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映画感想 スターウォーズ エピソード6

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 多分、時期的に『スターウォーズ エピソード8』が公開されるから、そのタイミングに合わせて放送されたものじゃないかと思う。『ジェダイの復讐』……じゃなくて『ジェダイの帰還』。いまだに間違える。もともとのタイトルは「Revenge of the Jedi』だから『ジェダイの復讐』で合っているはず。でもいつの間にか原題も『Return of Jedi』に変わっていた。これ、いつの間に変わったんだろうね……?
 製作総指揮はジョージ・ルーカス。監督はリチャード・マーカンド。

 まだCGキャラクターが映画に登場する以前の映画。出てくるエイリアンたちは特殊メイク、着ぐるみ、パペットと当時の特撮技術が総動員されている。その絵をいま見ると……なんとも可愛らしい画に見えてしまう。
 公開された当時、ジャバ・ザ・ハットの根城周辺の風景とか、人々にどう映っていたのだろう? その時代にはリアリティを持って感じられたのだろうか。今の感覚だとなんとも子供っぽいというか素朴というか、かわいい印象になってしまう。「かわいい画」は作り手の意図したものじゃないと思うが。
 時代が時代だからしょうがないけど、粗も目立つ。ジャバ様の根城地下で、ルークは巨大なクリーチャーと戦うわけだが、画角が狭いし、カットは継ぎはぎだらけ。カットが変わったと思ったらなぜかルークが巨大な手につかまれているし。このシーンは「時代だからしょうがないか」と思うしかなかった。
 後半、宇宙でのバトルシーンに入るのだけど、タイファイター周囲に緑の縁が……。あれはDVDで視聴した時、見えてなかったような記憶があるのだが。高画質化で見えちゃったのだろうか。これも“時代”だな……。

 物語はまたしてもデススター建造に着手した暗黒皇帝と反乱軍の戦いが描かれる。新シリーズでもまたデススターを建造していたし、懲りない人たちだ。最後には破壊されちゃうわけだし。せめて弱点を変えるとかしないのだろうか。
(エピソード7では発射するところまで行けたのだから、進歩かも知れない)

 惑星エンドアにたどり着いたルークたち。そこで毛むくじゃらの小人たちと遭遇。ともに戦う展開となる。この展開、昔は嫌いだった。なんとなく『スターウォーズ』の作風に会ってないな、という気がして。小人たちが可愛らしく作りすぎて、受け狙いじゃないかという気がしていた。
 いま見ると……まあこれもいいものだな。こういうのもアリだ。作品全体が可愛く見えるようになったので、気にならなくなってしまった。
 エンドア戦は地上二足歩行メカとの闘い。あんな足場の悪い熱帯密林の中で二足歩行のレイバーを投入する気が知れないが……それはさておき。このメカの動きが何とも言えない手作り感。こんな手作り感のある映画、今時もうない。それに描写に困ったらとりあえず爆発。爆発でディテールの甘いところをごまかしている。こういう手法、アニメでもよく使うな……爆発物もないのに、とりあえず爆発させておけ描写。

 一方、デススターではルークとダースベイダー、皇帝の三者面談が始まっている。暗黒皇帝はルークに「我が社に入るのだー!」我が社に入るとこんな恩恵があるぞよ、のヘッドハンティングに対して、ルークは前企業への愛着がありますと断る。
 面接がこじれてルークとダースベイダーが斬り合うことになるが、ルークの殺陣が思ったほどうまくない。ジェダイが衰退して、剣術の訓練をしっかり受けられなかったからだろうか。
 社長の電撃攻撃……なにか間違えたか? でも文字通りの雷がルークに落ちる。それを救うのがダースベイダー。落下する暗黒社長。最後に大爆発!! 困ったら爆発、である。というか暗黒皇帝、めちゃくちゃ弱かった。
 ルークじゃなくてダースベイダーが暗黒皇帝を倒すんかい! とは昔思ったけども、その後に作られたエピソード1~3までを見ると、実はずっとダースベイダーのお話だったことが分かる。アナキンが暗黒面に落ちて、しかし実はその後も葛藤し続けている……というお話で、その葛藤を乗り越えるために、自らの手で暗黒皇帝を殺す。エピソード1~3の存在で、エピソード6への印象が変わるのがなかなか興味深い。

 ラストは勝利の宴。暗黒皇帝が死に、様々な惑星でお祭りが開かれる。……後の暗黒皇帝死亡記念祭であった。いや、このお祭りが毎年のお祭りになったかどうかは知らんけど。
 このあたりも追加されたカット。エピソード4~6に出てこない場面ばかりが追加されている、というのは気になるが、この辺りをDVDで見たときは(エピソード1~3を視聴した直後だったというのもあり)なかなか感激した記憶がある。
 いま見ると、人がコピペで増やしているのがすぐわかっちゃうし、影が描写されてないから、背景に対して浮いちゃって見える。一昔前のゲームCGみたいだ。当時はそこまで見なかったな……これも「目が肥える」ってやつだ。
 宴のシーンには、イケメン時代のアナキンが追加されている。しかしオビワンとヨーダの横で、微妙に仲間外れ感というか……。オビワンとアナキンの視線が合っていないのが哀しい。ヨーダに至ってはアナキンのほうを見ようともしないし。死んだ後でも、わだかまりがあるのかしら。

 技術を押し出した映画は、数年で古びる……と私はこれまで書いてきたけれど、『スターウォーズ6』もすでに30年前。その時々でCG部分のみ刷新されてきたけれども、それでも“古い”という印象は変えられない。やっぱり、今感覚で見てしまうとショボさが目に付いてしまう。
 スターウォーズ・ユーザーの高齢化がいま言われているところだけど、過去作に遡ろうとしても、表現が古びてしまっているのがなかなかつらい。こういうところも、映画の宿命だな……としみじみ。
 でも、一周回って、表現の一つ一つが「かわいい」と思えるようになったのも、変化かもしれない。当時は「リアル」で「恐ろしい」と感じられた部分だったはずなのに。
 人間の意識は不変ではない。こういうところも「目が肥える」ってやつだ。映像はもっと高密度に、特にゲームのほうが8K標準になる時代がもうすぐそこに来ている。ゲームが映画を超えて、文字通りの「エンタメの王」に変わる瞬間が来ると見ている。人間の意識ってどれだけ変わるんだろうな……。


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