民に日本映画を見せず、ハリウッド映画ばかり見せるように指導した。それも『怒りの葡萄』のようにアメリカの貧困や社会問題などは見せず、「アメリカは凄いんだぞ」というところばかり見せるような映画ばかり選ばれていた。日本はあの当時でもすでに映画産業はそこそこ発展していて、日本人に馴染んでいたのだけど、この戦略によって日本人はハリウッド映画を見ることに抵抗感がなくなった。
 映画が純粋に映画人の夢や希望だけで語られる世界なのか……とそういうことではなく、国家が戦略として関わってくることがある。特に映画は自分の国のイメージを広げるのに打って付けの文化だ。映画を通してその国に対する理解度は上がるし、その国に対するポジティブなイメージを外国に広めることができる。その力を国に携わる人間が気付かないわけはないし、利用しないわけがない。
 韓国もコンテンツにそういう力があることを理解しているから、国策としてコンテンツを世界に売る……という戦略を立てた。韓国といえば政治的には反日だし、韓国の作る歴史映画には願望を織り交ぜた微妙な作品が多いけど、クオリティという面では間違いなく高い。ハリウッドで大ヒットしたり、アワードを獲れたりできるのはクオリティが高いから。

 一方の日本は、こういうコンテンツ作りで国が関わることはあまりない。まったくないというわけではなく、一時特撮映画にはやたらと外国人が出てくるようになったが、あれも「海外売」を意識して、という話だったそうだ。
 黒澤明みたいな巨匠でも、晩年は制作費を集めるのにずいぶん苦労した……というエピソードがある。そこで国から一部であれ制作費が出れば、コンテンツを作る側はだいぶ楽になる。韓国はそれを実現させ、映画作りの最初の引っ掛かりとなる「予算問題」を解決させ、あとは現場がクオリティアップに努める……という良好な関係が作られていた。

 さて韓国漫画はその後、どうなったのか?
 正直なところ、私はよく知らない。なのでこちらの記事を紹介。

 マシリトさんと韓国人編集者イ・ヒュンソクの対談記事だ。
 私が注目したのは「経済危機で雑誌がなくなって、漫画家の行き場がなくなったところから、WEBTOONが生まれた」の章。1997年、アジア金融危機が起きて、紙の本が売れなくなった。紙代、印刷代も高くなって出版社も雑誌を出すのがしんどい、買うほうもお金がなくて買えない。漫画文化にとっての負のスパイラルに入っていた。この辺り、夏目房之助さんの『マンガ世界戦略』でも触れられていたところだね。
 この頃から紙媒体の形式を捨てて、漫画家達がそれぞれの媒体で、「漫画をネットで発表する」という流れが生まれはじめていた。貸本漫画「マナバン」が隆盛していた時代と同じ頃、すでにWEBTOONの系譜は生まれていた。
 2000年頃といえば若い世代が「PC房」に流れていった頃で、この頃は韓国製オンラインRPGが隆盛だった頃だけど、同時にネット漫画も伏流で生まれていた時代でもあった。だがすぐには花開く……ということはなく、表舞台に出てくるまでまだしばらく時間をかけることになる。

 ではどうして韓国漫画WEBTOONが地位を獲得していったのか? ここからは私からの想像の話。
 一番簡単な想像は発表媒体がパソコンで、パソコンといえば下へスクロールしていく形式だった。この形式に合った作品を発表しよう……と考えるのはごく当たり前の発想だ。そこにさらにスマートフォンが出現し、そのスマートフォンの「形」ともうまくハマった。
 日本で主流になっている「見開き漫画」は残念ながらスマートフォンとは相性が悪い。Kindleともあまりよくない。見開き漫画は左右ページの関係性が大事なのに、スマートフォンで見るとその効果がいきなり損なわれてしまう。漫画をスマートフォンで読んでしまうと、その時点で作家の意図が半分くらい損なわれてしまう……といっていいくらいだ。
 しかし今の若い世代にそれを言っても始まらない。みんなスマートフォンを持っていて、スマートフォンで見る……という習慣が根付いている。「見開き漫画は紙で読め。でなければ大きなディスプレイで見ろ」と言ったところで価値観の押しつけにしかならない。
 2番目の想像は、韓国漫画は歴史がなく、成長していなかったから。と言ったら怒られそうだし、そう言いながら私だって紙媒体時代の韓国漫画についてよく知らんし、知らずに言うなって話になりそうだし……。
 夏目房之助さんの話にも出てくるのだけど、貸本漫画時代の韓国漫画はとにかくも「大味」だったそうだ。複雑なストーリーが出てこない。ページを開いたら、パンチを繰り出している男が2人だけ……そんなページもわりとあるという。絵そのもののクオリティが高いし、そこだけ見ると日本と遜色はないけど、漫画としての総合力は弱かった……『マンガ世界戦略』ではそう書かれていた。
 どうしてそんな漫画ばかりになるのか、想像すると、一つには作家が育っていない、もう一つには読者が育っていない。貸本漫画で点々と漫画を読むだけ、という読者に複雑で長大なストーリーをぶつけるわけにはいかない。その瞬間その瞬間が楽しいもの、刺激的なもの……が大事になっていく。するととにかくシンプルで刺激の強い漫画を……となっていく。
 さらに歴史のなさ。日本には戦後以来のかなり厚みのある漫画の歴史がある。たくさんのきら星のような天才作家達がいる。その天才達が築き上げた過去の漫画があって、今の漫画がある。その漫画の系譜をいきなり捨てる……というわけにはいかない。日本の漫画は歴史があるがゆえに、現在の形式を捨てられない。日本の漫画の世界でまず出版社に売り込もうと思ったら、この伝統に則った形にしてやらねばならない。
 一方、韓国は歴史の厚みがそこまでないから、さらっと捨てられる。新しい形式で始められる。過去の出版物の形式に準じて……なんて慣習を守る必要がない。ちょうど紙文化が廃れた……ということが逆にチャンスになった。
 歴史がなく、大味なストーリー。それが過去を捨てて、新しい形式を……という挑戦へ繋がった。つまり色んな意味で作家側が「割り気って描いている」という意識があった。ある面でのこだわりがないことが、変化に対し柔軟に対応できた。
 私は縦読み漫画をほとんど読んだことがないのだけど、ちょっと読んだ感じ、とにかくも一コマ一コマの情報量が少ない。見開き漫画のようにページを開いて見たときのような情報量の多さというものがなく、コマの一つ一つで情報が輪切りにされたような印象があった。私が読んだ漫画がたまたまよくなかったのだと思うが、頑張ってスクロールさせ続けないと、物語が展開しない。そのせいでちょっとしたことでも展開が緩慢に見えてしまう。普通に見開き漫画では目線の動きですっと頭に入ってくるところも、スクロール漫画だとひたすら指を動かさないと展開が動かない。これが結構なストレスだった。
(ついでに言うと、申し訳ないが絵が下手だった。見開き漫画だったら1コマ1コマの絵がダメでも全体としての構成で強味を発揮できる、全体の情報量で圧倒できる……というものがあるけど、1コマ1コマ見せる形になると、率直に絵の上手い下手、構図の上手い下手が最初に目立ってしまう。そこで絵が上手くないと、読む気がなくなってしまう)
 この形式の漫画では、私の印象ではやっぱり複雑で長大なストーリーや、重いテーマは無理なんじゃないか……という気がした。こういった場では「刺激優先の大味なストーリー」のほうが強くなる。複雑な展開とか、丁寧な伏線とか、そういうのよりはその場その場でいかに刺激を発揮できるか。そういう割り切った試みをすでにやっていたのだから、WEBTOONの形式にもハマったんじゃないか……。

 とにかくも韓国漫画WEBTOONは成長産業で、2009年というちょっと古いデータだが年間成長率は4.8%。2015年のデータでは市場規模4200億ウォンにもなっている。「コンテンツを世界に売ろう」と考えている政府が、この成長著しいWEBTOONを逃すわけがなく、韓国漫画博物館が作られて、その中で特に優秀な漫画家は公務員みたいに仕事場と給料が与えられ、ストレスのない環境で仕事に集中できるようになっている。韓国政府のコンテンツ事業の貪欲さ、動きの速さに驚きだ。

 一方、日本はどうだろうか。漫画、アニメに関しては日本のほうが何歩も先をいっているはずだ。日本の政府はコンテンツ事業の扱いをどの程度理解しているだろうか?
 ごく最近、残念な事例が出てきた。『邪心ちゃんドロップキック』騒動である。
 『邪心ちゃんドロップキック』は2018年から第1期シリーズが始まったアニメだ。その第3期が北海道富良野市のふるさと納税で制作費を募る……というアニメ史上に例を見ない手法で制作費が集められた。『邪心ちゃんドロップキック』は第2期では北海道千歳市のふるさと納税で制作費を募り、2000万円の制作費を集めた実績もある。富良野市を舞台にしたのは、その成功に続くものだった。
 ところが実際に制作し、放送されると富良野市から「内容が不適切」として制作委託費3300万円の一般会計決算を「不認定」とした。理由は「臓器売買」などの描写が不適切で富良野のイメージを落とす可能性があるからだ……という。
 実は富良野市は脚本内容について事前チェックをしていた。そこでOKが出ていたのにもかかわらず、実際にできあがったものを見て「予算は出さない」としたのだ。
(しかも実際に制作し、完成し、放送までした後で予算は出さないという判断をしてしまった。制作者側の労力に対して賃金を支払わない……というのは契約上の違反だし、発注した側の仁義にも反する)
 私も実際見たのだが、問題となっている「臓器売買」については、ただの“ギャグのネタ”だった。借金返済でどうにもならなくなった主人公・邪神ちゃんが思い詰めて「臓器売買するしかない」と言い始める……という展開だが、それで実際に臓器売買するわけではなく、結局のところは「借金は働いて返そう」という穏当なところに着地をする。
 臓器売買のネタは極端なことを言って笑いを取る、という笑いの中ではごく基本的な手法でしかない。そこで裏社会の危険ななにかが飛び出してきたり……みたいな展開もなく、ごく平和的なストーリーだった。富良野市のイメージを悪化させるようなものは何もなかった。
 そんな内容ですら、「臓器売買」という言葉が出ただけで、富良野市は面くらい、思考停止に陥り、「予算は出さない」と言ってきた。「ギャグであってもコンプライアンスは守れ」というわけだろう。だがコンプライアンスを守って笑いなど取れるか。笑いとは極端なことを言って、その揺り戻しに安心した瞬間に起きる作用のことだ。それはある程度「お笑い」文化に触れていればわかること。それすら、富良野市公務員は理解してなかった。

 どうしてこんなことになるのか……というと市役所に勤めているような公務員達が、まともな「文化」に触れてこなかったためだ。
 アニメやゲームがよくわからない。笑いの良し悪しもわからない。「アニメやゲームなんて将来役に立たないから、見るだけ無駄」……とか言って文化を避けてきた結果がこれだ。作品の良し悪しがわからないから、コンプライアンスを参照して、それに触れるかどうかでしか作品を審査できない。
 前回、「無趣味な人とは話しづらい」という話をしたきたけれど、それと同じで文化にまともに触れず大人になってしまった人たちの末路だ。大人になって、「文化を売る」という立場になったときに困るから、文化にはきっちり触れておけ。特に政治を目指すような人は、文化をちゃんと知ってなければならない。「クールジャパン」とか言っていても、やっているのは「海外への日本文化の紹介」ではなく、日本に向けて「海外でこんなに評価されてますよ」という話ばかり。そんなのはどうでもいい。文化に触れるのは楽しいから、というのもあるが、いつか文化について語ったり、さらに進んでそれを仕事にする局面が来るかも知れない。「アニメやゲームは将来何の役に立たない」ではない。役に立つのだ。役に立つという視点に立ってアニメやゲームを見る……というくらいの意識でなければならない。

 こういうところで韓国との差が出てくる。文化貢進、そこから進んで海外進出のためには惜しみなく金を使うのが韓国。「アニメやゲームのことはよくわからない」と引っ込むのが日本。
 上が文化について理解していなければ、下も理解していない。もしも政府が「漫画、アニメの資料館を作ろう」と提案すると、多くの日本国民は「血税でそんなものを作るな!」と反対する。2009年「国立メディア芸術総合センター」での出来事である。2009年の時は国民が総出をあげて政府バッシングにまわり、「国立メディア芸術総合センター」は立ち消えとなった。
 もしも作られていたら、消えゆこうとしている漫画資料を良質な状態で保存する施設が作られて、そこを中心に日本国民ばかりか外国人観光客も一杯来たかも知れないのに。そのチャンスを国民自身で踏み潰した。漫画文化に普段から触れている庶民階級の人々ですら、その文化の貴重さが理解できていない。これはもはや「国民性」ともいえる話だ。

 漫画の海外売はどの程度進んでいるのだろうか。例えばアメリカには「クランチロール」というサイトがある。現在はソニーグループが買収しているクランチロールだが、もともとは2006年に立ち上げられた海賊サイト。日本のアニメを勝手に字幕を付けて配信していた。それが2008年に日本法人と提携を持ち、“公式化”した。
 その後は2016年にKADOKAWAと提携を持ち、オリジナル作品を手がけるようになり、毎年英語圏ユーザーが集まってアワードを決めたりと、華やかにやっている。クランチロールのユーザーは完璧に「アニメのお客さん」である。
 現在では英語圏でアニメを見る……というときにはまずクランチロールというくらいになった。海賊サイトは見つけ次第潰す……のではなく公式化して味方に付ける。その良き成功例となった。

 ではそれ以外の言語圏ではどうなっているだろうか?
 ここからはちょっとデリケートはお話になるので、固有名詞は避けてお話しをする。
 私は実は海外の友人と交流を持っているのだが、そのうちの1人が私を信用してくれて「私たちはいつもここでアニメを見ています」と、とあるサイトを紹介してくれた。それが海賊サイトだった。
 サイトを見て驚いたのは、日本でやっている“全てのアニメ”がそのサイトで配信されていたこと。テレビ放送作品は言うまでもなく、劇場作品、配信アニメもあった。例えばAmazon Prime VideoのアニメやNetflixのアニメなんかも、そのサイトでまとめて見ることができた。しかもものすごい回数で視聴されている。人気作は50万再生、さらなる人気作は100万再生もされている。
 なぜ彼らは公式のサイトでアニメを見ないのか? 理由はシンプルで日本がその国に対して一切配信していないからだ。日本のサイトを見ても、字幕がその言語圏向けに作られていないから見てもわからない。だから海賊サイトで転載され、有志が字幕を付けてくれるのを待ってから視聴する……という文化が根付いている。クランチロール初期と同じ状況だ。
 漫画もなかなか厳しいものがあって、『ワンピース』や『NARUTO』や『名探偵コナン』『ドラえもん』といった超メジャーな漫画は翻訳して入ってくるのだけど、ある程度大人向けの作品になると翻訳されることがない。アニメにしても漫画にしても、入ってくるのはやや子供向けの作品である『ドラえもん』や『ワンピース』といった作品ばかりだ。
 でも世界のアニメファンが本当に見たいのは『進撃の巨人』だったり『チェンソーマン』というような大人向けの作品だ。そういう作品はぜんぜん公式にやってきてくれない。
 その国でも実はアニメイベントがあって、その時の写真を見せてくれたのだが、みんな日本のアニメキャラクターのコスプレをやっていた。そのイベントでみんなが楽しみにしているのが、どの作品が翻訳されて販売されることになったのか、という発表会。その動画を見せてもらったが、作品の名前が挙がるたびに歓喜の声が上がっていた。それくらい、その国の言語で翻訳されることを、みんな待っているのだ。

 おそらくこういった海賊サイトは世界中の、いろんな言語で作られているのだろう。

 この一件から言えることは、それだけ旺盛な回数で視聴されている、ということは商売の芽がある、ということ。もう一つはクランチロールのように元々海賊サイトだったものも公式化することができる。
 今は海賊サイトで違法で見ている人たちはアニメの「お客さん」になっていないのだが、お客さんにすることができる。でも政府からはやらない、というのが日本だ。なぜなら政府の人々がこうした問題をよく知らないからだ。ならば国民から……でもやっぱり動かないのが日本。

 日本の漫画やアニメは、日本人の知らないうちにありとあらゆる国で視聴されて、愛されている。それこそ、韓国漫画よりもずっと強い影響力があるはずだ。だがその現状について知らないし、そこから「文化発進」の発想が出てこない(せいぜい、海賊サイトで見ている人たちをバッシングするだけ、だ)。一方の韓国は少しでも芽があるなら貪欲に売り込もうとする。この差は大きいぞ。

 日本はもうちっと自国のコンテンツを売る……ということに力を入れていいんじゃないか。「漫画は子供が読むもの! 世界に売るなんて恥ずかしい!」……とかいつまでも言っている場合じゃない。むしろ「誇らしいものだ」という認識を持つようにはできないだろうか。
 日本の政治家の大半は、自国コンテンツの強さを理解していない。そういうなかで、赤松健さんが国会議員になってくれて本当に良かった。政治の最前線で漫画文化貢進に力を尽くしてくれるのはありがたい。私はいつまでもこの人を支持しようと思う。


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