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3月5日 下ネタ嫌いな人ほど下ネタセンサーが強い法則。

 下ネタが嫌いな人ほど、下ネタセンサーって強いよね~……という話。

 下ネタがものすごく嫌いな人って、かなり面倒くさい。普通の日常会話でも「それって下ネタだろ。下ネタだろ」って……いや、そんなつもりもないし、そんな発想もないわ。
 私だってそこそこ下ネタ好きで、しょーもない下ネタ言ったりするんだけど、下ネタ嫌いな人の下ネタセンサーはそれよりはるかに異常発達していて、下ネタを見付け出す力が凄い。
 それで何が面倒って、本人に下ネタセンサーが強い自覚がまったくないこと。本人に自覚が全くなく、回りの人間が「自分に対してセクハラしようとして下ネタを使っているに違いない」と考え、憤り、憤りを回りに撒き散らす。こういう人とは面倒くさいので、あまり話をしたくない。

 『アメリカン・ビューティー』という1999年の映画がございまして、この映画、主人公のオジサンの、娘の友達のお父さん……ちょっとややこしい言い回しをしたが、隣家に住んでいるオジサンのこと。
 このオジサン、ことあるごとに「お前ゲイか?」「お前ゲイじゃないだろうな」と口癖のように追求するのだが、映画の最後の最後で、実はこのオジサンがゲイでした……というのがオチ(ネタバレしちゃってるけども。重要な部分じゃないからいいよね)。自分がゲイであることを悟られたくなかったからマッチョの振りをして、回りに「お前ゲイか? ゲイじゃないだろうな」と聴いて回っていたのも、自分がゲイであると指摘されないようにするための防御策だった。
 『アメリカン・ビューティー』にはアメリカ家庭が抱える様々な“建前と本音”が描かれるので、20年前の映画だけどお薦めです。表面的にはコメディっぽく描かれているので、見やすい作品ですし。

 『アメリカン・ビューティー』のゲイのオジサンを見て、そうだよなぁと思った。隠したいし指摘されたくないからこそ、それを拒絶する素振りを見せる。
 下ネタが嫌いな人も、本音はそこじゃないだろう……と。実はその逆、本当は性的な言葉や行為を取り込みたいと思っているからじゃないか。本当は下ネタを言いたいんじゃないかい? 本心……その人間が内面的に抱えている欲求の正体は私にはわからないけど(きっと恐ろしく複雑だろうし、予想を越えてドロドロしていそうだし。普段から下ネタ言っている人よりも、こういう人のほうが怖い)。
 『アメリカン・ビューティー』に出てきたオジサンは、多分自分がゲイで、男性に対する性的欲求を抱えていることに自覚はしていたんだと思う。しかし、下ネタ嫌いな人はおそらく自覚はない。自覚はないのに、欲求は強く、その欲求を退けようという“拒絶”の意識もまた大きくなる。

 最近の、なんでもクレームを付けたがる人の心理も、案外似たようなところにあるんだろう。
 クレームを付けたがる人も様々なで、単に「自分が正義の立場にいたいから」「自分がいいもん」の側にいたいから、という欲求でやっている人もいるだろう(最近の過剰な嫌煙も、こっちの側)。
 こういう人は軸がないんで、法律が変わったらころっと掌を返す。「その法律そのものがおかしくないか」という考えには至らない。

 ちょっと前に「JK」という言葉に対して、「性風俗を連想させる」とクレームが付いたが、それって性風俗関連の情報をがっつり見ていないとそういう発想に至らないもの。クレームを付ける側は「正義」「正論」の側にいるつもりかも知れないけど、むしろクレーマーのほうが情報や思考に偏りがある。むしろその手の情報が好きで、その辺の情報を目一杯あさってたんじゃないの? という疑いすらある。
 でもクレーマーにはその自覚がなく、外から指摘されるのを恐れて、「問題だ!」と声を上げる。何かを取り繕っているようにすら見えてしまう。

 だから「規制だ規制だ、と主張する人ほど、実は性欲が強い・どスケベ」説。ただし自覚がない。だから面倒。

 そうそう、「第3者効果」という言葉もございましてね。
 ギーセン大学の心理学者クラウス・モーザーは「自分は大丈夫だが、他人は信じ込まされるだろう……と誰もが考える」と語っている。
 メディアの影響について「自分は賢いから騙されたり影響されたりはしない」が、「世の中のバカな人が騙されたり影響されたりする」から規制すべきだ、という考え方。こういう時、当て馬にされやすいのは「子供」。「子供が影響されるから」規制しましょう。あるいは社会的に地位が低いポジションの人達……ようするにオタクだ。「オタクはバカですぐに影響されるし、犯罪に対する意識も低いし真似する可能性が高いから、アニメなどは規制すべきだ」――と私なんかも「オタクだからバカに違いない」と思われて、こういうふうに言われたりしましたよ。これが「第3者効果」。
 「どーせ○○はこう思っているに違いない」……というのは他者ではなく自分。単なる思い込みに過ぎない。普通の人ほど、「自分の考え」と「他人の考え」を混同し、他人を侮る。子供だって、子供なりの知性はきちんとある。
 でも、「自分以外の誰かが振り回されるかも知れない」という不安を抱いたのは、その本人自身。この自覚はどこかしらで気付いてほしいものだ。

 人はどうにも、「自分はそこそこ頭がいい」と自己評価高めに思い込んで日々を過ごすもの。何も勉強もしていなければ、成果も出してないような人が、一番偉そうにしているんです。

 この頃は何でも規制規制で、常に「規制される側」に問題がある……みたいな言われ方をしているけど、クレームを付ける側の内面には何も問題はないのか? もっとも病的なものは、むしろクレームを付ける側の精神にこそあるんじゃないか。
 そういうものに目を向けられるようになれば、世の中も案外よくなるかな……という気もしている。


追記
 これ書いてからしばらくして、なんかTwitterで「パンツァーと言われたら下着を想像するのは普通だと思います」というツイートが物議を醸して大騒動……というか、笑いものにされたという話があったけども。
 何が問題かというと、「問題だ」という側の教養・知性のなさ。これが問題の①で、問題の②がそういった教養のない人が私たちよりはるかにはるかに社会的地位、ステータスを持ってしまっていること。
 ここから何がわかるかというと、我が国の文化教育レベルの低さ。たかが漫画やアニメ……といっても読み取ろうと思ったらそれなりの教養と知性は必要。漫画やアニメを見る最低限の教養すらない人が、そこそこの地位を持って発言したり、場合によっては政治に影響を与える立場にいたりする。
(「パンツァー」の言葉意味くらいしっておけって話。「まん」が付く言葉が女性器を連想するから排除しよう……と発想のレベル一緒)
 つまり、「学歴」はあるが「教養」がない
 キズナアイを「性的」と断じた弁護士がいたけれども、あの弁護士の別の発言を見ていると、だいぶ怪しい人……というのがわかってくる。アニメを「女性差別」あるいは「性犯罪を誘発する」と断じるとある人のブログなんか見たことあるけど、やっぱり同じで、この種の人達って、だいたい何かがおかしい人達。おかしいというか、知性がひとかけらも感じない。でも、「おかしい」って思われてないんだ。なぜなら「学歴」だけはあるから。
 で、こういった人達が、思い込みと偏見で「お前達の職業が治安悪化に繋がっている」と弾圧めいた発言をしてくる。これ、なんなのかというと「職業差別」なんだよ。もういい加減、「職業差別だ」と言わないと駄目だよ。言っているほうに、自覚……自分が何を言っているかわかってないし、さらにそこで働いている人がいる、という現実も見えていないわけだから。「俺達の人権はどこに?」だよ。

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