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映画感想 メアリと魔女の花

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 『風立ちぬ』を最後にジブリは解散。元ジブリの精鋭たちが宮崎駿という親元を離れ、スタジオポノックを設立して挑んだ作品。
 監督は『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』の米林・マロ・宏昌。

 『メアリと魔女の花』で題材にされたのは「魔女」。「魔女」といえば『魔女の宅急便』だ。スタジオポノックにとって、“偉大なる父”である宮崎駿監督がかつて描いた作品だ。キャッチコピーは「魔女、ふたたび。」なので、当然ながら意識されている。

 始まりは田舎の祖母の家に引っ越ししてきたばかりの少女、メアリ。田舎への引っ越しといえば米林監督では『思い出のマーニー』。宮崎駿作品でいえば『千と千尋の神隠し』を連想させるが……。一つの引っかかりとして、引っ越ししてきた理由、メアリの物語がどうやって始まったか説明されていない。
 『千と千尋の神隠し』でも同様に説明されていないが、こちらはあまり引っ掛かりを感じない。多分、『千と千尋の神隠し』では親の勝手な都合、親に振り回される子供、という構図がすぐに見えてくるから……だけどメアリはどういう経緯なのか、メアリ自身はどう感じているのか、そこが見えてこない。ここに引っ掛かってしまう。

 宮崎駿に挑んだ作品……と始めに表現したが、作品から感じられたのは師への深い尊敬と愛。タイトルのフォントも、緑豊かな自然の風景の描き方、積乱雲の向こう側にある異世界はまんま『天空の城のラピュタ』のコピーだ。
 ジブリという出自を隠すわけでもなく、師に反抗を示すわけでもなく、ジブリ出身をむしろ誇らしげに強調する。作品の空気感を見ても、8割が元ジブリ卒業生ということもあり、どこからどう見てもジブリ。ジブリを真っ直ぐ継承した作品だ。
 もしかしたら商業的な理由で「ジブリだと思って見てね」という誘導があるからかも知れない。旗揚げしたばかりのスタジオで、後ろ盾がない。だからより多くの人にアピールする狙いがあって、むしろどこまでもジブリ的に描き、人々がジブリだと思い込んで見るように描いたのかもしれない。

 物語は、偶然にも「夜間飛行」と呼ばれる花を見つけたメアリが、積乱雲を乗り越えて魔法の学校に行き着く。メアリは学園長の歓迎を受けるが、しかし学園長には裏の顔があり……。
 ここまでが「冒険の召命」。この導入に前半50分を費やし、一度現実世界に戻るが、ピーターという美少年を救うという命題を持ち、再び魔法学校に挑む。
 「悪との闘い」「命題の再定義」を経て、クライマックスへと展開していく。
 冒険物語として必要な3プロセスをきちんと踏まえた、堅実な物語作りだ。アニメーションの作りも当然ながら良い。駆け出す直前に姿勢が右に傾く動きや、体を傾けて曲がろうとする動きや、ジブリ出身者らしい身体感覚を通した描写はやはりうまい。

 ただ物語には引っかかる部分も多い。
 冒頭のメアリの引っ越しの理由や、両親が不在の理由が明らかにされない。どうしてここを描写しないんだろう? と不思議に感じる部分が多い。ピーターの関係性にしても、メアリの性格もあるのかもしれないが、メアリにそこまでピーターを助けねば、という意味や関係性の深みもない。理由があるとしたら、ピーターがイケメンだから……それだけでしかない。
 学園のシーンには様々な生徒たちがいるはずだが、この生徒たちの影が薄い。学園内であれだけ大騒ぎになっていたら、顔くらい出しそうなものだが、描写がまったくない。前半、あれだけ学園内の構造を丁寧に描いていったのに、後半、一切の設定が捨てて忘れ去られる。後半はメアリと一部の重要キャラだけになる。ここがシーンが薄っぺらく見えてしまう原因だ。
 物語のはじまりである夜間飛行の発見にしても、やけにあっさりとしすぎている。あれならメアリじゃなくても、地元住民の誰かが先に見つけていそうなもの。「なぜメアリが発見できたのか?」ここをきちんと理屈付けるべきだった。

 画作りについても弱さを感じる。メアリが花を折ってしまった瞬間、画面が暗転しかけるシーンがあるが、小手先の技みたいだし、映画の流れに対しノイズになってしまっている。
 構図や色彩にしても、どこか落ち着きすぎている。淡白な印象があった。米林監督といえば『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』の2作で過剰なくらい住居のディテール、色彩の華やかさがあったのだが、『メアリと魔女の花』にはそのこだわりは感じなかった。

 空中戦はもうちょっと力強く描いてほしかった。せっかくの箒を使った空中戦……しかし描写としては凡庸。箒ならではの「挙動」を感じさせてほしかった。あれなら箒以外でもなんでもいいようなものだった。

 と、問題個所を多く挙げたが、総合評価としては『メアリと魔女の花』は非常に楽しい作品だった。気になるところは気になるところとして、新たなスタジオを立ち上げての第1歩としては文句なしの合格点。
 次々に展開するアクション。少女と少年を軸に置いたシンプルな活劇。それにやっぱり絵のうまさ。ジブリ出身者らしい丁寧さ。どれも非常にハイレベルで優れた作品だ。見るべき場面は一杯ある。
 彼らの新しい門出を(今更だが)祝いたい気分だ。

 ところで今回の米林監督作品を見て、ふと思ったのは女性への独特なフェチ感。
 ミニスカートに黒ニーソ。このスタイルに「ふむ」と唸った。もちろんジブリの後継だから、足回りがクローズアップされるわけではないが、動きの中に現れる何とも言えないフェチ感。とくにロングサイズになった時の動き……ここが良かった。クローズアップした描写ではなく、動く瞬間にフェチ感が現れるのはジブリ出身者らしい(ただメアリ自身が可愛くない……というのはどうにも……)。
 そもそも宮崎作品だとミニスカートに黒ニーソというスタイルはありえなかった……。だからそう感じたのだろうか。
 ところで箒に乗ってのアクションが多いわけだが、なぜかスカートはなかなかめくれない。なぜか!! しかし、スカートの中が見えるカットは存在する。黒のスパッツだ! 黒の! スパッツである!! ……これを確認した後も「ふむ」と唸ってしまった。

 少女へのフェチ感がある種の最高潮に達するのが、かつての魔女と相対する瞬間。「姉妹」「百合」……そんなキーワードが浮かび上がるが、実体は『思い出のマーニー』と同じ「祖母」と「孫娘」の時を越えた邂逅だ。……こういう展開、好きなのかな?
 米林監督は確かに宮崎駿や高畑勲のような主張はない(逆に言えば、2人が主張ありすぎ、主張強すぎ)。『メアリと魔女の花』を全体的に見ると、宮崎作品からのコピペが多く、いやコピペ自体は問題ないが(「創作」とは「選択すること」である)、いかんせんバランスを欠いている。が、米林独自の少女感とフェチ感――姉妹描写にこだわりを感じた。こうしたところから何か“米林らしさ”が開けるんじゃないか……という気がした。

 米林監督もまだまだ成長途中の作家だ。アニメーターとしては間違いなく超一級。いい画を作ってくれる。今後の活躍に期待したい。


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