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1月8日 AIがストーリーテラーになる日は?

 AI関係の面白い記事を見つけたので紹介。

 詳しい話は、元記事を読んでもらうとして……気になったところはここ。

「仕事のやりがいについて教えてください」
「IT企業に勤めています。主に、システム開発やネットワークを構築しています」

 Steamで配布された『ポートピア連続殺人事件』は残念ながら「AIなし」だったのだけど、では「AIあり」はどんな感じだったのか……という一例で示された場面。AIあり版はヤスと日常会話もできるのだけど、深掘りしていくとなんとなく変な感じになる。ヤスが急に「うまい棒が高い」という話をし始めて、給料いくらか、と尋ねると「20万円」。ではどんな仕事をしているのか、と尋ねると「IT企業に勤めている」と言い始める。
 ……オイオイ、お前は刑事だろ。という以前に物語の設定は80年代なので、この時代にIT企業なんてものはない。

 これが現状のAIの問題なのだとか。こちらが投げかけた問いに対し、ネットから答えを探って答える。すると「ネットに転がっているような答え」しかしなくなる。それはChatGPTみたいなものであれば問題ないが、こういうエンタメに使おうとすると引っかかりが出る。AIが自分の「キャラ設定」を理解しない。つまり、きちんとロールプレイができない。

 でも、現状はこうであって、これが解決するまではそんなに時間も掛からないだろう……という気がしている。今回のインタビューの中で、「AIはやさしい嘘をつけるか?」という話をしている。相手の事情を察して、あえて嘘を言う。これができればAIはエンタメに使えるものになった……といえる。
 例えば『人狼』というゲームをやろうとした場合、AIは勝利するために自分の立場を偽って嘘をつかねばならない。「これはゲームという場なのだから」という了解の元で嘘をつけるか。これができればロールプレイが可能だということになる。ロールプレイが可能だということになると、エンタメ利用として一気に道が開く。

 ここで少し、そもそも「語り物」とはなんなのか……という話をしよう。このブログでは「語り物」についてのお話しはよくするのだけど、初めてこのブログを見るという人も多かろうと思うので、同じ話をする。

 現在、私たちは「物語」といえばすでにできあいのものを読むもの……と考えている。しかしこれは文字文化が発達して以降の文化で、もともとは語り部の人が語るものだった。
 アイヌではお祭りの日に語り部のおじいちゃんを招待する。これはその村に住んでいる場合もあるし、他の村から招待することもある。夜が深まると村長の屋敷に集まり、ほのかな明かりだけという中、語り部のお爺ちゃん(お婆ちゃん)が物語を語り始める。傍らには拍子木を持っている人がいて、物語のリズムに合わせてトントンと叩いている。
 このときの物語は、必ずしもできあいの物語を語るのではなく、そのとき集まった人々の顔を見ながら、あらすじを変更したり、別の話にすっと切り替えたりすることもある。そういう対応ができるように、語り部の頭には数百の物語パターンが入っていた。場が盛り上がっていないと感じたら、いつものお話しから盛ったり、勢いを付けたり、急遽別のストーリーに変えたり……といろいろやっていたようだ。そうした物語の作り方だったから、最初と最後でお話しが違う、設定が矛盾している……ということは当たり前にあったが、気にする人もいなかった。

 それが文字文化の発達とともに、「できあいの物語」を読むことが当たり前となり、さらに目も肥えてくるからクオリティも気にするようになる。感情描写が適切か、設定に矛盾がないか……そういう“評論”の対象となっていった。
 では現代において「語り物的なもの」はなくなったのか……そうではなく、ちょっと前までの週刊少年誌は意外と語り物的だった。特に『週刊少年ジャンプ』ではアンケート方式が採られていたので、その時々の人気で展開が変わる、キャラクターが変更になる……そんなことはいくらでもあった。それでなんだかわからない奇跡が起きてバトルに勝利する、死んだはずのキャラクターが突然復活する……そんなことがいくらでもあった。そういう漫画を後に単行本で読んで、設定に矛盾がある……と指摘するのは実はあまりフェアではない。そもそも『週刊少年ジャンプ』は「語り物的」にお話しを作っていた。その瞬間瞬間盛り上がるか……が重視されていた。これは『ジャンプ』に限らずとも、当時の漫画はどれもそういうところがあった。
 それが今や単行本で読むことを前提とする長編漫画ばかりになっていった。雑誌で読むとお話しがぶつ切り状態になるので、全体像がよく見えない。漫画雑誌が盛り上がらなくなるのは当たり前といえば当たり前。雑誌を盛り上げるのであれば、その瞬間瞬間で面白いか、盛り上がるか……という展開を作らねばならないのだけど、そういう作りをやっていないのだから、漫画雑誌が売れなくなるのは当然。誰もこの指摘をしないのは、誰も以前の漫画は「語り物的だった」ということに気付いてないからだろう。

 話は横道に逸れたが、語り物とは「物語は絶対にこの形でなければダメ!」というものではなく、その時々によって変わるものだった。そういうわけで、現代伝わっている昔話も、本当に昔語られたオリジナルのままなのか……というとちょっと怪しい。語り部が研究者に話すときに、ちょっと盛った……というのはあっただろう。昔話研究の本を読んでみると、一つの物語には必ず「類型」の物語が出てくる。つまり「似た物語」が一杯出てくる。昔話には絶対的なオリジナリティがある……というわけではなく、その時々でその地域で流行になったストーリーテンプレートが少しずつ入り込んでくるものだった。
 現代は「物語といえばできあいの物語」のこと、ということになっているから、こういう話を聞くと不思議に思うかも知れないが、実際の物語は変化するのが当たり前だった。

 どうして「語り物」のお話をしたのかというと、AIのエンタメ利用が可能になると、かつてあった語り物を再現できるかも……という期待があるからだ。
 現代の物語作りは、あらゆる素材を作り手側が用意しなければならない。ゲームであれば、大きなフィールドがあって、その中に一杯のNPCがいる。そのNPCの台詞を大量に用意しなければいけない。これが昔から大変で、それこそ百科事典数冊分とか当たり前にあった。(楽しいゲームは、作り手の血と涙によって作られている)
 これがもしもAIでお任せできるのであれば? 作り手の負担は大幅に減るし、プレイヤーは「できあいのものを再生するだけ」という退屈さから解放される。NPCに何度話しかけても反応が返ってくる……という面白い体験ができる。
 ただ、やっぱりゲームとして作るなら、プレイヤーにどの程度の情報を与えるのか、その情報によってプレイヤーを適切に誘導できるのか、が大事になる。NPCの台詞は意味もなく用意されるものではなく、その台詞によってゲームの遊び方を伝えたり、謎を解くヒントを与えたり、次に進むべき街や目標地点を知らせたりする……という意味があった。
 さらに進んで、きちんとロールプレイができるかどうか。明るいシーンでは明るく話さなければならないし、不気味なシーンでは雰囲気たっぷりにおどろおどろしく語らねばならない。そういう雰囲気作りをしっかりできるのか。

 もしもそういうものが可能になったら? いっそAIに「間の物語」をお任せしちゃうということもあり得るかも知れない。
 例えば主人公は魔王を倒すために、魔王の待つ城まで行かねばならない。そしてその途上には、魔王の手下のいる砦があって、それぞれの場所を通過しなければならない。
 こういうお話しの前提があったとする。従来のやり方では、シナリオライターが頑張ってその間の物語を作り込んでいたけれど……ここをAIにお任せする。「間の物語」はどう展開しても構わない。プレイヤーもどの順序や方法で目的に進んでも構わない。(従来は人間がプレイヤーの行動を先読みして、あらゆるパターンを用意していたが、)AIがプレイヤーのその時々の気持ちを汲み取って、簡単にしたり、難しくしたり、明るくしたり、不気味にしたり……。どう展開するのも自由だが、その間の魔王の手下のいる砦がいる場所を通行する……という展開には必ず持って行く。そこが物語の要となる部分だから、そこに物語を持って行くための盛り上がりはきちんと作っておく。そのためにはAIが「物語の要点」を理解していなければならない。

 そういうのも、絶対にあり得ない……というお話しではなく、将来的にはあり得るのだろう。すると物語は従来考えられていた「できあいのものを読む」から昔ながらの「語り物」に戻っていく。抵抗感はあるかも知れないが、実は物語の歴史としては先祖返り。物語のもともとのあり方に戻っていく。

 という話も、現時点では「かも知れない?」という話。現状のAIはとにかくメモリーを喰う。スマートフォンに収まるくらいのデータ量でやれるようなものではない。ここに技術革新が入って、いかに少ないデータ量でAIが実現するのか。またそれだけでかいデータを容易にやりとりできるものを作れるのか……が課題となっていく。
 それに、現状のAIはいまだに「ネットから情報をひろってきて」というやり方だ。これだとネットで転がっているようなアイデアしか出せないってことになる。その辺に転がっているようなアイデアで面白いストーリーが描けるか? それは無理。それは所詮は「クズ籠の中のアイデア」でしかないからだ(世の中には「2ちゃんねる」的なネタがえんえん羅列しているだけの痛々しい作品でも楽しめる……という人は一杯いるようだが)。やはり人間がパチッと一貫性のある世界観、ストーリーラインを用意せねばならない。
 なんにしても、そういう未来が楽しみだ。今から数十年後、どんな「物語」が若い人の間に流行っているのか。現代人が想像もつかない物語が生まれているだろう。


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