細めの雪にはなれなくて 9 第一部
日曜日、現地集合で画材屋の進藤と約束を取り付けたかおりは、再びあの湖畔に来ていた。前回描いた用紙を以前のようにスケッチスタンドに貼りつけ、手にあごを乗せじーっと待っている。やはりここでする音はきれいだ。水面下からする水音、種類はよくわからないがときおり甲高く奏でる鳥のさえずり、海沿いとは違った、緑の匂いをそのままイメージできるような音たち。それでいて静かだ。
しばらくすると、背後から声がした。「麻生さーん?」振り返るとそこには、ベージュのパンツにブルーのシャツのさわやかな好青年がいた。「ああ!どうもー。今日はわざわざありがとうございます。」「いえいえ、この場所教えたのも僕だし、やっぱり気になるからねー。」やはり話し方もゆったりとしていて、すごく落ち着く。語尾を伸ばす癖があるようだ。進藤はすぐにかおりのとなりに座ると、用紙を見ながら言った。「これはもう、もったいないけど捨てよう。新しく描き始めた方がいいよ。僕も始めるから一緒に描き始めよう。」そう言うと自分のスタンドの準備を始めた。
そうして二人は前回と同じ構図で絵を描き始めた。かおりは、前を見てとなりの進藤の進め方を見て、と交互に視点を変えながら描き進めた。どうやらこの進藤は相当に絵を描きなれているようだ、鉛筆のタッチからなにから、全てが素人のそれとは違っていた。初めて目にする本物の芸術家に感銘を受けつつ、自分も少しでも近づけなくてはと頑張った。
ある程度下書きを描き進めたところで、時計を見ると12:30を少し過ぎたところだった。「進藤さん、私お弁当作ってきているので、一緒に食べませんか?そろそろお昼時です。」そういってバッグからランチボックスを取り出して見せる。「ああ、もうそんな時間か。いいの?僕の分も?」「もちろんです。わざわざ来ていただいているので。」そうして二人は描いていた場所から少し離れたスペースに腰掛け、ランチを取った。
内容はポットに入れたオニオンスープとBLTのサンドイッチにから揚げ、卵焼きにベーコンでアスパラとチーズを巻いた物、とちょっとしたゆで野菜。「味、だいじょうぶですか??」「うん、どれもおいしい。若いのにすごいねえ、僕なんか料理とか全くだよ。二食に一回はチキンラーメンだもん。」そういって進藤は食べ進めた。かおりは実は料理が割と得意で、家で父や母にたまにふるまっても評判がよかったので、少しは自信があったのだが、他人に食べてもらったのは初めてだったので、素直にうれしかった。
ここで雑談ついでに聞いてみた。「あのー、この間お店に行ったとき、奥から出てきたじゃないですか。その時シェイカーを手に持ってたと思うんですけど、なにしてたんですか?」かおりは不自然だったので気になっていた。「シェイカー??、、、ああー、あれね。あれは実は中に砂が入っているんだよー。」「砂??ですか。何に使うんですか?」「何に…というかね、耳に当ててそーっと動かすと砂が流れる音がするでしょ?店が暇だからずっとあれを耳に当ててるんだよねー。」、、、、「ほ、へーー、そうなんですね。。」やはり変わっている。話し方もなんだか、ゆったりしているし。何か音楽とか美術とかそういうことをやっている人は独特な感性の人が多いようなイメージがあったが、あながち間違いでもなかったようだ。
食べ終わると今度は具体的に指摘を受けながらスケッチを進めた。すると、夕方の陽が傾き始めるころには、かおりのスケッチはほとんど色が入っており、ちゃんと絵として成立するものになっていた。「うん、大分センスいいと思うよ。僕は最初ここまで描けてなかったもん。」「いえいえ、先生のおかげですよ。それに、、、当たり前ですけど、進藤さんの絵と比べると凹みます…なんだかすごいですね、ここまで違うなんて。」本当にそうだった。進藤の描く絵は色彩の濃淡、また配色の選び方等、一般的ではないのにちゃんと成立してまとまっている。描きながら聞いた話によると、もともと東京の美大の出で、今は画材店でアルバイトをしながらいつか個展を出すべく頑張っているとのことだった。
時刻は17:00。その日のお礼を進藤に伝え、できればまた一緒に描いてほしい旨を伝えると快諾してくれた。進藤も楽しかったとのことだ。こうしてかおりのある日曜日は充実して終わった。寝る前はいつもその日の出来事を考える。次も会える。あのちょっと不思議な人に。こう思った自分の気持ちに少し戸惑いながらも、うきうきした気持ちは止められなかった。
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