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ゲーム感想 十三騎兵防衛圏

 思い出は再編集される。

 『十三騎兵防衛圏』が発売されたのは2019年11月28日。最初はプレイステイーション4でのみ発売し、初週販売数は3万4200本。売り上げチャート5位に入るものの、いまいちパッとしない成績だった。
 しかしここからがこの作品の“始まり”だった。発売後、ネットコミュニティでこの作品を高く評価する人たちによる口コミが広がる。著名なゲームクリエイターたちも絶賛。IGN JAPANではその年の「ゲームオブザイヤー2019」で6位。「ファミ通・電撃ゲームアワード2019」ではベストシナリオ賞、ベストアドベンチャー賞受賞。日本SF大会では、2020年第51回星雲賞ゲーム部門受賞。
 売り上げも打点の高いロングテール状態に入っていき、発売から1年間販売ランキング30位以内にランクインし続け、2022年NintendoSwitch版発売により再びランキングに返り咲き、2023年8月31日には世界累計販売本数100万本達成。今もロングテール状態が止まりそうもないオバケタイトルとなっている。

 私も個人的にずっと気になっていたタイトル。2024年、本作の制作を担当したヴァニラウェアと販売元であるアトラスによる新作『ユニコーンオーバーロード』が発売したことを切っ掛けに、本作のダウンロード版が40%OFF! やっと購入の機会が来た。
 現在新作として発表された『ユニコーンオーバーロード』もかなりの高評価で、こちらもロングテール化しそうな気配。いつか機会が来たら遊んでみたい。

 今回の感想文は珍しく「ネタバレ無し」で掘り下げていく。


 物語の始まりは1985年――。平和な街に突如巨大ロボット襲来。避難が始まる街の中、群衆に逆らって走る一人の少女がいた。
 背の高いビル群の一角が、のそりと動き出す。地面を揺らすズシン、ズシンと音が響き渡る。《怪獣》だ。少女は無人となった交差点の只中に立ち、怪獣の姿を確認する。
 少女の太ももが青く輝く。その直後――無人の道路に一機の巨大ロボットが出現する。《機兵》だ。
 その光景を、学生服の少年が茫然と見ていた。

「本当に、始まったのか」

 映画で見た怪獣が現実に現れて、街を破壊する。怪獣――ダイモスと呼ばれる謎の機械生物たちは、街を蹂躙し、日常を覆していく。そんな怪獣と戦うために“僕たち”はロボットに乗って戦う。
 でもそれは、ずっと前から定められていたこと――運命だった。


美少女と十三騎兵


(しばらくアホになります。次の章まで読み飛ばし推奨)

 真面目な話を始める前に、ゆる~いところから入っていきましょう。

 この作品の第一の魅力。それは出てくる女の子が全員可愛いこと!
 一人一人見ていきましょう。

沢渡美和子 CV:松井恵理子

 まずはある意味の“モブキャラ”代表のモブ子ちゃん、美和子ちゃん。この子、絶対人気あるでしょ。モブ子ちゃんにしては可愛すぎ。
 いわゆる“ぽっちゃりキャラ”なのだけど、そのぽっちゃり具合がリアル。アニメでぽっちゃりキャラといえば、もっと極端に太く描かれがちだけど、この作品のぽっちゃりキャラは現実に「ああ、こういう子いた」と思わせてくれる絶妙なデザイン。このくらいの年代は脂肪が付きやすいので、そんなに食べてなくても脚が太くなりやすい。いたなぁこういう子……記憶を刺激してくれる見事なキャラデザ。ただ、現実的に考えると、顔はもうちょっと丸くなるかな。

冬坂五百里 CV:種崎敦美

 メインヒロイン格の冬坂五百里ちゃん。いかにも少女漫画に出てきそうなふわふわした感じの美少女。ああ、好き。
 演じているのは、今や声優界のトップランナー種崎敦美。最近話題になるヒットアニメにはだいたい主演級キャラで出演しているすごい人。現在の冬坂五百里だけでなく、大人になった姿、幼女期も演じ分けている。演技の幅はものすごい。

 でも、かなり野暮なこと言うね。
 女の子の成長曲線は、13歳前後で完了する。13歳の時点でだいたい大人と同じ体つきになる。13歳の平均身長が155センチ。17歳の平均身長は158センチ。成人女性の平均身長も158センチ。高校1年生になると、その後、急速に成長するってことはあんまりないんだ。いきなり身長が高くなるとか、オッパイが大きくなるとか……。
 このゲームをクリア済みの人なら、なにを言っているかわかるかと思うけど。まあ、「うっせぇ」って話だね。

南奈津乃 CV:佐倉薫

 いつも体操着+ブルマの元気っ子。いい尻です。ありがとうございます。ご覧の通り、キャライメージでもまずお尻を見せてくれている。タイトルシーンでも、お尻からフレームイン。罪なきお尻が神々しい。ありがたや、ありがたや。
 でも、また野暮なこと言うね。ブルマの形、すこーし間違いがあるんだ。鼠径部のところなんだけどさ。私が昔、ブルマをリアルに描いた絵があるので、それと比較してみよう。

忘れられた設定だが、とらつぐみはイラストレーターだった。

 奈津乃ちゃんのブルマは、この角度だとハイレグだよ。

 でもね、絵画において大事なのはね、“正しい”ことよりも“魅力的である”ことのほう。正しい描写よりも、魅力が勝っていればOK。正しくなくても、キャラクターが魅力的だったら、それで良いんです。あり得ないような急成長して、巨乳化したっていいんです。

 ところでタイムリープものでもあるので、それぞれのキャラクターたちの成長した姿も後々出てくる。大人になったみんなもまた魅力的で……。いいキャラクターデザインだなぁ。その中でも大人になった奈津乃ちゃんは一番好きだった。

薬師寺恵 CV:内田真礼

 むしろこの子が正統派ヒロインかも? 綺麗なストレートロングが魅力的。いつもトーン低めだけど、想いは熱い(熱すぎてちょっとヤンデレ気味)。この子もなんともいえない魅力。

鷹宮由貴 CV:小清水亜美

 いかにも小清水亜美っぽいキャラクター、由貴ちゃん。キャラ絵を見たときから小清水亜美だろうなぁ……と思ったらやっぱり小清水亜美だった。こういうヤンキーは好きじゃないんだけど。でも立ち姿が可愛くてね……。奈津乃ちゃんの話になると声のトーンが柔らかくなるところが好き。

東雲諒子 CV:早見沙織

 薬師寺恵をさらにローテンションに、さらに病的にしてみせた……という感じのキャラクター。さては制作者、こういう病みキャラ好きだな。ヤンデレに垣間見る少女らしさが愛らしい。でもキャラ付けとして包帯を巻いてるけど、私はない時のほうが好み。

如月兎美 CV:M・A・O

 出てくる女の子がみんな魅力的だけど、一番は誰かな……いや、みんな可愛くてありがとうございますって感じだけど。それでも一番を選ぶなら如月兎美かな。この思い切った額、いいでしょ? いいおデコ。

 この子だけ、キャラ付けがやたらとしっかりしているんだ。ウサギモチーフなので、赤いメガネ、白いタイツもウサギモチーフだからだね。長い三つ編みも垂れ耳ウサギを意識している。額丸出しのキャラデザにはビックリするけど、全身姿を見た時のシルエットが最高に可愛い。歩く時、この三つ編みがふわふわと浮かぶ様子もまた可愛いんだ。
 声優の演技もまた絶妙なんだ。ちょいと毒舌なところがあって、ひとつ間違えれば“嫌なキャラ”になりそうなところだけど、ぜんぜん嫌な気がしない。むしろ何度もリピートして聴いていたくなる演技。キャラクターデザインとボイスが奇跡的なくらいハマったキャラクターだ。
 名前は「如月」とあまり聞かない名前(フィクションでは多いけど)。「衣替え」とか「着替える」といった意味がある。この名前の付くキャラクターには、意外な二面性が設定されているものだけど……?

 こうやって見てみるとわかるけど、みんな全身姿になったとき、シルエットでキャラクターが見分けられるようになっている。今作は基本的にはキャラの全身像が見えている。あまりクローズアップされない。そこでシルエットで見た時に、個性が見えるようにデザインされている。学園ものだから基本みんな学生服だけど、それでもパッと見でわかるように、特徴が重ならないように描かれている。

 いやいや、もう出てくる女の子キャラクターがみんな可愛くて、ある意味、それだけで収獲のあったと言える一本。なんで女の子キャラの紹介を最初にしたのかというと、これもこの作品の魅力の一つだから。女の子キャラクターで「あ、この作品好きだ」ってなる。
 薄い本を出すとしたらどうする? 兎美ちゃんオンリーというのも寂しいから、全キャラ参加かなぁ。もう一個の名義のほうで、一本描いちゃおうかなぁ……。

 男キャラ……? 男にゃ興味ないんで、あんまり記憶に残ってないです。男キャラは誰がいたかな……あ、男の娘の沖野司君は印象に残ってるよ。

導入部の構成


 この作品はどこから語るべきだろうか……。やはり導入部。そこにどんな仕掛けがあるのか、というところから見ていこう。

 プロローグはヒロインの冬坂五百里からスタートする。冬坂が騎兵を召喚し、バトルシークエンスに突入していく。
 しかし実は冬坂は主人公ではなくヒロイン。このバトルシークエンスの最中に、主人公である鞍部十郎が登場する。この後、アドベンチャーパートが始まるのだが、ここから鞍部十郎の物語が始まる。

 プロローグにあえて主人公以外の登場人物を出してきて、ポジションを“受け渡す”というやり方を採用している。あえてパッケージの中央に立っているキャラクターとは違うキャラクターを出して「あれ?」と思わせて、その後もったい付けたように主人公登場! ……それから主人公が何者か……というストーリーが始まる、という構成になっている。

 ある意味の「第2話」である冬坂五百里編が始まると……あれ? 教室が違う。事情を聞くと、新校舎の工事が遅れているらしく、それで生徒達は仕方なく旧校舎を使っている……という設定だ。どうしてわざわざこんな遠回しなことをさせているのか?

 なぜならその次のエピソードが1945年だから。やはりキャラクターやシーンを“受け渡す”ような作り方をしている。

 その次のエピソードが南奈津乃ちゃん。奈津乃ちゃんも冬坂五百里編のところで一回顔見せをしている。
 物語前半はずっと次エピソードへの“受け渡し”が意識されている。奈津乃ちゃんのエピソードで“タイムリープ”が描かれた後……。その次に「未来編」が始まる。
 『十三騎兵防衛圏』は構成方法がかなり特殊で、プレイヤーキャラクターが13人いて、それぞれのキャラクターたちはそれなりに近いところに住んではいるものの、“時代”というどうしようもない壁で隔たれている。エピソードごとに違う時代が出てくるわけだが、普通に物語構成すると「突飛すぎるよ」となる。読者の意識が追いつけなくなる。そこで、じわじわと前提となるものを作っている。
 例えば過去編に入る前に、過去編の舞台を見せている。未来編に入る前にタイムリープを見せている。それぞれのストーリーは直接には繋がってないけど、イメージが繋がっているので、「突飛だ」という印象は薄まり、自然に受け入れられるようになる。

 ではどうしてこのような作りをしているのか? 理由はシンプルで、作品の構成が恐ろしく複雑だからだ。導入部は1985年だけど、そこから色んな時代に舞台が移っていく。登場キャラクターたちも非常に多い。そこで混乱が起きないように、突飛だと思わせないように、一つ前のシーンで必ず顔見せをさせて、次のエピソードへ受け渡せるように作ってある。
 一つキーとなっているのが「旧校舎」の存在。1985年が舞台とはいえ、戦時時代に作られた旧校舎が残っているのは本当ならちょっと不自然(ないわけではないが)。しかし旧校舎の存在が絶妙で、これがあるから1945年のキャラクター達を引き受けることができる。1945年のキャラクター達は後に1985年に移ってくるのだが、旧校舎があるから、自分たちの時代を語る切っ掛けを作ってくれる。さらに普段は誰もいない校舎だから、そこが“異常な何か”が起きる舞台となっている。現代の校舎だと「なんで誰もいないの? なんで目撃者がいないの?」というツッコミが来そうだけど、そういうときでも旧校舎が有効に活用される。旧校舎が非日常を提供する舞台になってくれている。

 次に作劇的な“受け渡し”がどのように展開していくか見ていこう。日常の物語からどうやって“非日常の物語”へと遷移していくのか。

 物語の始まり。鞍部十郎は「特撮」大好き少年として描かれる。同じクラスの友人と、“毎日している”という様子で特撮について語り合っている。
 その特撮作品というのが、まず『ダイモス』。その作品は1954年に第1作目が公開され、以降怪獣映画の代表的な存在となってシリーズ作品が作られることになった……という。1954年の大傑作怪獣映画といえば『ゴジラ』のことですよね。他にも『ET』とそっくりのあらすじの『EXT』や、『スターウォーズ』のことと思わしき作品『UFOウォーズ』、もしかすると『未知との遭遇』のことかな、という作品もネタにされている。途中に出てくる骸骨を思わせるロボットは『ターミネーター』でしょう。
 どれも私たちがよく知っている作品だ。普通にこの作品と接していると、「ああ、名称をそのまま使うと版権の問題がどうこうで、仮名にしているんだな」……と思うわけだ。そう思うように仕向けている。
 しかし、実はここで話題にされている特撮もの、すべてがこの物語の中で、後々起きるできごとを示唆している。実は伏線だった……という作りだ。こういう仕掛けがまずあることで、作中のでできごとと、私たちの現実がごく近しいもの……という“錯覚”をさせている。

 実は伏線だった……というのも一つのポイントだが、そこで語られているフィクションが、私たちがよく知っている作品によくなぞらえられている、ということ。これから起きる事件というのが、その物語内で語られているフィクションとよく似ている、あたかもフィクションが現実になったかのようだ……そういう認識でお話しがスタートしている。

 奈津乃ちゃんの物語もそう。部室で発見した、機械生命体(のようなもの)を見て、奈津乃ちゃんは「この展開ってまさか……」と、目の前の事件を、フィクションで見た“アレ”だと思い込んでいる。
 奈津乃ちゃんはしばらく謎の機会生命体(のようなもの)を宇宙からやってきた使者だと思い込み、学校周辺に現れた謎の黒服をMIBだと思い込む。この思い込みが結構長い。
 登場人物達にそう思い込ませると同時に、作品に接している人たちも騙している。ここまでの話も実は全部表層。後に全部ひっくり返る構成になっている。

 このように作劇を作っている理由は、後々のどんでん返しへのショックを大きくすると同時に、一方でそのどんでん返しがあまりにも異質であるから、あえて身近なものから始めている。まず私たちがよく知っているパターンの物語から始めて「ああ、ありきたりなアレね」……と思わせることで、親しみを与え、警戒を解かせている。
 私たちのような人間は、「物語読み」の玄人といえるから、だいたいの物語を問題なく読むことができる。しかしそうではない、“普通の人たち”は「わかりやすい物語」を好む。では「わかりやすい物語」とはなんなのか……ズバリ言ってしまうと、テンプレート的な物語のことである。ありきたりで定番、何度も繰り返されたお話し……こういうものをわかりやすい物語と呼ぶ。もしもここから外れる新規性のある物語を提示しても、玄人さんは喜ぶけれど、普通の人はなかなか理解してもらえない。私たちからすれば「なにに躓いているのだろう?」と不思議に思うくらいに、理解してもらえない。理解してもらえないものは興味も関心も持ってもらえない。だからいつの時代も、何度も繰り返されたような物語が流行る。
 で、『十三騎兵防衛圏』もプロローグだけを見ると、「ハイハイ、ありがちなやつね」……と思わせる要素だらけだ。誰もが知っていそうな王道パターンの導入部。しかしそこから1800度くらいの勢いでどんでん返しの大車輪がやってくる。

 そこで見事なのが物語構成。全部で13人の主人公がいて、全員を少しずつじわじわと進めていく……という構成になっている。だいたい一つのエピソードが10分から15分くらいだろうか。それくらいの構成の中で、毎回一つは「え!?」というものが入っている。
 ということは、たぶん、そういう驚き要素を前提に、展開を組み込んでいったのだろう。ドラマがどんどん盛り上がっていく……というタイプの物語でもないのに、ずっと「いったいどういうことだろう」と関心を惹きつけられているのは、こういうところだ。お話しを一つ進めることに、ひとつ「え!?」が出てくる。それが少しずつ少しずつ積み重なっていって、最終的には出発地点とはまったく違う物語になっていく。

 それで、物語はそれぞれのキャラクターごとに進んでいくのだけど、実は「究明編」を選ぶと、全ての物語が時系列順で見ることができる。
 時系列順で見ると、そこで初めて知れる事実というのも一杯あって、クリアした後ももう一度作品が楽しめるわけだが……。
 しかし時系列順で見ると、お話しが順序立てて見ることができるけど、物語の作法が破綻して見える。時間やシチュエーションが変な飛び方をしているように見えてしまう。最初に書いたように、物語の順列はいい加減バラバラではなく、キャラクターやシーン、シチュエーションといったものが少しずつ受け渡されるような構成になっている。さらに物語を進めていくと、少しずつ意外な事実が剥離していき、最終的には大どんでん返しになっている……という構想になっている。
 これを時系列順で見ると、順路通りに見た時に感じた“美しい構成”が破綻しているように見える。もちろん、時系列順で見ると事件全体の経緯が克明になる……というのがあるけど、もしも最初から時系列順で見せてしまうと“魅力的な物語”には見えない。もしも漫画や小説だったらダメ作品。
 いや、時系列順で見るとお話しが破綻している、という意味ではなく、これだと読者を惹きつける作品にならない。興味や驚きを喚起させるタイミングがバラバラ、事実の提示の仕方もめちゃくちゃになっているように見えてしまう。作り手が提示した順路での展開が、物語として楽しむ場合において最良だということがわかってくる。

 ただ、本編ストーリー完結後に時系列順で物語を読むと、それはそれで楽しい発見が一杯ある。例えば、ゲーム冒頭のエピソードが実は中盤以降だった……とか。それぞれのキャラクターがどう移動してきたのか、とか。本編ストーリーを順序通りに楽しんだ後、時系列順でもう一回楽しめる。2回楽しめる良い作品だ。

ゲームとしての構成


 では次に、ゲームとしての構成を見ていこう。
 ゲームの物語と、アニメ・漫画・映画の物語とは、共通項はあるが作法が違う。ゲームの物語構成は、一つの拠点があり、拠点の周囲にはチャレンジエリアがあり、その間を往復し、エリアに設定されているミッションをある程度以上攻略できたら、次の拠点へ進める……。すべてのゲームがこうというわけではないが、わりとこういう形式のゲームは多い。
 もしもアニメや映画で同じ構成をやったら、同じ場所を何度も行ったり来たりを繰り返す、退屈なものになってしまう。映画はだいたいが2時間構成だが、25分くらいを区切りにして次のステージに展開させないと、見ている人が飽きてしまう。
 ところがゲームであれば、逆にこの構成が許されてしまう。ゲームと漫画・映画と構成方法が違うのはここ。ゲームで映画と同じくらいの速度感で展開させてしまうと、早すぎ、生煮え状態……という感じになってしまう。ゲームの特殊さはここにあって、ゲームは主人公が体験していること、とプレイヤーが体験していることがかなりイコールで結ばれるところがあり、主人公が体験するであろうできごとを端折られると「あれ? 心の準備が…」みたいになる。
(もちろん、展開があまりにも遅い、やっている内容がクドい……となるとダメ。案配が大事だ)

 『十三騎兵防衛圏』は一見するとアドベンチャーゲームというより、物語を体験する作品……のように見える。例えばストーリーモード中、間違えた選択をすると「……なんてことにならないようにしなくちゃ」とちょっと巻き戻る。実はこれ、ゲームオーバーを踏んだのだけど、そこでプレイヤーをネガティブな気分にさせないように、さらっと前のシチュエーションに戻してリプレイさせている。うまくできているなぁ……と思わせるところだ。

 その一つの例。緒方念二編。
 緒方念二編が始まるとすぐに、奇妙な「デジャヴ」感に捕らわれる。このシチュエーション……ループしていないか?
 ここから緒方念二は何度も電車周辺のシチュエーションを繰り返す……という「ループもの」が始まる。プラットフォームにいる気になる人に話しかけて、最終的にこのループから脱出せよ……というアドベンチャーゲームが始まる。
 ストーリーモードにはわかりやすいゲームオーバーがないのだけど、間違った選択肢を選ぶと、その前と同じ展開になってエピソードが終わってしまう。その前と確実に違う展開になるよう、正解を探らねばならない……という謎解きものになっている。
 これははっきりと“繰り返し”のモチーフ。何度もシチュエーションを繰り返し、最終的に新しい拠点へと進むゲームの形式で作られている。

緒方念二編のフローチャート。何度も同じシチュエーションからスタートしている。

 エピソードの最後にリザルトが出てくるが、途中でもフローチャートの確認できる。
 繰り返しの元となる地点があって、そこから分岐しているのがわかる。同じシチュエーションからエピソードがスタートして、徐々に違う展開となり、やがて次のシチュエーションへ行く……という構造になっている。

 東雲諒子編も繰り返しのシチュエーションから始まる。毎回保健室のベッドから始まり、保険医から「最後に何を覚えてる?」と尋ねられる。何度もこの状況を繰り返すから、私ははじめ、東雲諒子もループしているのかと……。
 これはゲーム的作法であると同時に、東雲諒子が長期記憶ができなくなってしまった少女というキャラクター表現、それからこの物語自体、実は何度もループを繰り返している……という示唆にもなっている。「また同じシチュエーションかよ」と思うかも知れないが、キャラクター表現、ストーリー表現と合致させている。“構成自体”が物語の背後にあるものを示唆している。作品の全体像がわかってくると、とんでもなく重層的な作りだったとわかる。

 ただ、どのキャラクターも同じ手法で物語が構築されているわけではなく、キャラクターそれぞれに違うアプローチ方法が採られている。
 例えば関ヶ原瑛は「記憶喪失」状態からお話しがスタートする。自分が何者か、どうしてここにいるのか……しかもすぐ側には死体が。いったい何が起きたのか、それを解き明かすためのミステリーものとなっている。

 奈津乃ちゃんはSF冒険ファンタジーとなっている。機械生命体との出会いに始まり、その彼を狙うMIBを避けながら、現在・過去・未来へとタイムリープしていく。作中、一番忙しくいろんなところに行って冒険するキャラクターだ。あまりにも行動が忙しいので、作中では描かれていないところでもなにかしらやっているようだ。

 東雲諒子編はホラー・ミステリー。病を抱える諒子が、身の回りで起きている事件の真相を探る。しかし東雲諒子自身、精神崩壊一歩手前で、描かれている事件が現在なのか過去なのか、事実なのか虚構なのかわからない。保険医は効果があるかわからない薬を勧めてくるし、その薬を飲まないと眩暈がして倒れてしまう……。サイコスリラー的な雰囲気でお話しが進む。

 鷹宮由貴編もミステリー。由貴は政府公認の諜報機関らしきものの手先となり、学校内で起きている事件の真相を探る。このエピソードでは「助手」を自称するキャラクターが出てきて、よりミステリーらしい作法に則ったお話になっている。

 どのキャラクターも、なにかしらのジャンルものの作法に則って描かれていくのだが、その中でもちょっと番外編的なものが比治山隆俊編。沖野司との掛け合いの結果そうなったのか、このエピソードだけ妙に面白い。コメディテイストというのとちょっと違うが、笑えるお話になっている。
 比治山隆俊もはじめは「実直な日本軍人」として出てきたのに、だんだんネタキャラ扱いになっていく。

 それぞれのキャラクターが、なにかしらの物語作法に則って描かれている。こういうところも、時系列順に見ていくとトーンがバラバラに見えてしまう。やはり物語自体を楽しむためには、それぞれのキャラクターの物語を、作り手が指定した順番に見たほうがいい。

 もう一つ、表現的な作法についても触れておこう。

 こちらは『RPGツクールMV』の紹介画面。伝統的な見下ろし型2D・RPGが描かれている。
 まあ伝統的な画面構成だけど……私がこういう画面を見るたびに引っかかるのは、「いったいどこを見て欲しいと思ってこの画面を作っているのか?」だ。物語を理解しようとすると台詞が書かれたウインドウを見ることになる。しかしこの画面の中で、もっと高精細に描かれた部分、というのは画面右側を占めているキャラクター絵だ。プレイヤーはキャラクターの姿を見たいと思うはず。お話しを進めようとすると、台詞ウインドウとキャラクター絵の間を、忙しく目線が往復する……ということになる。
 するとどうなるか、というとキャラクターの表情変化などを見逃しやすい……ということがよく起きる。
 この画面には他にも問題があって、例えば台詞ウインドウの左横にもキャラクターの顔が出てきている。作り手はいったいどこを見て欲しいと思ってこの画面を作っているの?
 さらに気になるのは、メイン画面が無駄になっていること。高精細のキャラ画が出てきているけど、大半は2Dの省略された画面……この画面そのものが有効に使われていない。
 ……まあ伝統的な画面構成だから、今時この構成をおかしいという人も少ないけど。

 『十三騎兵防衛圏』はアニメや映画のように「カメラワーク」を忙しく変えて……という手法を使っていない。2Dのサイドビューアクションゲームの作法で描かれている。こうしたサイドビュー形式で物語そのものを描こう……というのは前例がないわけではないが、やや珍しい(『逆転検事』とか)。
 キャラクターの台詞が、キャラクターの真上に出てきている。これが良い。台詞がキャラクターのすぐ側にあるから、プレイヤーの視線が行ったり来たりせずに済む。キャラクターの表情の変化、仕草の変化を見逃すことがない。

 『RPGツクール』の画面を見ると、ポップアップされたキャラクター絵はあるが、そのかわりに2Dで表現された画全体が無駄になっている(あれは「ああいう表示もできますよ」というアピールだが、実際にああいう表示をやっているゲームはある)。2Dキャラクターが何かしらリアクションを取って感情表現する……ということがほとんどない(2D見下ろし型の表現は、スーパーファミコンくらいの頃はまだキャラクターが動いて感情表現していたのだけど、そこから進化しなかった……という印象がある)。はっきりいえば、無駄な画面、物語表現に貢献しない画面になってしまっている。
 一方『十三騎兵防衛圏』の良いところは、画面全体が物語を表現するために有効に働いている。場所、光の演出、キャラクターの動き、表情……すべてが物語を表現するためのギミックになっている。

 では『十三騎兵防衛圏』はアニメのようにキャラクターやカメラワークで物語を表現しているのか……というとそういうわけではない。実際には、パターン化されたキャラ画を入れ替えているだけ、に過ぎない。立ち絵紙芝居と変わらない。
 それでも画面全体で物語が表現されているから、「所詮立ち絵紙芝居だ」……なんて思わない。そこからしっかりとドラマを読み取ることができる。実際には「所詮立ち絵紙芝居表現」なのだけど、キャラクターの表現、声の演技、ドラマの組み合わせで、見事なくらい劇的表現を実現している。

ちょっと上手いな……と思うところはこういう場面。秘密の話をするとき、コソコソとするとき、その場面の中でも“影”になるところに入って対話する。舞台劇を思わせる影の使い方だ。カメラワークを使わない代わりに、こういうところで見せ方を工夫している。

 台詞が1センテンスごとに区切られている……というのも良い。
 というのも、こういうボイス付きのゲームは、声優の読み上げより先に、文字で台詞が全部出てきてしまう。するとどうしても、そっちを先に見てしまう。声優のボイスが終わるまで待つ……ということになってしまう。それがもどかしいから、だんだんボイスのほうをスキップしてしまう。
 正直なところ、どうして表示される文字のセンテンスを短くしないのだろうか。でなければ、読み上げの速度と文字の出る速度を合わせる……という工夫をしないのか。
(PCエンジンの『天外魔境2』ではボイスと台詞の速度が一致するように設定されていた。PCエンジン時代までは、そういう工夫が結構あった。あの時代にやっていたのに、どうして後の作品ではやらなくなったのだろうか……それはボイスの量が多くなって大変になったから、以外の答えはないんだが)

 『RPGツクール』的な画面構成にしてしまうと、ゲーム上で起きているできごとと、物語がどうしても乖離しているように感じられてしまう。『十三騎兵防衛圏』はどうかというと、絵の表現、物語、声優演技がすべてうまくハマっているように感じられる。画面構成はいってしまえばただの紙芝居に過ぎないのだが、最終的に画面から受ける印象以上のドラマを感じさせてくれる。それはそれぞれの手法が、一つの表現のためにうまくハマっているからだ。

難点


 ここまでは「良かったところ」だが、ここからは「難点」に感じたところ。ツッコミどころを挙げていく。

難点1 手書きゆえの葛藤

 ダメ……というわけではないが、『十三騎兵防衛圏』はサイドビューアクションゲームの作法をアドベンチャーゲームに転用して作られている。そこでどうしても引っかかるのが、キャラクターが必ず右か左かを向いている……ということ。こういった対話シーンではさほど気にならないが、キャラクターを動かしていると、正面・背後を向かないことに少し違和感がある。
 なぜキャラクターの正面歩き・背後歩きの絵が作られていないのか。そもそもサイドビューアクションゲームの作法で作られていて、その文法の中に「正面歩き」などないから……という理由もある(『ファイナルファイト』のハガーは正面歩きしない)が、いざ絵として書き起こそうとすると大変だから……たぶん後者の理由のほうが大きいのではないかと。
 『十三騎兵防衛圏』にはプレイヤーキャラクターがなんと13人。13人分の正面歩きのアニメーションと、後ろ姿歩きアニメーションを作ろうとすると……想像するだけで大変だ。『十三騎兵』はちょっと独特な、元になっているイラストレーターの個性を強く出るような絵となっている。アニメーションのように大人数で作画できるように絵が簡素化されてない。そうすると描ける人が少数となる。もしも2~3人しか作画スタッフがいない中でそれだけ描け……というだけで大変だ。

 手書きゆえに、枚数をかけられない……なのに、こういう場面はやたらとしっかりコマ数多めに描かれる。
 いや、わかるよ。大切だよね、こういうシーン。重要シーンに枚数を掛けるのは当然だよね。私だって「このシーンは重要! コマ数多めに書こう!」って言うよ。

 『十三騎兵防衛圏』は「手書き」に並々ならぬこだわりを持って作られている。そこはいいのだが、問題になるのは逆を向いたとき。学生服のキャラクターたちは、ボタン位置が逆になってしまう。

 冬坂五百里は左右の頭に髪飾りを付けている。どうしてこうデザインされているのか、それはどっちを向いても大丈夫なようにするため。奈津乃ちゃんも左右両方の頭に髪留めが付けられている。左右反転しても成立するように……という前提でキャラデザされている。

 鞄を持っている鷹宮由貴。このキャラクターはどうしているのかというと、振り向くときに必ず「持ち替える」動きを1コマ入れている。そこで不自然さをうまくごまかしている。

 その手書きによる絵も少し引っかかりがある。引っかかったポイントはパース。ちょっと見ても「あれ? 空間がおかしいぞ」と気付く。背景に描かれている窓の線を延長していくと……消失点はどこだろうか?

消失点はどこ?

 こちらの場面も、階段を見ると消失点がどこにあるのかわからない。この場面は、頻繁に画面が上方へ移動するから、あまり空間を意識させたくなかった……という事情はなんとなく察するが……それにしてもキャラクターに対しドアが小さい。

 プラットフォームの場面。この場面は左右にずーっと移動するという都合上、特定の消失点はあえて作られてない。ただしアイレベルはキャラクターと同じ位置に合わせられて描かれている。全体図を見ると、ちょっと不思議な図になっている。ゲームというジャンル特有の描き方だ。

 あと、足元の影はもう一段濃く……だなぁ。この影だと、場面によっては宙に浮いて見えちゃう。

 デッサン上の引っかかりもあって、例えばこの場面の冬坂五百里。姿勢が不自然。体は寝そべっているポーズなのに、首から上がいきなり起き上がっていて、しかもこちらを向いている。こんなポーズはできない。
 たぶん真横から見た少女の身体を描きたかったんだろう。その上に振り返っている顔も描きたかったのだろう。描きたいものを素直に描いた結果、不自然なポーズになった……という感じだろう。

 風景の描き方やキャラクターの描き方を見ても、“正しい”かどうかより、“印象”のほうを大事にする絵描きだ……というのがわかってくる。まず“描きたいもの”を優位に持ってくる。整合性は後から考えるタイプだろう。

 それで、絵の雰囲気は……というとすごくいい。雰囲気を重視しているから、すっと気持ちが入っていく。色彩の使い方も、ノーマルなカラーで描かれたシーンがほとんどない。どのシーンも、イラストを見ているかのような美しい色使いで描かれている。
 確かに、細かく見るとデッサン的なミスや、空間認識の弱さはあるのだが、そこがそんなに気になるか……というとそうでもない。結局のところ、絵は“正しいか”どうかより、“魅力的か”どうかのほうが大事。ブルマの角度が正しいかどうか、より魅力的かどうかのほうが大事。貧乳さんがいきなり巨乳さんになったっていいよ。魅力的であれば。
 ただもう少しデッサンやパースにも気を使って描いて欲しかったなぁ……。

難点2 キャラ多すぎと、ドラマの力点はどこ?

ゲーム序盤。ここから徐々にキャラクターが増えていく。

 それとやっぱり気になったのが、キャラクター多すぎ問題。私は全員のキャラクターに偏りを出さず、少しずつ進めていったのだけど、そうすると「前回どんな話だっけ?」が起きてしまう。あれ? このキャラクターはどうしてここにいるんだっけ? ……ということが頻繁に起きる。
 後で時系列に並んだストーリーを見返してみたのだけど、やっぱりエピソードが飛んで見えるところが結構ある。なんでこのキャラクターはここにいるんだろう? この間になにがあったんだろう……作品の中で描かれていないところが結構あることに気付く。
 いろいろあったんだろう……とは察するけども……。エピソードが飛んで見えるところはどうしても引っかかる。もうちょっとそこをフォローするストーリー作りをやってほしかった……。

 もう一つは“クライマックス”がどこにあるのかわからないこと。13人のキャラクターを少しずつ進行していくと、エピソードの印象がまとまっていない印象があって、ドラマのクライマックスがどこにあるのか、がいまいちピンと来ない。物語の進捗はパーセンテージで示されているのだけど、後半に入っていっても「いよいよ真相が明かされるぞ……」というような緊張の高まりがない。
 途中のエピソードはすごくよくできている。毎回「え!?」と思わせるような構成になっている。よくできているな……と感心するが、しかし物語後半に向けたドラマが盛り上がるか……というといまいち盛り上がるように作られていないところが惜しい。
 キャラクターによってはうまくドラマが展開して、最終戦争のシーンへうまく繋がっている感じはあったけれども、キャラクターによっては「あれ? 終わり?」と拍子抜けしてしまう場合がある。ドラマが完結した感じもないまま、無理矢理終わらせている……という印象のキャラクターもいる。
 後で時系列にまとまったストーリーを全部見ても、やはりクライマックスへ向かう導線に緊張感がない。「あれ? 急に終わった」という印象のままのキャラクターがいる。
 だいたいのSFは、世界の真相はなにか……が解き明かされ、そこに一番の驚きがあるもの。『十三騎兵防衛圏』ももちろん最終的にはそういう展開にはなっていくのだけど、そういう「世界の謎」は物語の途中でだいたい明かされてしまっているので、最終局面での驚きが薄くなっている。そのうえに、キャラクターそれぞれの感情が一つの局面に向かって高まっていく……という感じではないから、微妙に薄らぼんやりしたクライマックスになってしまっている。
 そこに至るまでの導線は非常に良かったのに、最終局面でなんとなく薄味になってしまったのが惜しい。

難点3 アクションパートとアドベチャーパートはどう繋がってるの?

 物語前半戦ではアドベンチャーパートがあって、次にアクションパートがある……という作りだった。この作りだと、2つのモードにつながりがあっていい。
 しかし強制的にアクションパートに繋がったのは最初だけで、後はいつアクションパートをやるかはプレイヤーに委ねられていた。
 これが引っかかりどころで、こういう構成にすると、アドベンチャーパートとアクションパートがどういうつながりがあるのか、いまいちわかりづらくなる。
 アクションパートでも実は物語展開があって、アドベンチャーパートでやってきたことを引き受ける……ような場面も展開ある。でもアクションパートだけやると、全体のうちのいったいどのあたりに入ってくる物語なのかいまいちわかりづらくなってしまう。クリアした後、時系列順になったものを見てやっとわかる……という感じだった。
 もう少し二つのパートの関連性を強調して作って欲しかった。

難点4 恋愛設定が雑じゃない?

 そのストーリーだけど、実は一つだけ、ツッコミたいことがある。それは“恋愛要素”の使い方。『十三騎兵防衛圏』にはたくさんのキャラクターがいて、みんなそれぞれのキャラクターとカップリングを作る……ようになっている。
 そこはいいのだが……問題なのは、“恋愛感情の始まり”が描かれていないこと。恋愛感情を、キャラクターの動機付けくらいにしか使われていない。例えば冬坂五百里は関ヶ原瑛に一目惚れして、以降その後を追いかけるようになる。ここに冬坂五百里の感情的な経緯が描かれていない。あのキャラクターに恋をしている、ということにすれば、物語の動機付けが簡単になる……くらいの考え方でしかない。
 そうはいっても、実は私も、同じような手法を使ったことがある。とあるキャラクターがとあるキャラクターに恋愛感情を抱いている……ということにしてしまえば、展開に多少無理があっても、物語に都合が付きやすくなる。恋愛設定は物語を作動させるための根拠や動機付けにさせやすい。簡単に動機付けができてしまう分、キャラクターの感情的な経緯は、それなりに慎重に書いたほうがいい(と、これは自分に言っているところもあるが)。

 唯一感情の経緯がきちんと書かれたのが如月兎美と緒方念二のカップリング。最初は反目し合う仲だったが、苦難を共にしていくうちに、感情の変化が訪れ、それが次第に恋愛感情に変わっていく……という過程が描かれた。

 やっぱり面白いのは比治山隆俊と沖野司のカップリング。お、男だったのか……しかし、次第に「男でもいい!」となっていく比治山の複雑な感情が掘り下げられていく。
 比治山隆俊は沖野司によって様々に性癖をゆがめられていく。こういうところでもこの2人はネタ扱いになっている。

 と、引っかかりを書いてきたが、かといって「気になって仕方ない」というほどではない。絵の問題も、やはり全体の雰囲気がいいから見ていて不満に感じるほどではない。それにキャラクター達が可愛いので、まあそれはいいや……という気分になる。物語の引っかかりはあるはあるけど、それ以上に「面白い」が優位に立つので、決定的なマイナスポイント……というほどではない。恋愛の扱いも、声優の演技が素晴らしいので、そこで納得させられる。
 作品の魅力のほうがマイナスポイントを覆すくらいあるので、ここで取り上げたのは小さな小骨、といったところ。ゲームプレイ自体に支障が出ることもないので、気にしなければ問題のうちに入らない。
 でも、こういうところに気を使って欲しかったな……という心残りはある。

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