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2月4日 理想を唱えすぎていつか現実が崩壊するかも知れない未来

 こちらの画像は内戦中のシリアから逃れようとして失敗し、トルコの海岸に打ち上げられた3歳の少年の写真だ。
 この写真を切っ掛けに、欧米では大論争が起きた。もっと移民受け入れに寛容であればこの子供は死なずに済んだ。国境線をもっと緩めるべきだ。救いを求める人をもっと受け入れよう!

 移民問題について考えるとき、「可哀想だから」という視点で見るのは危ない。移民を受け入れた全ての国で起きていることは、深刻な犯罪の多発。それから文化の崩壊。移民でやってきた人達は、当然ながら新たな地でも自分たちの文化を引き継ぎたいと考える。「自分たちの文化を守る」というのが普遍的な人の在り方だからだ。しかしそうするとその国にあるべき文化と対立することになる。その対立から様々な軋轢が生まれてくる。その対立は戦争の火種になることすらある。
 よほど余裕があれば移民受け入れもいいのだけど、そもそも自国に余裕もないのに、さらに余裕のない人々を受け入れたらどうなるか。引き受ける余裕もないなら、そもそも引き受けないほうが良い。余裕がない状態で引き受けたって、相手にとっても不幸だ。むしろ相手を不幸にするだけなら、自己満足の寛容さは見せないほうが良い。

 こんなお話しをしたけれど、今回のテーマは「移民」ではない。テーマにしたいのは今回も認知能力、あるいは認識能力のお話し。
 移民問題からお話しを始めたのは、もしも公の場で移民問題に反対するとどうなるか……という話をしたかった。私は私なりに「移民受け入れは慎重であるべき」という姿勢であるのだが、しかしこういったお話しをエリート&セレブ階級といった相手にすると、必ずこういう非難が返ってくる。
「レイシストだ! ファシストだ! ネトウヨだ!」
 いや、待て。移民の大量受け入れをやった国はどこも治安の悪化と文化の崩壊でかなりトンデモないことになっているぞ……。その問題を自分の国でも引き起こしてどうするんだ。それどころか、文化の対立というのは「戦争の切っ掛け」にもなる。その戦争の切っ掛けをわざわざ呼び起こしてどうする?
 しかしエリート&セレブ階級の人たちにそんな意見を言っても無駄だ。なぜならエリート&セレブ階級は基本的に空の上に住んでいるので、移民による被害を被ったことがない。被ったことがないから、現実問題を無視する。
 それどころかエリート&セレブ階級は移民問題について話題にし、寛容さを示すことを「進歩的な思想」と信じて疑わない。反対を唱える相手に対する侮蔑や罵倒には遠慮がない。「移民を受け入れないお前はレイシストだ! ファシストだ!」みたいなことは平気で言う。
 そこでエリート&セレブ階級たちによる「差別」が浮かび上がってくる。移民問題に直面して苦労している一般階級の現実を無視し、「移民受け入れという進歩的な思想を受け入れない人々は、意識が遅れているのだ」……みたいなことを平気で発言したりする。反対意見があっても「じゃあトルコの海岸に打ち上げられたあの子供は可哀想じゃないのか」と「人道問題」を盾に黙殺させる。それがエリート&セレブ階級たちによる一般階級への「差別」なのだけど、その差別は認識されない。

 実は一般階級よりもエリート&セレブ階級の差別意識のほうが苛烈である。しかしエリート&セレブ階級たちによる差別意識はあまり認識されない。というのも、社会的に見て「正論」とされている場合が多いからだ。もしもエリート&セレブ階級が一般階層に対して「あいつらは自分たちのように努力しなかったから出世できなかったのだ」と言ってきても私たちとしてはぐぅの音も出ない。
 それだけではなく、最近はLGBTや人種の問題といった話がかびますしいが、実は一般階級はさほどLGBT差別や人種差別はしていない……という話も出ている。意外と普通に受け入れている……というのが実際だったりする。しかしエリート&セレブ階級達は「差別しているのは一般階級の連中なんだろ」というような差別の仕方をするという。それ自体が差別なのだけど、これが問題にされることはない。というのも最上級の層にいる人々だから、指摘する人がいないからだ。

 どうしてこうなってしまうのかというと、やはり「認知能力」の低さ。認知能力にはやはり限界があって、高学歴・高所得であってもそこまで認知能力は高くはない。認知能力が高いからエリート&セレブという地位を得たというわけではない。それとこれはまったくの別だ。
 それどころか高学歴エリートであってもどうやら認知能力は低い人は多いらしく、自分の言っていることの自覚がない、一般階級に対する差別は平気でする。コンプライアンスや人種問題さえ押さえていればいい……というか、LGBTや人種といったカテゴライズされた「わかりやすい差別」しか認識できず、それ以外の差別に対しては平気でやったり言ったりする……というエリートたちは多い。

 ちょっと番外編として、フェミニストたちによるアニメ・ゲームオタクに対する攻撃もアレは差別だ。フェミニストたちは「自分たちは男達から不当な差別を受けている」という主張を盾にするから、フェミニスト自身がやっている差別がぼやかされている感じがする。正論っぽく聞こえる。でもよくよく考えてみればフェミニストは「差別」を盾に別の誰かに対する「差別」をやっている。
 世の中には本当の性差別問題は一杯ある。そういった問題は日々ニュースになって話題になる。ところがその多く問題に対し、フェミニストはなぜか沈黙する。フェミニスト達が活発に活動する時というのは、やや肌露出の多い、可愛い女の子キャラクターがアニメに登場したときだけだ。
 だがよく考えてみよう。オタク達の表現しているものは女性の地位に一切の傷を与えていない。
 最近はColabo問題が起きて、活動家・仁藤夢乃さんの発言が問題となっている。私も見ていて、どうしてフェミニストの言う「キモい」は許される……ということになっているのか疑問に感じた。私たちが同じ発言をしたら「差別だ」ということになる。フェミニストが私たちを「キモい」と言ったら「正論」だから許される。これはなぜだ? 正論と認識されていたら罵倒は許される?
 フェミニストを自称するならフェミニストらしい活動をすればいいのに、遠くから見ているとフェミニスト達は無関係なところに火を点けて回っているようにしか見えない。映画を観ていると、正しくフェミニスト的精神を描いた作品がたくさんあることに気付く。ああいった作品を作っている人達の方がよほど正しくフェミニスト的精神をもって啓蒙しているといえる。ところがフェミニストを自称する活動家たちは本来的な活動をやっているようには見えない。というか「フェミニスト」を自称し、活動している人は、やっていることが左翼活動家の行動に酷似している。フェミニストという言葉を盾にした政治活動家じゃないのか……と勘ぐってしまう。
 といっても私たちはそんなフェミニストたちに「差別だから発言するな」と言うつもりはない。それを言い始めるとキャンセルカルチャーになるからだ。その問題を私たちが一番に直面しているから、自分たちからはキャンセルカルチャーを広めるつもりはない。

 話を戻しましょう。
 これからの未来、怖いのは現実と理想が乖離した思想が広まってしまう可能性だ。移民問題は受け入れた地域で様々な問題を引き起こしている。でも“理想として正しいから”受け入れるべきだ。受け入れないやつは差別の対象だ! 人類は地球環境を悪化させている。原発などは稼働停止にして、もっと“発電効率の悪い発電所”を作るべきだ。それが“理想として正しいから”だ。この考えを受け入れないやつは差別の対象だ!
 移民問題も軽率にやり過ぎると、さっきも書いたけど戦争の切っ掛けを作る可能性がある。文化対立はそれくらいに重い。そういう恐れがあるから慎重にやらねばならないのだけど、“理想だから受け入れるべきだ”意見が圧倒的に強く、反対意見を駆逐してしまう。
 今の時代、世の中のあらゆる問題に対して“理想”とされるアンサーが用意されている。その理想通りのアンサーを横並びで唱えていればいい……みたいな感覚がある。特にエリート&セレブ層ほどこういう感覚を持っている(理想的とされるアンサーをしなければメディアから追放される……という恐れがあるからかも知れないが)。
 しかしいま世の中的に“理想”とされるアンサーは、もう少し俯瞰して見ると、さほど理想じゃないぞ、現実問題を無視して言っているぞ……というものが一杯ある。でもその現実問題は無視して構わない……みたいな感覚が広まっている。
 認知能力が低いままだと、現実を認知できなくなり、理想だけで物事を言ったりしはじめる。エリート&セレブ層は世のあらゆる“問題”から遠く離れた世界で暮らしている。どこかの眺めのいい別荘地で家族だけのパーティをやりながら、時々はるか眼下に見える明かりに目を向けて、「ああ、あそこにも人が一杯住んでいるんだろうな……でも興味ない」という感覚でいる。その眼下で暮らしている人々が自分たちの理想で荒廃しようが知ったことではない。一般階層が荒廃しようが、それで自分たちが脅かされることは永久にないからだ。

 日本の官僚の世界でも現実と理想の乖離は見て取れる。財務省といえば、特に理由がなくとも増税がしたい組織として知られるようになった。増税をすれば国民の所得が減る。国民生活が逼迫する。でも官僚達は庶民の暮らしがどうなろうが特に気にしない。意味はなくても増税をすることだけが目的化してしまっている。なぜ気にしないのか、というと官僚達にとって庶民は認識の外の人たちだからだ。その存在を認識することもなければ、その声を聞くこともない。自分たちが作り出した制度が、「国民」という大多数の人々にどんな影響を与えるか――そんなこと考えない。考えていれば、あそこまで無闇に増税を推進したりもしないはずだが、現実には無闇な増税を推進しようとしている……ということは国民の存在を認識できていないということだ。
 国の制度に関わる仕事をしていながら、意識の中から「国民」がすっぽり抜けている……というのはなかなか怖い話だが、実際には抜け落ちている。というかそもそも認識できない。人間の認知能力は人間が思っている以上に低い。人間はせいぜい150人前後のコミュニティしか認識できない。エリートに上り詰めたからといって突如認知能力が増大するというわけはなく、エリート達もせいぜいその周辺150人程度の社会までしか認識できない。その社会の中で正義だ、とされているものがあったら、それに従う。ただそれだけの話だ。
 官僚からすれば私なんてRPGに出てくる村人NPCだ。存在していないもの一緒。これからも官僚達は現実問題を無視した制度を提案し続けるだろう。

 ネット社会がやってきて、私たちは世の中のあらゆる出来事や問題を知ることができるようになった。しかし知っているけれど認識はできない。その一つ問題が抱えている“重さ”を理解することができない。所詮はバーチャルリアリティの世界でしかない。でも人間は「知る」という時点で満足してしまうから、その知識の向こうにあるものまで理解しようとしない。
 本当の意味で知るためには可能な限り「体験」すること。百聞は一見にしかず……という昔からの言葉があるが、「体験」に勝るものはない。それがダメならせめて本を読むこと。本にも誤りや情報量の少なさというのはあるのだけど、ネットニュースを見るよりかは絶対に良い。
 私たちの世界は「実体」がなく、「情報」だけになっていっている。リアルな世界を生きているのにどこか空虚。空虚な世界を生きているという自覚がない。私たちのほとんどはすでに完成している数千人が同居する都市という中で生まれ、育っていく。生まれた瞬間から人間の認知能力では把握できないくらい複雑な社会の中にいる。そうした社会の中にいるから、最初から「考えない」という選択肢を採りがちになってしまう。すると一気に現実感覚が抜け落ちていく(いつでも多様な情報に接することができてしまうから、自分がバカになっているのに気がつかない……という事態になってしまう)。
 他人の家の前にゴミをポイと捨てられるような人間になってしまう。前回、「逆フリン現象」が起きているという話をしたが、あまりにも複雑で、しかも空虚な世界で生まれ育ってしまっているから……というのも「逆フリン現象」が起きている理由としてあるかも知れない。
 そうしたただ「知った」だけの状態で「理想」のアンサーを出し、そのアンサーに異を唱えると差別の対象にする。「移民は無条件に受け入れるべきだ」に異見を唱えたら「ファシストだ!」と罵倒が返ってくる。その時の差別は「正論」だから許されるということになっている。正論は正義であるから許される……ということになっている。そもそもの「理想のアンサー」に間違いがあったとしても誰も聞かない。なぜならみんなその一歩手前で、それを「知った」という状態で満足してしまうから。
 現代人はまだ「地に足」を付けている部分がたくさんある。理想とされているアンサーに対して、「ちょっと待て」と唱える人達がいる。怖いのはこの「ちょっと待て」を言う人がいなくなったときだ。理想、理想、理想……だけで現実が壊れていく。そうなったとき、文明社会が崩壊する時だ。


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