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自分の身体に対する評価

本当は性同一性障害による身体違和は身体完全同一性障害と同じものなのではないか?その部分がたまたま性器や性的特徴だったから性別と結びつけてしまっただけで。だから胸や身体のラインは欲しいがぺニスは必要とする人がいて、胸はいらないが膣をぺニスにはしたくない人がいる。性別ではなく人間の身体をパズルとして解体した際に違和のある部分が性器や性的特徴だっただけなのでは?

というのも、妊娠できないことで本気で悩んでいる人を女性の身体を持った人以外で見たことがないから。生理が来ないことを本気で悩んでいる人も。人は人の身体に、それが例え不快なもの(生理など)だったとしても「正常な反応」を求める。

想像してみてほしい。もしあなたが無人島でカメラと鉛筆とメモしか持たずにいて、そこに見たこともない生き物が複数いた場合、何で雌雄を判断するのか?多分子供(卵)を産むほうを雌と判断するだろう。その生き物に男性器があるかどうかわからない。そして、何か液を出したとして、それが精液であるかわからない。だから、複数個体が子供を産んだらその産んだ個体に共通する特徴を基準として、似た特徴を持つものを雌とし、違った特徴を持つもので特徴の似通ったものを雄とする。だから、子供を産まなくても雌は雌であり雄は雄なのだ。

そして、御多分に漏れず人間もまた動物であり哺乳類に分類されている。ヒト・ヤギ・カラス・タイ・ヤモリ・クワガタがいた場合、ヒトと照らし合わせるものは、共通の特徴の多いヤギである。

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