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8月3日 明治時代の成功者と、現代の成功者の違い 石炭王・麻生太吉の功績

 今日は《麻生太吉》という人のお話。

 麻生太吉は安政4(1857)年、筑前国嘉麻郡栢森村(※)に生まれる。その4年前である嘉永6(1853)年にはペリーが黒船に来航した頃だったので、日本は開国するしないで大騒ぎになっている最中だった。江戸時代の最末期に生まれ、近代日本が産声を上げる頃に青春期を過ごした人だった。

※現在の「福岡県飯塚市柏の森」。

 九州のとある村の庄屋の子として生まれた麻生太吉は1872(明治4)年頃、最初の炭鉱開発を始める。当時は炭鉱利用はまだ始まったばかりで活用法もさほど広がっておらず、それ以前に出るかどうかわからない炭鉱採掘は「山師の仕事」と思われていた。それで麻生太吉も当時は、村から「大庄屋の息子が山師になりよった!」と囁かれたものだった。
 ところが麻生太吉は間もなく石炭採掘で成功を収めて、開発した後は三菱に譲渡。この売却金を元手に別の炭鉱を開発し、それもまた三井や住友などの財閥に売却した。

 麻生太吉が炭鉱開発に成功を収めた頃は石炭ビジネスが隆盛の時期で、あちこちで「石炭王」や「石炭成金」が生まれていたのに、どうして麻生太吉は発見した炭鉱を手放してしまったのか。それは麻生太吉が所詮は片田舎の庄屋であったから、炭鉱を掘り当てても管理ができないし、ビジネスとして充分に活かせない。いっそお金が出せるところに売って、そのお金を元手に別のビジネスを始めてしまった方がお得だったからだ。

 そうやって得たお金で麻生太吉は何を始めたのか……というと発電所を作り、鉄道を作り、銀行を作り、病院を作り、学校を作った。本州から九州にかかる橋の建造計画も立てていたが、これは国の計画とぶつかるために断念。しかし流通に問題があると見るや、道路ごと作ってしまう。これが明治の成功者の豪快さだった。

 大正8(1919)年、麻生太吉は石炭事業から手を引き、セメント事業への転換を図る。石炭の黒から、セメントの白へ――「黒白革命」をスローガンに、新事業に取りかかったのだった。当時はセメント事業はさほど需要はなく、果たして石炭を手放してまでやるようなものかと、周りは首をかしげていた。
 ところがこれも大成功だった。間もなく石油が登場し、石炭は一気に衰退。当時の石炭王であった貝島や伊藤が没落していく中、麻生太吉はただ1人勝ち残り、現在も残るセメントグループ会社を設立する。

 どうして麻生太吉は稼いだ金で「贅沢暮らし」をせずに、地域の貢献のために惜しみなくお金を使ってしまったのか。それはもともと庄屋の息子という生まれだったから、精神の拠り所がずっと「自分のことはさておき、地域全体が第一」だったからだ。生前は「わしゃ高利貸しをするんじゃなく、地方産業発展のために融資するんじゃ」なんて訓令をだしていたとか。
 そういうわけで麻生太吉の手により福岡は経済発展し、発電所や鉄道や病院といった産業遺産は今でも現役で人々の生活を助けている。福岡の人々は麻生太吉の功績を知らず、その恩恵をいまだに受けている。
 麻生太吉の子孫も現在も大舞台で活躍中だ。第92代内閣総理大臣こと麻生太郎はこの人の曾孫である。

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 さて、こんなお話をしたのは、昔の富豪がいつでも「人のため、地域のため」を念頭に置いて仕事をしていた……という話をしたかったためだ。麻生太吉は渋沢栄一の同世代であるのだが、この時代、事業に大成功を収めた富豪達は、稼いだ金で贅沢暮らし……ではなく地域に大きく貢献した。新しい会社を作り、鉄道を作り、病院を作り、道路も作った。そういう富豪が日本各地にいて、地域を発展させてきた。現在も発展している地方都市というのはだいたいがこういう人たちが礎を築いてきたためである。

 しかしこうした財閥は、戦後、GHQによって解体され、財産は没収された。たぶん力を持ちすぎた民間を潰し、コントロールしやすい国会に権限を集約させるためだろう。これによって公共事業のイニシアチブは国が独占するようになってしまった。
 これによってどんな弊害が起きたかというと、地方の道路がいつまで経っても整備されない。昔は田舎でも一発当てた富豪は、「これじゃ流通が不便だ」とどんどん勝手に道路開発していった。麻生太吉の例にしても、彼はもともとは福岡のとある村の庄屋の子だった。
 現代では人を呼び寄せる公共事業などはまず国に働きかけなければどうにもならない。まず国会議員になり、国の予算を勝ち取らねばならないが、地方の票はか細く、充分な権限が与えられることはなく、結果として地方にお金が来ない……という悪循環が生まれている。

 儲けたお金は地域のため、人のため。これが明治時代の富豪の基本的な在り方だった。事業を興して人をたくさん雇えば、そのぶん地域が潤う。どんな場所も発展する。人々が豊かになる。明治の富豪はそのマインドで事業を興していた。
(実際には、愛人を囲うためだけにお屋敷を作っちゃうような富豪もいたようだけど)
 『ロード・オブ・ザ・リング』を制作したピーター・ジャクソンは古里であるニュージーランドではほとんど英雄的な扱いを受けている。映画産業などなかったに等しいニュージーランドに映画産業そのものを作っただけではなく、国を代表する映画を作った……これだけでも充分な功績だが、映画会社WETAを建造し、そこに1000人からなる雇用を生み出した。WETAは『ロード・オブ・ザ・リング』制作後も様々なハリウッド映画のセット制作や衣装制作を引き受け、たくさんの人が今の働いている。
 映画評論家はピーター・ジャクソンを「ニュージーランドで1000人もの雇用を生み出した」という評価をする人はまずいない(映画評論家は映画を論じるのが仕事であって、雇用問題は専門外ではあるが……)。ピーター・ジャクソンは自分が作りたい映画のために、地元に映画産業を作った。それは自分のためではあるが、結果的に映画を目指すニュージーランド出身者にはっきりとした道筋を作った。それくらいの評価はしていいだろう。ある意味でピーター・ジャクソンは明治の富豪のようなことを実現させてしまっていたのである。
(そういう意味で言えば、ジョージ・ルーカスも一杯新しい仕事を作った人だった)

 こういうタイプの成功者が今の日本にはいない。大儲けしても、それで新しい事業を興して……という人はいない。道路も作らない(現代では個人が道路を作っちゃダメだけど)。基本的には「自分のために使う」という人がほとんどだ。
 例えばZOZOTOWNで大成功を収めた現代の富豪・前澤友作は、そのお金で宇宙へ行った。なんのために? それが夢だったからだ……という。得たお金は自己実現の達成のために……。これが現代の成功者の発想だ。
 前澤友作は時々現金を人々に配っている。なんのために? 自分に注目を集めさせるためだ。それよりも新しい事業を興して、そこで人をずっと雇えるようにしたほうがいい。1ヶ月で消えるようなお金だけを渡して、あとは知らない……というやり方ではぜんぜんその人のためにならない。あくまでも自分に注目させるためだけのパフォーマンスでしかない。
 これが現代の成功者だ。YouTuberとして大成功したという人はたくさんいる。動画の中でものすごいお宝を買った……という自慢を毎日続けている。YouTuber達が「誰かのために」お金を使うことはまずない。自分を注目させるためだけにお金を使い続ける。何も生まないことにお金を使い続ける。所詮は「ただの消費者」でしかない。

 もっと多くの人の身になるためにお金を使うべきじゃないのか? しかし、こういう話をすると、前澤友作もYouTuber達も鼻で笑うだろう。なんのために? と。
 新しい事業を興す? 地域振興のために? それで自分に何の得があるの? ……きっとそう言うだろう。それにたくさんの人を雇うなんてやり方は、昭和的だ。今だったらより少ない労力、より少ない人材でいかに利益を高めるか……そのことだけが大事だ、とホリエモン辺りはきっと言うに違いない。「効率が悪い」ときっと言うだろう。
 自己実現とは関係ないところでお金を使う……なんてことは現代の成功者にとって「無駄なこと」のようにしか映らないのだ。人と地域なんて関係ない、後に続く人のことなんかどうでもいい……現代人の意識はどこまでも「個人主義」の意識でしかない。
 現代の成功者は明治の成功者のように、もっと地域の糧になる事業にお金を使ったらどうだろうか? 昔の富豪の功績は100年後の今でも恩恵を受けているが、現代の富豪の功績は死後1秒後には何も残らない……それでいいのか?


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