ナチスの愛したフェルメール71_TLbQKGtL

11月22日 気になる映画の話と、アートの話

『ナチスの愛したフェルメール』

 ちょい気になる映画。見たい。
 表題に『フェルメール』とあるが、実際には贋作師メーヘレンを描いた作品だそうだ。メーヘレンを題材にした作品は非常に珍しいから、かなり気になる。

 ハン・ファン・メーヘレン(1889年~1947年)――一般的には「フェルメールの偽物を作って売った犯罪者」のように語られがちだが、ある意味で時代に翻弄され、時代を翻弄した人物と言えなくもない。

 メーヘレンは古典絵画をかなりしっかり学んで、ロッテルダム賞を受賞して画家となったが、しかし大学を出てみると世の中はフォービズムやキュビスムの時代になっている。古典絵画をまじめに勉強した秀才の絵なんて見向きもされない。

 ああ、そうかい。じゃあいいよ。俺の描いたこの絵をフェルメールってことにすればいいんだろ。

 とフェルメールっぽい作品を作って発表したところ、フェルメール研究をやっている美術批評家がことごとく騙される。フェルメール研究の権威と呼ばれる人でさえ、「本物」の太鼓判を押し、メーヘレンの絵画はフェルメールの「真画」として紹介されることとなる。

 ここまでの話を見てわかるように、絵描きとしての実力は間違いなくあったんだ。研究者をことごとく騙せるだけの実力を持っていた。ただ、時代が「真面目に描いた人の絵」を求めていなかった……。
 ここからがメーヘレンの人生観が崩壊するタイミングでもあったわけで……。
 自分の作品は描いても売れないし評価されない。おそらく次なるフェルメールを発見されることを期待されただろうし、売れない絵描きとして糧を得るために必要だったろうし……。

 フェルメールについて調べるとセットとして必ずメーヘレンが出てくるわけだが、メーヘレンの話を読んでいると複雑な気持ちになる。
 フェルメールの偽物を作って世の中を混乱させた悪党。偽物絵画を売ってボロ儲けした悪党。――そんなふうに語られがちだが、私はどうもそうじゃないような気がしていて。なにしろ、フェルメールの偽物を描いて、一時であれ「真画」と認定されるくらいの実力は持っていたんだ。ちゃんとしっかり絵画の勉強をしてきた人だったんだ。
 ところが、フォービズムやキュビスムといった訳のわからない絵画がアートシーンに氾濫する時代になっていた。
 むしろアートビジネスのほうが健全だったのか? という疑問。
 私も、本音を言うと、ピカソあたりから始まった現代アートの流れについてはかなりの疑問を感じている。現代アートはアートの「進化形」ではなく「瓦解」ではないだろうか。美術は本来持っていた厳しさを取り戻すべきじゃないか。

 確かにピカソが創作活動をしていた当時、美術が閉塞していたのはわかる。宗教画じゃないとダメ、神話を題材していないとダメ……。こうした権威に対する反抗は、ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)の時代からあって、聖職者の磔刑ではなく田舎のごく普通の葬式を画材にしたり……(『オルナンの埋葬』1849)。印象派を生み出したクロード・モネ(1840~1926)の絵画も素晴らしい。時代を切り拓くために、時代の権威に反抗して独自のスタイルを生み出すことには意義がある。

ギュスターブ・クールベ オルナンの埋葬 1849

 でも、その後のアートの流れは果たして本当に正しかったのか。アンデパンダン時代の、本当にキャンバスに絵の具をぶっかけただけのものに何百万の価値が付いちゃっているのを見ると、アートとはなんなのか? という疑問に感じる。

 私たちなんかも、よく写実的な絵画を見ると「絵としてつまらない。こんなの誰でも描ける」とかいかにも評論家然とした調子で言ったりする。ええ、ええ、そうですとも。私も中二病時代の頃はそういうこと言ってましたとも。でも、描けねーだろ。そういうのは描けるようになってから言え。というかそれ以前に、お前絵画のことをどれだけ知ってるんだよ。ちゃんと勉強してから言ってるか? ろくにわかってないクセにそういうこと言っちゃだめだろ。ただの落書きとか、その辺に転がっているゴミを「アートだ!」とかこじらしたこと言ってしまう前に、改めたほうがいいんだよ(こういうのは「審美眼」ではなく「恥」だよ)。現代アートとかいう中二病絵画からさっさと卒業しろ!
 今なら言えるが、「絵としてつまらない」とかそういうことを言っちゃ駄目だったんだ。そういうことを言えば言うほど、「デッサン(基礎)をしっかり学ぼう」という意識が遠ざかっていく。「個性さえあればいいんだ」というゆとり教育発想になる。基礎のないところで独創をやろうとしても、そんなの上っ面だけのもので本物になり得ないんだよ。基礎教育を軽視するようになると、どんどん文化的な意識は落ちていく。

 ん? メーヘレンからずいぶん離れてしまったぞ。
 無理矢理に戻すと、基礎をしっかり学ぶことが大事だし、鑑賞する方も、良い物を見極めるための基礎教養は必要。
 今はネットの時代で、動画配信の時代。真面目にやるよりも、ちょっとおかしなことをして「バズった」者が勝ち……という時代になっている。真面目にやった者が損する時代、真面目に仕事に取り組んだ者が無視される時代。真面目な仕事ほど、低く見られてしまう。
 こういう傾向は、今後どんどん加速する。間違いなく。私たちはどんどん馬鹿になっていくから、知らず知らずのうちに「実はちゃんと作ったものより一段落ちる」ものをありがたがるようになる。目立ちたがり屋の馬鹿が作ったものをチヤホヤするようになる。プロの作った物よりアイドルが作った物のほうを求めるようになる(職人が丹精に作り込んだ物より、ユーチューバ―が作った物のほうが良いと思い込んでしまう)。基礎教養が抜け落ちると、きちんとした物を見抜く力も失われる。メーヘレン時代よりもどんどん悪くなる。

 ところで、私は以前『鑑定士ツグミ』という小説を描いたのだけど、この続編でメーヘレンを題材にできないだろうか……と考えていた。この小説を通してアートについていろいろ調べたけれども、アートは素晴らしい、作家も作品も素晴らしいけど、その周囲にうごめいている色んなもの(権威主義的なもの、商業主義的なものとか)は馬鹿らしく思えて……。この連なりをうまく物語にできないだろうか……と考えていた。

 まあ、結局は『鑑定士ツグミ』はコンテストで落選。この構想も同時に消えてしまった……。  頓挫したけれども、頭に引っかかり続ける企画の1つとなった。

 そうそう、『鑑定士ツグミ』の話題が出たので1つ。
 実はこの作品には、“秘密”がある。秘密というか“隠し要素”。“隠し要素”といってもそんな大層なものでもないんだけど。
 まあ、読んでいれば「うん??」と気付くようなもので、10人に1~2人くらいは気付くんじゃない、と思って仕込んだけれども。わりとヒントは一杯あるし。でも、そもそもちゃんと読んだ人がほとんどいないから、もしかしてこれ、誰も気付かなかったんじゃないか……という気もしていて。
 こういう「実は隠し要素がある」というのは作り手自身が言うべきじゃないんだけど……読んだ人が発見するべきものだから。でも誰1人発見できなかったようなので、自分から言うよ。

 隠し要素あるよ!!

 ……と言っても、誰も読まないんだろうなぁ。

pixiv:鑑定士ツグミ
小説家になろう:鑑定士ツグミ

 あとね……美術を題材にした構想はもう1本あったんだ。『projectMOE』の中でそれをやるつもりだったんだけど……。こっちも頓挫して終わりそうだね。描きたかったなぁ……。
 内容? ズバリ「美術と教育」だよ。
 きちんとした物を作るための基礎と、きちんとしたものを見極めるための基礎教養が必要……でもこういう考えがどんどん軽視される傾向にある。特に美術は、基礎がいかに大事か……これを軽視する流れがもう何十年も続いている。基礎がいかに大事か、ということを啓蒙する作品を描こうと思っていた。

 誰も私の話を聞いてくれない。
 じゃあ、私も有名作家の作品を真似して描いて、「本物です」とか言ったほうがいいかい? いや、やめとこ。

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