見出し画像

10月31日 田舎者は気軽に出版社に持ち込みなんかできない

 マガジンのネーム原作賞に応募したけれども、結果発表は来年の3月……長いなぁ。あと5ヶ月……半年ちかくあるじゃーねーか。もうちっと早くならないものだろうか。ダメだったら、すぐに次のコンクールに出したいのだけど。
 検索して一番に出てきたところに応募したけれども、まさか結果が半年先だと思わなんだ。(応募してから、「えらい先だった」ということに気付いた)

 都会っ子は漫画家になりたいと思ったら、出版社に原稿を持ち込んで、ダメだったら次、さらに次の出版社へ……と巡り歩くことができるけれど、地方者はこれができない。持ち込みをやろうと思ったら、新幹線や夜行バスに乗って現地で過ごすためのホテルを確保して……ってなる。出費が滅茶苦茶に高い。それで成果がなんにもなかったら、10万円単位で損になる。そんなの、気軽にできない。というか、私の貯金、10万円もない。
 地方者はコンクールに出して、ひたすら結果を待つだけ。待っている間は何もできない。こういうところでも、地方出身者は不利なんだよなぁ……。こちらからできることがなーんにもない。

 漫画は見る人によって価値観がまるっきり変わるもので、ある出版社でまったく見向きもされないどころかボロカスにけなされた原稿が、別の出版社で連載が決定して、それが大ヒット……漫画の業界、そういう話だらけ。逆にストレートに出版社に採用されてストレートに大ヒットになった……という作品の方が少ないんじゃないか、というくらい。
 どうしてそうなるかというと、その時の編集者の目利き。大ヒット漫画を逃しちゃった編集者は、それだけ目利きとしてダメだった……という話。
 「編集者ガチャ」という言葉があって、漫画家にとっていい編集者に巡り会えるかがどうかが大きい。編集者は作り手である作家よりも上の立場になれる。どんな無能編集者であっても、連載を続けるかどうか、生殺与奪の権を握っている。その立場を勘違いして、支配的に振る舞う編集者は割と多いらしい。漫画家がどんなに情熱を持って作品に臨もうとも、それを編集者がダメにする、ということはよくある。
(編集者の教育ってどうなってるんだろう?)
 まあ実力も運のうち。良い作品は自ずといい編集者を引き当てるものだ。

 ところで、先日いろんな漫画賞を検索してみて、その時に賞を獲得した他の人の作品を見て気付いたことがあった。まず第一に、みんな設定が変。舞台が魔界だったり、地獄、主人公が暗殺者だったりとか……ヘンテコ設定ばかりだった。見た範囲では「普通の学生」「普通の会社員」といった設定が一つとしてなかった。
 あ~そうかそうか。わかった。賞を取れるかどうかは、いかにヘンテコ設定であっても、主人公の心情豊かに表現できているかどうか……だからか。応募する方も、それがわかっているから、まるで一発ネタみたいな作品を応募するわけだ。賞を取るためには、賞を取るための作品を書かなくちゃいけないのか。
 そう考えると、『空族の娘ラーニャ』は空族の追跡から逃げるだけのお話で50ページも使っちゃった。主人公の心理的な変遷なんぞ、なにも描いてない。1つの事件のみを扱っている。お話が単純すぎだった。これは審査対象外かもしんない。空飛ぶ帆船の話……なんて別にヘンテコ設定でもないしね。
 うーん、『ラーニャ』はたぶんダメっぽいから、別の作品を用意しておいたほうがいいかも知れない。

空族の娘ラーニャ コンテスト向け10

↑漫画原稿(ネーム)。ストーリーが単調だったかも……。
 それにしても、結果発表まであと5ヶ月か。長いなぁ……。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。